第9話 悩みですか?
エアホッケーの結果は惨敗に終わった。佐紀が一度だけ自分のゴールに円板を入れた事故以外、わたしたちは一点も取れなかったのだ。しかも、やっていた最中は気づかなかったが、服が汗でベトベト張りついてたまらない。
取りあえず熱気あふれるゲームセンターから脱出し、入り口付近のベンチに揃って腰を下ろしていた。勝利した深雪姉妹が肩を小躍りさせる様子を見ていると悔しさが込み上げてくる。紛らわすために、右隣の親友に軽く体を傾けた。それに気づいた佐紀は、あら、わたしたちに注目する。
「盟梨、顔真っ赤じゃない」
「え、そ、そう? 動いたからかな」
「仕方ないわ、わたしのスマッシュを何度も受けたものね」
増長する佐紀の肩を綾矢が押さえた。しかしなにを言うでもなく、佐紀も疑問符を浮かべている。綾矢は佐紀の肩を撫でるようにし、わたしたちの方に目を向けた。
「柚葉ちゃんは陽本さんに寄りかかるのが好きだね」
「ん、そうかな」
「さっきのエアホッケーのときもそうしてたじゃない。綾矢にやり返されたとき」
「あー。なんでだろうね」
前まではこんなことしなかった気がする。メイに女子高生同士なら普通だと言われてからだろうか、抵抗感がなくなったのは。いや、それまでは発想もしなかったな。
こうしているだけでも言われると気になるので、頭を戻してキチンと自立する。隣から、あ、短い呟きがあった。
「これからどうしよっか。もう帰る?」
なんとなく携帯を見ると3時を回っていた。左隣に連なる深雪姉妹に目で確認すると、綾矢が服の襟でパタパタ扇いでいる。
「そうする? 服も着替えたいし」
「帰るの? わたしはまだまだいけるわ」
「佐紀、あれだけスマッシュ打って元気あるの?」
これは呆れた。運動では佐紀に勝てる気がしない。そう言えばうちの学校は秋にマラソン大会があったっけ。その日が来たら佐紀を応援しよう。
「盟梨はどうする?」
「う、うーん……パス?」
パスってなんだパスって。メイは言葉だけでなく、表情まで曖昧だった。仕方ないので立ち上がり、残る3人を一挙に見下ろす。
「この中で汗が気持ち悪い人、手挙げ」
満場一致だった。
◆
ゲームセンターからの帰り道は学校まで4人とも同じだったが、学校を過ぎると深雪姉妹とは別れることになった。ふたりは学校から近い家のどれかに住んでいると記憶している。わたしたちはこれから商店街を抜けなければいけない。
学校のある通りでふたりと別れ、別の通りに入る。するとメイが突然口を開いた。
「本当に時間が解決してくれたかも」
わたしはしばらくなにを言われたのかわからなかった。何人か知らない人とすれ違って、ようやくそれが深雪姉妹とのことだと思い出す。
「ああ、仲良くなれた?」
「どうだろう、慣れたは慣れたけど、仲良しなのかな?」
相変わらず押しが弱い親友だ。中学からの付き合いとはいえ、よくわたしは仲良くなれたな。
「曖昧にするくらいなら、ひと思いに友達って言っちゃえば?」
「友達……」
メイの引っ込み思案は今に始まったことじゃない。わたしも知り合いから友達に昇格するまで長い時間が必要だった。だからちょっとくらい積極的になっても、大した影響はなさそうだ。
「友達なんてどうせ、ちゃんとした定義はないし」
メイはしばらく考えてから頷いた。
「友達、友達……」
しかし実感がなさそうに繰り返す。その顔は実りだしたさくらんぼみたいに赤い。気軽に友達と呼べる関係になるのには、まだまだかかりそうだ。
結局、時間には勝てないか。そう思うと、とてつもなく悔しくなってくる。わたしは少しだけ歩くペースを落とし、メイの背中を取った。
「ひゃっ」
抱き着くと同時に声が出る。メイには悪いけど、また貸してもらおう。誰かに寄りかかると安心する。人に触れられるのは苦手だと思っていたが、これはいいものだ。
「ゆ、ゆず、今日はどうしたの?」
「このくらい女子高生なら普通なんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
声が震えている。背中が温かい。往来でこんなことするのもどうかと思うけど、よくやることだってメイも言ってたし。
おかしな格好でも足は進める。意識はしていなかったけど、本当にわたしはどうかしてしまったんじゃないか。思い返せば今日のお出かけだって、中学生までならこうも積極的にならなかった。なにせわたしは騒がしいのが苦手なのだ。そんなわたしがゲームセンターに行こうと3人も友達を誘ったのは、なにかわけがあるはず。
「なんかわたし、メイのことが心配になってるかも」
パッと思いついたのはそれだけだった。それくらいしか最近あった出来事はない。そんな軽い気持ちだったのに、メイは耳を真っ赤にしていた。
「それって、ゆずの好きが見つかったってこと?」
「そうなると、わたしはメイのことを妹かなにかと思ってることになるけど」
「え、そんなぁ」
「わたしもわたしがそう思ってるとは思わない」
どう考えてもメイの方が大人びている。綾矢と佐紀も、あれで綾矢の方が大人っぽかったりするのだ。わたしの潜在意識はそこまで図々しくあるまい。
「じゃあ、んん?」
「なんだろうね、わたしはメイのことどう思ってるんだろうね」
「あ、もしかして」
なにか思いついたみたいだったが、黙ってしまった。わたしは腕を解き、メイの前に回り込む。その顔は熟した果実のように真っ赤に、赤すぎるほどに染まっていて、照れ屋の本気を見たと感じた。へたをつければ育ち過ぎたさくらんぼだ。
「言ってみなさい」
「いやぁ、これはちょっと……」
「なんだよなんだよー」
こういうからかい方は慣れていないから棒読みになってしまった。
思えば今回は最初からわたしらしくない。その原因は、メイだ。でも、どうしてメイなんだろう。一緒に流星群を見たのは決定的だったと言えばそうだけど、なにか引っかかる。唯一の親友といっても友達だし、友達――。
「あ、わかった。やったよメイ!」
メイはわたしに手を取られ振り回されたが、声も出さずにいた。混乱させてしまったかと、わたしは慌てて手を離す。
「ごめん、メイ。わたしたちは時間に勝ったんだよ」
「落ち着いてよゆず。わけわからない」
「時間だけの関係じゃなかったの。時間の長さより強い結びつきがあったんだよ」
メイは混乱を極めた。わたしが勝手にはしゃいでいる間も、目の中をくるくる回していた。
それから落ち着き、わたしがメイとの関係を時間の長さによるものではないかと悩んでいたことを話すまで、メイには悪いことをした。
わたしの話を聞き終わると、メイは目を丸くする。
「そんなこと、考えたこともなかった」
それを聞くと、唐突な徒労感に襲われた。所詮、悩みなんてそんなもの。口にしてみると大したことじゃないのだ。
「ゆず、今日一日ずっと……それなのにわたし、なにも気づけなくて」
「わたしも伊達に鉄面皮やってないよ」
「うん」
ここで同意するのか。わたしは思わず噴き出した。それを見たメイも、顔に喜色が戻る。
「それで、どうして時間に勝てたの?」
「気づいたの。わたしが持つメイへの好きは、絶対に時間だけのものじゃない」
「それって?」
即座に答えようとして、一度躊躇う。これはやはり恥ずかしい。でも勢いに乗らなければ、後悔することだってある。わたしは意を決し、駆け出す。メイとそこそこ離れてから振り向いた。
「これからもずっと、メイには近くにいてほしい」
今度のメイの目は丸くならず、見開いた。
「少なくとも、わたしはメイがずっと一緒にいてくれることを当たり前だと思いたい」
メイは視線を外した。けれどゆっくり、なにかと戦うようにこちらへ、確実に近づいてくる。わたしの目の前に立つと、チラチラと上目遣いを寄越し、目を閉じる。大きく息を吸う。吐く。目が開く。
定められた瞳は、覚悟を決めたとしか形容できない炎を内包していた。自分から燃料を注ぎ込み、爆発的な力を育てた炎を。それは同じ赤でも、さくらんぼとはまったく違う。意思を感じるものだった。
その意思が、強い響きを持って、揺れる。
「はい」
風が吹き、熱い体を冷やす。風がやむまで、わたしは頭も使わずに立ち尽くしていた。
まるで告白を受け入れて貰えた、ドラマのワンシーンみたいだった。メイの顔がいつもより綺麗に見えて、自分の底から来る熱さを感じている。
これが本当にそういう告白なら、わたしはもう、悩む必要なんてないのにな。
こうまでしても、まだ好きの意味は見つかってない。わかったのは、メイとの関係が時間による惰性ではなく、自主的な気持ちが起こす明確な好きであること。わたしが知りたいのは、もっと根本的なものだ。
ずっと一緒にいてほしい。それは友情としてなのか、それとも恋情としてなのか。
今はまだ悩む。
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