第4話 お熱ですか?

 メイの体調不良を耳にしてから、わたしの体調は優れなかった。

 帰るとすぐシャワーを浴び、二階にある自室のベッドに寝転んで、星をモチーフにしたキャラクターのぬいぐるみを抱く。

 シャワーを浴びれば、大抵の気持ちは洗い流せる。ベッドに寝転べば、問題のほとんどはどうでもよくなる。今日はそれもできない。

 思い当たるところはあった。いや、わかったと言うべきか。メイが風邪を引いたことを聞いてから、後出しで兆候をつかんだだけ。

 そしてこれは、たぶんわたしのせいだ。メイは流星群のために、自惚れればわたしのために時間と体を使っていた。音楽も、お弁当も、重要な部分は全部やらせてしまった。

 わたしは酷いやつだ。元々わたしが言い始めたことなのに。


「この好きは、もっと軽いものなのかな」


 ぬいぐるみに向かってそう呟く。すると不思議なもので、起き上がる気力が湧いてきた。


「……コーヒー」


 コーヒーを飲めば、残った気持ち悪さも解決する。そんな気がした。

 昔見たアニメの台詞だったかな。おぼろげな根拠の確信を持って、わたしは台所に降りた。


 ◆


 まだ土曜日か。枕元の携帯端末の電源を入れて確認した。

 今週は昨日、金曜日にぽっかり穴が空いていて、どうも曜日感覚がおかしい。明日学校がある気さえしてくる。

 それでも、昨日の体調不良は完治していた。やっぱり、ただの考え過ぎだったか。重かったのは体じゃなくて頭だな。

 朝起きるとパジャマのまま一階に降り、そのまま朝食へ。遅く起きたから、わたしの分はテーブルの上で冷えている。すまないと思い、焼き魚を電子レンジで温め、みそ汁も沸騰させて温度を戻す。白米だけは炊飯器のお陰で温かい。

 いただきますとごちそうさまは礼儀だ。でも小っ恥ずかしいから小声になる。

 食器を流しに入れ、片付けは後回し。その前に洗面所で顔を洗い、歯を磨く。本当はどちらも朝起きてすぐやった方がいいと聞くけど、わたしはそんなにマジメじゃない。

 朝の支度が終わると、時計の針は10時を指す。起きたのが9時前だったから、まあこんなものだろう。

 土曜日の朝はいつもこうだ。両親共に土曜日は仕事があって、学校休みにかまけて寝坊すると家にいない。兄弟姉妹もいないから、テレビを観るか本を読むか、ゲームでもやるか。どれも趣味と言えるほど熱中していないから、時間潰し程度だ。

 こうして怠惰に時が過ぎるのを惜しみながら、けれど情熱をくべるくらいならこのままでいいとも思う。

 ソファに寝っ転がってぼーっとしていると、ふと頭を過ぎるものがあった。


「行くか」


 自分を鼓舞するように足を叩く。

 小さなショルダーバッグに携帯と、念のため財布を入れる。これは不思議なことなのだが、わたしは一般ガールズみたいな、華やかさを求める力を持っていない。最低限の化粧やファッションセンスは会得したものの、基本的にからっきしだ。だからこのショルダーバッグは少年チックで、女子高生の肩書きには似つかわしくないほど黒い。地域のデパートで一番安いのを買ったからだろう。

 玄関で緩めの靴を履き、さあ外の世界へとドアノブを握る。


「あ、服……」


 思わず声に出た。

 そうだ、わたしはまだ着替えていない。いくらわたしでも、パジャマ姿は情けない。


 ◆


 頭を過ぎった。だからそれを実行できる。それは天才だ。わたしは凡才に等しい。

 メイの家を訪ねたわたしは、入り口で足止めを食っていた。主にわたしが通せんぼうしている。

 そう、これは他のクラスに入るとか、職員室で待たされるとか、所詮学校の難題とはレベルが違う。だって、わたしはどちらも楽勝だもの。人の家を訪ねるというのは、下手打てば犯罪にもなり得る恐ろしい行為なのだ。親友の家で不法侵入罪を問われたら、わたしは一生人間不信を引きずるだろう。

 緊張するということだ。とはいえここで引き下がったらもったいないし、後が面倒になるのは間違いない。思い切って敷地に入り、チャイムを鳴らす。

 見たところインターホンじゃない。それに、はーい、という声とドタドタ木の床を走る音がする。


「はーい。あら?」


 出てきたのは、たぶんメイのお母さんだ。顔立ちや雰囲気がどことなく似ている。


「どうも、わたしは」

「盟梨ちゃんのお友達?」

「え……はい」

「どうぞ、入ってはいって」


 招かれるままに家に入り、メイのお母さんの背中に着いていく。ふぅん、胸は遺伝だったか。


「あなた、久坂柚葉ちゃん?」

「え? はい」


 名前を言い当てられ、つい語気を強くしてしまった。こういうときは自分の表情のなさが頼もしい。


「やっぱり。よく盟梨ちゃんが学校のこと話すんだけど、ほとんどあなたのことなのよ。まさかお見舞いにまで来てくれるなんてね」

「まあ……親友ですから」

「盟梨ちゃんもそう言ってたわ」


 それを聞いて、胸が少し温かくなった。

 それにしてもメイ、家ではちゃん付けで呼ばれているのか。なんか、らしいというか、イメージ通りかも。

 やがて立ち止まった部屋のドアには、ファンシーなプレートに「めいり」と書いてあった。子どものときから使っているのか、字が異様に太くて丸っこい。


「盟梨-。お友達が来たわよー」


 なぁに~。部屋の向こうから投げやりな声が聞こえる。ちゃんと聞こえてなさそうだが、お母さんは構わずドアを押し開けた。


「柚葉ちゃんが来たわよ-」

「もうお母さん、今は部屋に入らないでって……あれ?」


 ベッドの中でもぞもぞ動いていたメイは急に起き上がり、顔を見せる。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔とはこのことか。わたしは親友への挨拶に小さく手を挙げる。


「どうも」

「ゆ、ゆず……あ、えっと」


 メイは取り留めのない呟きを繰り返しながら、熱のせいで赤い顔を布団を引き寄せて隠す。


「盟梨。折角お見舞いに来てくれたんだから顔くらい見せなさいよ」

「お、お母さんはあっち行っててよ!」


 はいはい、とお母さんは素直に退室した。ドアが閉まると、微妙な空気が流れる。わたしはバッグの肩掛け部分をつかみ、メイは布団で口元を隠す。視線も合わせられない間が続いた。


「あのさ」


 かぶった。メイは布団の中からこちらを指し、先手をわたしに譲る。


「色々ごめん」

「ご、ごめん!?」


 頭を貫いた高音は、とても風邪を引いているとは思えない。わたしは目を細める。


「あぁ、ごめん。びっくりしちゃって」

「そんなに?」

「だって、謝られる理由もないし。大丈夫? とか言ってくれるのかと思ってたから」

「理由なら……あるじゃん。メイに色々させちゃって……」

「もしかして流星群の準備のこと気にしてる?」


 図星を突かれると言葉に詰まるらしい。わたしは頷いて返事した。

 部屋はしんと静まり返り。いきなりドアが開いた。


「果物切れたわよ~」

「もう! お母さん!」


 もしわたしの表情がもう少し柔らかかったら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたに違いない。

 親友のお見舞いに来たのに、親子のコントを見せられているのだから。


「あら、いらないの?」

「そんな見栄張らなくてもいいから! ゆずはそんなこと気にしないからっ!」

「でも折角だし、はい、どうぞ」

「うぅぅぅぅ」


 お母さんはすぐに出ていった。わたしの手にカットフルーツのプレートを残して。一方でメイは布団に八つ当たりしている。


「メイ。いいお母さんじゃん。ほら、おいしそうだよ」

「…………ご迷惑おかけします」


 学校の友達と親が関わると、確かに恥ずかしい。元が照れ屋のメイだ。わたしの何倍もショックだろう。

 それはそれとして、カットフルーツはおいしそう。


「これ凄いよ、リンゴ、イチゴ、ブドウ、全部旬じゃない。買うと高いのばっかり」

「イチゴはそんなに時期外れてないよ」


 メイは赤い粒を摘まみ、口に放る。


「そうなの? イチゴって冬に多いじゃん」

「お店に出るのはね。旬は3月から4月の、春後半」

「メイがそこまで果物好きなのは知らなかった」

「果物好き一家なの。わたしは特別好きっていうか、勝手に覚えただけ。あと、イチゴは木にならないから野菜だよ。諸説あるらしいけど」


 いつもより棘のある話し方をする。機嫌が悪そうだ。しばらく謝る話は掘り返せないな。


「そういえばなんで謝ったの?」

「うぉ」


 このタイミングか……!

 お母さん乱入で不機嫌気味のメイに暗黒的な話をしなければならないのか。いや、決めてきたことだ。わたしは罰を受ける。でも離れないで、メイ。


「わたし、自分から流星群に誘ったくせに、飽きたとか酷いことばっかり言って。そのうえ音楽も料理もメイに任せっきりで、やったことはジュースを買うくらい。だからメイも熱出して……どうしようもないことしたなって。ごめん」


 目を瞑って頭を下げる。

 怖いのだ、わたしは。


「なんだぁ。そんなこと気にしてたの? もう、ゆずは変なところマジメなんだから」


 ぺしり。触ったかもわからないほど弱い平手が頭に置かれた。

 わたしは目を開ける。


「わたしが熱を出すほど頑張ったと思う? お弁当はいつものついでだし、音楽はこの脳細胞が勝手に働いてくれたよ」


 自慢するように自分の頭を指差すメイからは、もう不機嫌さを感じなかった。


「でも、わたし」

「まあまあ、落ち着いてよ。わたしたちまだ女子高生なんだもん。そういうこともあるって」


 メイはわたしの持つお皿から、ブドウを取って皮ごと食べる。それに引っ張られて頭が上がった。


「それに、ゆずがこうしてお見舞いに来てくれたのが嬉しいよ」


 得意気な顔は「しぶっ」すぐにしぼんだ。思わず笑い声がこぼれる。


「ブドウを皮ごと食べるからだよ」

「うへぇー。種も入ってる……」

「ほら、イチゴ食べなよ。はい、あーん」


 わたしが抱えていた不安は、メイにとってはどうでもいいことらしい。わたしが気にしすぎなのか、メイの器が大きいのか。

 どっちにしても、ゆずと離れたくない。どんなものかもわからないけど、わたしの好きは確かにある。あるのが当たり前になっている。

 それは少なくとも、ゆずがいないと消えてしまうらしい。

 だから、今は強く燃えている。

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