第2話 飽きないですか?

 年に何回か流星群を綺麗に見られる丘があるのは、この町の数少ない自慢だという。

 確かに、それ以外は特徴もない。町の人間は誰もが一度は流星群を見る、と言えば聞こえはいいが、それは誰もが流星群に飽きていることでもなる。わたしやメイもそのひとりのはずなのだけど。


「楽しみだね、日曜日の流星群」

 

 この親友はどういうわけか楽しみにしている。照れ屋の宿命か、顔が少し赤い。

 照れ隠しか、机の上で人に見立てた指を歩かせ、そいつを不規則に倒したり引きずり回したりしていた。最後にはわたしとメイの空になったお弁当箱の隙間に入り込み、動かなくなる。


「楽しみ、かなぁ」


 空き教室の黒板に丸型のマグネットをボコボコくっつけたり取ったりしながら、わたしはぼやく。


「昔から何度も見てるからなあ」

「でも流星群だよ? 絶対綺麗だよ」

「綺麗は綺麗なんだけどなぁ」

「もう。ゆずが誘ったんだけどなあ」

「そうなんだけどなあ」


 マグネットのボコボコをやめ、黒板の上を滑らせてみる。


「せめて記憶でも消せたら新鮮な気持ちで見れるのに」

「記憶はダメだよ!」


 突然の大きな音に振り返る。

 メイは机から身を乗り出していた。


「メイ? それ」

「いくらなんでも、そんなの悲しいよ」

「メイ……」


 わたしは床に転がるそれを指差す。


「お弁当箱、落ちた」

「……ごめんなさい」


 互いのしくじりは引き分けになった。黒板を見ると、さっき離したマグネットが他のマグネットの上にくっついている。

 伸びをして目を開け直すと隣にメイが立っていて、少し驚く。


「そんなに流星群が微妙なら、楽しくなるようにしようよ」


 突然の提案に、わたしは頷くことしかできなかった。


 ◆


 よく記号的の意味を聞かれる。記号的に星が好き。好きなものを聞かれて、そんな言い方をする人はまずいないからだ。

 その質問には大抵、マスコットみたいなの、と答える。


「メイは星も見飽きたなとか、思うことないの?」


 商店街の真新しいポスターが目に入った。周りの壁は年季を感じさせるのに、それだけが異空間を形成している。ポスターは今年の流星群を報せるだけのもの。


「うーん。飽きてないとは言えないかな」


 やっぱり、この町にいればそうだろう。中学の頃、他の町ではここほど流星群が見られないと知ったときは、それなりに衝撃だった。

 だからわたしが好きな星は記号的な意味でしかないのだ。


「でも予定があると楽しみじゃない?」

「そうかな。予定は予定だし」

「ロマンチストのくせにー」


 別にロマンチストを自称した覚えはない。星が好きだからといって、ロマンチストは過言だ。


「ロマンチストにも飽きはくる」

「わたしと行くのに?」

「いつも一緒にいるじゃん」

「そうだけど、もう。自分から誘ったのに」


 あのときはああ言うしかなかった。なんて言ったら怒るだろうな。

 そうこうしているうちに、目的地のCDショップに着いた。流行ってはいないが潰れるほどでもない。この町はそういう店ばっかりだ。

 境界線を越えると、遠かった音楽がぐっと引き寄せられる。大音量は苦手だけど現金なもので、知っているアーティストの曲になると途端に態度を変える。まあ、わたしが好きなアーティストは誰も彼も90年代の人で、西暦2000年代真っ只中の現代にはそうそう流れていない。この店は貴重だ。


「まずはロマンチックな音楽だね」


 流星群を楽しくするためにメイが提案したのは、わたしが前に言った条件を満たすことだ。ロマンチックな音楽はそのひとつ。


「っていうか、わたしがなにを言ったか全部覚えてるの?」

「人気のない丘で夜風に揺れる花と心地いい気候に浸りながら、おいしいお弁当とジュースを肴にして、ついでにロマンチックな音楽をかける」


 一瞬の揺らぎもなくメイは答えた。うぉい、言った本人もろくに覚えてないぞ。


「肴と音楽はともかく、人気と夜風と気候はどうにもならないでしょ、わたし」

「わがままだね」

「冗談のつもりだったよ」

「わたしの告白も冗談って言ってたんだけどなー」


 ぐぐ、言い返せない。

 そう言えば好きの意味を見つけようとは言ったし思ったけど、どうしたら見つかるのかな。適当なCDを裏返して考える。

 本当に冗談だったらどうしよう。いや、それはないな。メイは不器用だし演技もできない。声の調子とたまにくる赤面だけで証拠になる。

 だけど、友情か恋情かなんて、わかりようがあるのかな。


「ゆず、これとかどう?」


 顔を向けると耳が塞がれた。わたしの耳につけられた試聴用ヘッドホンを、メイが腕を回してがっちり押さえている。仕方なく耳に集中すると、記憶を刺激するメロディに乗せた愛が囁かれている。

 わたしは正しく目と鼻の先にいるメイに向けて口を尖らす。


「これ、最近流行りのラブソングじゃん」

「いいと思うんだけど、嫌?」

「現代人の感覚にはどうも着いていけない」

「ゆずも現代人なのに」


 バリバリのじぇーけーなのに。メイはわざとらしい舌っ足らずな口調で呟き、ヘッドホンを棚に戻す。


「星には飽きるくせに昔のミュージシャンには飽きないんだね」

「歴史は深いからね。時代が同じでも違う音楽をくれる。わたしの腰が曲がるまでは飽きそうにない」


 所謂古いアーティストには何年もの時間を潜り抜けてきたエネルギーがある。薄いディスクの中で、そのエネルギーは今も燃え続けてやまない。わたしはそれを感じるのが好きなのだ。

 別に流行り物が嫌だとか、みんな知らないから好きだとか、そういうわけじゃない。


「星も流星群も、もっと違う場所から見えたらいいのに」


 この町で見る限り、星や流星群の形は変わらない。毎年、時間によってある程度の差はあれど、同じものしか見えないのだ。


「でも、わたしと見たことはないじゃん」


 それはそうだろう。中学生になれば、流星群も見慣れてくる。

 けど、なんだろう。今、少しの間だけ、胸がざわめいたような。たまらなく欲しいものが通り過ぎたような、そんな感覚があった気がする。


「あ、こっちはどう?」


 また腕を回された。

 そうするとメイの、からかってるような笑顔から目が離せなくなる。わざとやってるの? そう聞かないくらいには、耳元の音楽は魅力的だった。


 ◆


 そもそもロマンよりロックが好きなわたしは気に入った音楽を見つけられず、音楽はメイに任せることにした。

 その翌日、いつもどおりお昼休みに今日も鍵がかかっていなかった空き教室にメイと来たのだが。


「はい、あーん」


 優しく突き出されたタコさんウインナーを言われるがまま口に入れる。冷めた肉汁が湧き出てくる、ちゃんと焼いたウインナーの味だ。冷凍食品じゃないのか。もうひとつ、突き出されたものにぱくつく。

 いや、なんだこれ。


「わたし、女子高生、なんですけど」


 女子高生の部分を強調して抗議する。しかしメイは上機嫌そうだ。


「女子高生同士でもよくやるって」

「ええい多数派の盾め。いいからタコさんウインナーの作り方を教えるのだ」

「雰囲気で切るんだよ」

「天才かっ!」


 思わずテンションの高いツッコミをしてしまった。頭を冷やそう。

 メイがタコさんウインナーを作るのが得意だとは知らなかった。顔や声は不器用なのに、手先は案外器用なんだな。でも、折り紙とかめちゃくちゃ下手だったような。


「で、どうしてあーん?」

「やりたかったから」

「マジメでよろしい」


 わたしも聞きたかったから聞いた。目的はわかっている。


「わたしは好きだよ、タコさんウインナー」

「ほんと!」

「さっき食べたのは特にね」


 わたしの反応に、よし、と小さくガッツポーズする。今日のお弁当は流星群に向けてわたしに作ってきたものなんだろう。自惚れじゃない、推理だ。あのお弁当箱、お米が入っていない。


「じゃあ次はこれ、ただのブロッコリー」

「せめてマヨネーズが欲しいな」


 あーん、ぱく。本当に茹でただけのブロッコリーだ。言葉はない、黙って視線を返す。


「これは微妙な反応。じゃあ次は……」


 食べ物の好き嫌いは、なんか特殊だな。わたしはどうしようもなくそれが食べたいと思うことはないけど、好きな食べ物はある。小さい頃はよく食べ過ぎて飽きてたな。

 好きって飽きるものだ。流星群も、食べ物も。

 じゃあ、メイは?


「……なんか変なこと考えてるでしょ」

「えっ」


 いつの間にか突き出されていた卵焼きが引っ込められる。


「顔に書いてある」

「わたしの顔見てわからないでしょ」

「わかるよ。親友ですから」


 この前、鉄面皮だとか言っただろ。ずるいな、メイは。


「流星群にも食べ物にも飽きるわたしなら、メイにも飽きちゃうんじゃないかなって」

「わたしか……」


 メイは持っていた卵焼きを自分の口に運び、うーんとうなる。


「わたしは飽きないと思うよ」

「どうして?」

「理由はないけど」

「ないのか……」

「でも好きだもん、ゆずのこと」


 ああ、わたしもメイのこと好きだ。それは間違いない。けど、どういう好きかはまだ見つかってない。すぐ忘れてしまう、蝋燭の火みたいなものかもしれない。


「もう。なに考えてるかわからないけど、いいじゃん、飽きるかもしれなくても。わたしたち、まだ女子高生だよ?」


 キラキラのじぇーけーだよ? メイはかわいらしく首を傾げた。


「……そうだね」


 わたしは笑った。いや、笑おうと努めた。

 笑えているだろうか。少なくともメイの笑顔から、嫌な気配は感じ取れなかった。


「女子高生、だもんね」


 今メイのことが好き。それでいいんだ。未来をマジメに考えるほど、女子高生の肩書きは重くない。今は知りたいことだけ探して、わかりようもないことを考える必要はない、きっと。

 流星群が楽しみになってきた。なにせ、メイと一緒に見るのは初めてだから。

 ありがとう。ふっと出たお礼をメイに言おうとして、口をつぐんだ。

 メイは顔から火を噴いていた。


「わ、わたし、間接キスしちゃった……」


 メイが卵焼きを食べた箸は、わたしに何度も食べさせていた箸と同じ。

 今さら、と思ったが、改めて言われると恥ずかしくなってくる。

 すぐに消えるだろう炎も、今は熱い。

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