第3話 嬉しいですか?

 メイの度重なるあーんによってお弁当の品揃えは決まり、音楽の方も準備できたらしい。わたしもジュースを確保して冷蔵庫に入れてある。

 これで後は流星群の日、三日後に晴れるのを祈るだけだ。

 

「そう言えば、これ」

「あ、わたしの鈴」


 メイが机の上に出したのは、わたしが愛用している星形の鈴だった。いつの間にかなくしていたのだが、どうしてメイが。


「教室の前に落ちてたよ」

「そっか。ありがと」

「もう少し嬉しそうな顔してもいいんじゃないかな」

「これがデフォルトなのです」


 摘まみ上げ、意味もなく鳴らす。この安っぽい音が良い。


「ゆず、それずっと持ってるよね」

「うん、小学生からのお気に入りなんだ」

「飽きっぽいゆずが珍しい」

「ここまでくると愛着があるからね」


 落とさないよう、鈴は制服のポケットに突っ込む。


「愛着がある割にはぞんざいな扱い……」

「まあ愛着は言い過ぎかも。なければないでいい物だし」

「ひどいこというなぁ」

「そうでもないよ。わたし的には愛より惰性だもの」


 意識するほど好きじゃないけど、好きではある。飽きはしないし嫌いにもならない。なくなると一応気になる。


「わたしのことも惰性だったらどうしよう」

「それはないかな。メイはもっと積極的に好きだし」

「え、そう? えへへ、照れるなぁ」


 絵に描いたような照れ方をする親友のかわいげは、愛着や惰性以外のもを感じる。気がする。

 この気持ちはなんだろう。かわいいな、といつも思うけど、これも恋とか、そういう好きなんだろうか。

 ガラッ。突然ドアが開いた。

 

「いた! 柚葉ちゃん!」

「あ、あやや?」

「あやだよ」


 空き教室に入ってきたのは、クラスメイトの深雪しんせつ綾矢あや。通称あやや。わたしより頭ひとつ小さな身長で、斜めに飛び出るよう結んだ髪はパイナップルを思わせる。

 綾矢はくりっとした目でメイを見つけると首を傾げる。


「その人は?」

「あ、久坂くさか柚葉ゆずはです。よ、よろしくお願いします」


 固いお辞儀をするメイの背中に、わたしは軽いチョップを入れる。


「久坂柚葉はわたしだ。こっちは陽本ひもと盟梨めいり。盟梨、あっちがあやや」

「あやだって」

「あやや、さん。ひ、陽本です」

「あやだってば!」


 声が大きくなってきた。もうやめておこう。これ以上は綾矢の双子の妹が怖い。


「それで綾矢、どうしたの?」

「そうだそうだ。柚葉ちゃん、ちょっと着いてきて」

「ちょっとって……ああ、あれか。仕方ない」


 あんなこと頼めるのはわたしくらいだろう。教室を出ようとして、メイの不満そうな視線に振り向く。


「メイも来る? たまには奢るよ」

「え、ああうん」


 この空き教室は二階の別棟にある。目的地までは一階に降りて、吹き抜けになっている本棟への通路に出なくてはならない。

 校舎を本棟と別棟に分けているせいで、この学校は行き来が面倒だ。中学はもっとコンパクトだった。そのお陰で空き教室ができて、使えているのだけど。


「柚葉ちゃんはお昼になるといつも教室から消えちゃって不思議だなと思ってたけど、こんな美人さんとご飯食べてたんだね」

「び、美人……」

「そう。美人でしょ、わたしの親友は」

「羨ましいよ!」


 ふたりして赤くなるメイを褒め殺していると、目的の場所にはすぐ着いた。開けっ放しのドアの先に立つ赤い箱。メイだけが目を丸くしている。


「自動販売機?」

「では柚葉ちゃんさん。よろしくお願いします」

「ふふん、よかろう」


 自動販売機の一番左上で光るボタンを押すと、黒いペットボトルが大袈裟な音を発てて落ちる。取り出し口から拾い上げたそれを綾矢に渡すと、ぺこりお礼をされた。


「いやーいつも悪いねー」

「いいってことよー」

「それ、コール?」

「はい! 世界最強の炭酸飲料コール! 週に一回のご褒美なの」


 週に一回も飲んでよく太らないなと思いながら、メイに目を向ける。メイは物珍しそうにコールのペットボトルを見ていた。


「わたしじゃ手が届かなくて、いつも柚葉ちゃんに頼んでるの」

「あ、それで……」

「そういうこと。盟梨はなににする?」

「え、あ、えっと、このリンゴジュース」


 はっちゃんか。わたしの好みと同じだ。

 流星群用のジュースにリンゴとオレンジを選んだわたしのセンスは正しかったらしい。


「はい。はっちゃん」

「ありがとう」


 メイは受け取ると、手持ちサイズのペットボトルをそっと胸に抱いた。おい、温くなるぞ。


「じゃあわたしは教室に戻るね。ふたりは?」

「わたしたちはさっきのところに。お弁当箱も置きっ放しだし」

「そっか。じゃあね」


 軽い挨拶をして、本棟への通路に消えていく綾矢をその場で見送る。後ろから見ると、パイナップルみたいな髪が左右に揺れているのがわかるのだ。


「愛着って、あややみたいな感じかも」

「深雪さんが?」

「あややって呼ぶと怒るけど怖くないし、あのパイナップルも癖になる」

「やっぱりからかってたの? いじわる」

「あややは小動物っぽいから」


 じとーっとした視線を受け、わたしは顔を逸らす。しかし回り込まれた。なぜか頬にペットボトルを当てている。その頬は、はっちゃんのリンゴを模した赤いラベルより薄く実っていた。


「わたしのこと褒めるときもからかってる?」

「まさか、全部本心だよ」


 面白がっているところがあるのは否定しないけど。

 

「……そ、そうなんだ」


 メイはコソコソと視界から外れ、わたしの後ろに立った。そして押し黙る。


「戻ろっか。リンゴジュース温くなるし」


 答えはなかったけど、歩くと着いてきた。

 わたしたちが別棟に入ると、開きっぱなしだった緩いドアを春風が閉める。鋭い音がした。


「ひゃいっ!」


 短い悲鳴と共に、柔らかいものが背中に押しつけられた。


「メイ、ホラー映画とか苦手だっけ」

「あ、あははは、あは」


 仮にメイへの好きがそういう好きだとしても、性欲だけはないんだろうな。当てつけのような柔らかさを背中で感じながら、そう思った。


 ◆


 国語の教師が教室から出て行くと、わたしはゆっくり立ち上がって伸びをする。

 ああ、よく寝た。

 たっぷり寝かせてもらったが、わたしは怠け者じゃない。五時間目に国語の授業をする学校が悪いのだ。


「ゆーずはちゃん」

「あやや」

「あやだって」

「ごめんごめん」


 謝るつもりないでしょ、と口を尖らせる綾矢に、わたしは平謝りを繰り返す。


「ところで佐紀さきは?」

「佐紀なら用事があるからって、どっか行っちゃった」

「ふーん、いつも姉妹一緒なのに珍しい」

「それより、柚葉ちゃんっていつも、陽本さんとお昼食べてるの?」

「そう。中学からの親友なの。それがどうかした?」


 もしかしてわたしに嫉妬したか? なんてふざけたことを考えていると、綾矢は言いづらそうに口を開く。


「いつもあんなに離れたところ行ってから食べるの、面倒じゃないのかなって」

「まあ面倒だよ。でもあそこ静かだし」

「本当にそれだけ?」

「それだけって?」

「陽本さんが目当てなんじゃないのかなって」


 メイが? 確かに一緒に食べるならメイがいいけど、そのために教室から出ているわけじゃない。


「それはない、はずだよ」

「そうなの? 陽本さん美人だし、柚葉ちゃんもあんなに嬉しそうな顔だったのに」

「え、ちょっと待って、嬉しそう? 顔?」


 わたしの顔に嬉しそうとかあるのか。自他共に認める無表情な鉄面皮じゃなかったのか。


「うん。陽本さんといるときの柚葉ちゃん、いつもよりちょっとだけ嬉しそうだったよ」


 思わず自分の顔を撫で回す。なんだか信じられない。綾矢が嘘をついたり、からかったりするような人じゃないのはわかっているけど。


「ウレシイ……ワタシガ……?」

「柚葉ちゃん、ゲームのロボットじゃないんだから」

「ワタシニ……ヒョウジョウ?」

「カタカナみたいな喋り方だと落ち着かないから戻してよ!」

「うん、実感なくて」


 メイに表情を読み取られたことはあった。あったけど、メイとは付き合いが長いし、まあなんとなくわかるんだろうなくらいに思っていた。それが綾矢にもわかるような顔をしていたという。親友に面と向かって鉄面皮とまで言われるわたしが。

 綾矢とは高校に入って友達になった。付き合いは一ヶ月ちょっとだ。それだけでわたしの表情を読めるとは思えない。

 それか、綾矢でもわかってしまうほど、わかりやすい表情をしていた?


「柚葉ちゃん、どうかした?」

「ごめん、たくさん考えてる」

「それならいいんだけど」


 次の授業の準備してくるね。綾矢は戻っていった。

 メイのことだけを親友と呼ぶように、わたしは自分でも気づかない深いところで、メイを特別扱いしているのかもしれない。

 なんか、SFみたいだな。

 綾矢を待っている間、手持ち無沙汰に視線を巡らせていると、廊下で不審な影を発見した。気づかれないようわたしの席から遠い方の出入り口を通って廊下に出て忍び寄る。


「メーイ」

「うひゃあ!」


 おい、この学校共学だぞ。変に艶っぽい声に反応した男共を視線で威嚇し、メイの手を引く。


「ちょっと来て」

「あ、ゆ、ゆ、ゆずっ?」


 生徒が集まっている1~3組の教室付近から抜け出し、階段の前まで来れば人気はほぼない。


「怖がり恥ずかしがりも困りものだ」

「ご、ごめん……どうしても話したくて」


 一瞬、胸の辺りがくすぐったくなった。


「用事があっても別の組の教室に入るのが難しいメイがこんな時間に?」

「うん。音楽のことなんだけど」


 流星群用のロマンチックな音楽か。五時間目の間に決まったのかな。


「イヤホン持ってる?」

「イヤホン? 持ってるけど」

「有線? 無線?」

「有線」

「有線!」


 声を張り上げるメイを訝しみ、目を細める。メイは誤魔化すように笑った。


「流星群を見る丘に人気はないと思うけど、大音量の音楽を外で流すわけにはいかないから」

「ああ、それで。考えてもみなかった」


 わたしだけなら当日になって困っていただろう。そのまま強行した可能性もある。助かった。


「それだけなら放課後でもよかったのに」

「そう思ったんだけど、なんとなく」


 表情に、微かな照れが見えた。


「もしかしてわたしに会いたかったりした?」

「ゆずに!」


 また声が張り上げられた。メイはやってしまったという顔をする。


「何度も大きい声出してごめん」

「いや、こっちこそ変なこと聞いてごめん」


 メイの好きがどういう好きか、まだ答えは出ていない。こんな誘導みたいな質問はナンセンスだった。


「そろそろ授業始まるね。それじゃ放課後また」

「うん。またね」


 メイは照れ気味な笑顔で、自分の教室に駆けていった。

 今日のメイはいつもよりハイテンションだったな。声も行動も。

 踏み込み過ぎたかな。


 翌日、メイは風邪で学校を休んだ。

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