第10話 変じゃないですか?

 朝はひとりだ。

 わたしの家とメイの家はそこそこ離れていて、登校時に合流する余裕はない。実際にバッタリ会ったこともない。

 ただ、今日はちょっと事情が違った。


「…………」

「…………」


 並び立って歩くメイは、さっきから一言も発していない。わたしも同じだ。なにか言うと、今のわたしとメイを取り持っているバランスが崩れてしまう気がする。

 親友に対して失礼だとも思うけど、こういうことは初めてなのだ。別に話さないから間が持たないというほどでもない。お互いよく喋る方ではないし。しかし偶然とはいえバッタリ会って一緒に登校して、なにも話さないのも変な話だろう。

 なにか話そうとして――結局は口を閉じる。これでもう三度目だった。騒がしいのは苦手だと人を避けていた自分の人生が恨めしい。

 学校までの道のりがいつもより長いな。登校中はいつも――メイとの話題を考えていた。そのくらいしかやることがないとも言えるし、それだけメイの優先度が高かったとも言える。わたしの高校生活は、メイに支えられてたんだな。


「ねえメイ」

「な、なに?」

「いや、名前呼んだだけ」


 なにやってるんだ、わたしは。これじゃ恋人かなにかみたいじゃないか。恋人になるにしてもまだ早い。

 恋人って、なんなんだろうな。

 そういうのとは無縁な人生を送ってきた。なにかを求めるより失わないような行動をしてきたから。欲しいというより怖い。

 隣を見やると、どこか緊張した横顔があった。綺麗過ぎる。

 ゲームセンターではあれだけ熱くなって、自分らしくない行動を取ったというのに、わたしはまたメイに壁を張っている。

 やはりわたしのこれは恋情ではないのかもしれない。そう言うには弱くて、軽薄だ。恋心というのは、もっと情熱的なものだと、思う。いや、それも言い訳でしかない。本当のところ、わたしは怖くて、怖くて。そのくせ気持ちだけはあるから、友達としてなら積極的になれる。それが恋情ではないかと問いかけることを、わたしは無意識に拒絶しているのだ。自分からあんなことを言っておいて、わたしは酷い女だよ。

 わたしは空を見上げた。点々と雲が泳ぎ、青空とは到底呼べない。それは最初から遠く、つかめないところにある。

 だから、わたしは星が好きなのかもしれない。絶対につかめないし、つかもうともしない、遠すぎるもの。この空みたいに。

 

 わたしが好きになるには、メイは近すぎる。


 ◆


 学校に着き、教室の前まで来るとメイトは別れる。


「じゃあ後で」

「うん」


 結局ろくに話さなかった。素っ気ない言葉だけでお互いの教室に入り、わたしは他の生徒には目もくれずに席に座る。


「おはよう、柚葉ちゃん」

「おはよう、あやや」

「あやだよ」


 前の席にいる綾矢といつもの挨拶を交わし、わたしは頬杖を着いた。


「あり、柚葉ちゃんも筋肉痛?」

「え? いいや別に」

「そっかー。佐紀は昨日のエアホッケーで腕が痛い痛いって騒いでて」

「それは大変だね」


 あれ、無理してたのか。とはいえ強いのは変わりないし、運動神経は本物だろう。

 こうして共通の出来事を話してワイワイするのは悪くない。今朝のメイほど気まずくはないし。でも、メイと話しているときよりは――ああ、ダメだ。綾矢が相手だろ。


「佐紀が騒ぐとうるさそうだ」

「聞こえてるわよ」


 少し離れた席から佐紀が来た。眉間にしわが寄っていて、目の鋭さが一層きつくなっている。


「わたしが筋肉痛になろうが騒ごうが、昨日の勝ちは揺らいでないんだからね」

「それを言うならわたしもレースゲームで勝ったよ」

「エアホッケーは圧倒的だったでしょ」

「わたしのもそうだよ」


 佐紀とにらみ合う。しかし佐紀の方から目線を外し、ブラックの缶コーヒーを一口飲む。佐紀はここまでやっても機嫌を直すのが早い。ある意味、最も安心できる相手ではある。綾矢は逆に怒ったところを見たことないけど、どうなんだろう。メイは――。


「柚葉?」

「あ、ううん」


 メイは今関係ないだろう。首を振って思考から払う。


「昨日、楽しかったなって」

「ね。あ、でも、柚葉ちゃんを笑顔にはできなかったなぁ」

「そう言えばそんなこと言ってたね」

「やっぱりわたしたちじゃ無理よ。盟梨にしかこの鉄仮面は剥がせないわ」


 わたしの笑顔、か。してみようと頑張ったことはまあまああるけど、それでできたかどうかは、メイしか知らない。

 そうなると、どのみちわたしはメイの前でしか笑顔を見せたことがないことになるのか。さすがに家族は見たことあると思うけど。

 いや、払い切れてないじゃないか。メイのこと以外……。


「そう言えば、綾矢が取ってたウサギのぬいぐるみどうしたの?」

「部屋に飾ったよ」

「そうなのよ、綾矢ったら少女趣味で」

「佐紀のよくわかんないものよりマシだよ」

「わたしのアダルティーなセンスがわからない綾矢は、やっぱりお子ちゃまね」

「女子高生でそういうのは、おませって言うのよ」

「言ったわね!」


 自分の気を逸らそうとしたら姉妹喧嘩が始まってしまった。綾矢も珍しく声を荒げている。

 とはいえいつもは仲良し姉妹だし、すぐに仲直りするだろう。


「喧嘩……」


 メイとはしたことないな。あ、違う。誰ともしたことない。一人っ子だし、喧嘩になるようなことは避けてきたし。

 わたし、変な人生送ってるな。

 いつの間にか深雪姉妹の喧嘩も騒がしくなってきて、わたしは意識を外に逃がす。こういうとこだよ、久坂柚葉。


 ◆


 昼休み、チャイムの音を聞き逃した。わたしが気づいたのは、教室まで入ってきたメイの姿を見てから。大袈裟なまでに驚き、口まで開いた。


「じゃーん。陽本盟梨さんです」


 綾矢がおかしなポーズでメイを指し示す。後ろで佐紀も変なポーズをしていた。


「は、はい……あの、ゆず」

「わ、わかった、よ」


 照れ始めた親友の手を引き、姉妹の視線から離れる。

 廊下を早足で歩きながら、わたしはメイに聞く。


「どうしたの、メイ」

「今日、遅かったから」


 教室に入って来られた理由を聞きたかったのだけど、まあいっか。メイも成長したんだろう。


「ありがとう。メイ、優しい」

「あ、え、えへへ」


 空き教室に繋がる渡り廊下まで来て、わたしは大切なことに気づいた。


「あ」


 立ち止まると、メイの手に力が入る。


「お弁当忘れた」

「え、ええー」


 勢いを忘れた声でメイはリアクションした。

 わたしも焼きが回ったな。頭にコテンと拳を打ちつける。メイは首を傾げた。これはダメか。


「ちょっと取ってくる。先に行ってて」

「う、うん。ねえゆず」

「ん?」


 足を止めて振り向くと、なにか踏ん切りのつかない様子だった。それもすぐに覚悟を決めたようで、こちらに踏み出してくる。


「今日、なんか変じゃない?」


 わたしの頭の中心を、細長い糸が通ったような、そんな不快な感覚が走った。


「別に」


 わたしは駆け出す。ああ、メイから逃げてるみたいだ。そんな心にもないことを思った。

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