その百合は恋情ですか? 友情ですか?
花空青畑
第1章 流星群を見ませんか?
第1話 恋ですか?
学生の交友関係は意外と複雑だ。例えば授業や休み時間を過ごす人と、お昼にお弁当を囲む人は別だったりする。もちろんそうじゃない人もいるけど、わたしは別になる方だ。四時限目が終わるとさっさと教室を出て、隣のクラスにいる中学からの、なんとなく親友と呼べる人を誘う。
その親友は、目の前で形の悪い卵焼きを食べている。中学まではもっと綺麗な卵焼きを食べていたはずだけどな。
「どうかしたの、ゆず」
「メイ、お弁当になにかあった?」
別に聞こうとしていたわけじゃないけど、折角だから聞いておく。
「なにか? ああ、最近自分で作ってるの」
凄いな。わたしのお弁当はまだお母さんの手を煩わせているというのに。話ながら食べている二つのお弁当には、かなりの差があるらしい。主にメイの勤勉さと、わたしのだらしなさ。
「凄いね」
「えへへ。そうでしょ。もう高校生ですから」
胸を張る親友のわたしより一回り大きいそれが目について、大袈裟に水筒を傾ける。椅子が軋み、古めかしい音が他に人のいない空き教室で響いた。
わたしは久坂柚葉でゆず。親友は陽本盟梨でメイ。あだ名というよりは省略した名前で呼び合う相手は、わたしにはメイしかいない。
「花嫁修業ってやつ?」
「花嫁って。もーゆずったら!」
「うぉ」
じゃれあいで背中を叩かれ、わたしは盛大に咳き込んだ。かわいい顔して加減を知らない。
「あ、ごめん」
わたしは慣れっこだから気にはしない。メイもそれをわかっているから笑って誤魔化す。
メイはよく笑う。優等生チックなストレートの髪に似合わず、しかしかわいく。その文句のつけようもない立派なストレートは、髪をいじるのが面倒だから放置している結果らしい。おのれ、髪質にあぐらをかく天才ビジュアルめ。
わたしなんか髪は癖がついていて、どうしてもアホ毛がぴょこんと飛び出す。表情も硬い。胸も現代人にしては控えめだ。
「花嫁もメイなら似合うよ。花なんて言葉をつけるほど綺麗な人はそういないもの」
だからこういうときに仕返しをする。褒め倒す。悪気はない。全部本心だ。メイがお弁当の脇でも存在感を放つミニトマトみたいに頬を染めるのも仕方ない。ちょっと照れ屋なのだ。
「わたしが花嫁なら、ゆずは? 星とか好きでしょ」
「記号としてならね。けど、さすがに星嫁っていうのは」
「素敵じゃない。ゆず似合うよ。かわいいし!」
「うぇ?」
「ふふっ、ゆずのそういう顔、久し振りかも」
自分の顔を手で確かめてみる。まぶたが少し上に引っ張られていた。これは悔しい。
わたしは咳払いし、腕を組み、おもむろに机の上に崩れる。下から見るメイは、男子なら生唾ものだ。わたしからすると、いつもどおり。
「ううむ。メイが花嫁ならわたしは土になりたい」
「そこまで自分を落とさなくても……」
「わたしの意図を汲み取るとはさすが親友。スターを進呈しましょう」
「わ、わーい?」
見えない触れない星を手渡し、困惑気味のメイを眺める。やはり万人受けするかわいさだなこいつ。
お弁当を食べ終えても、すぐには帰らない。黙りがちなメイにわたしから話題を振る。
「この空き教室、誰かが鍵を閉め忘れたのかな」
「いつもなら空いてないよね」
「わたしたちのために誰かが空けておいてくれたりして」
それはないだろう。ジェスチャーで返事すると、あはは、相槌みたいに笑った。
「でもそうだったら素敵じゃない? 教室の騒がしさが苦手なゆずのためにわざわざ……」
「いや怖いよ。わたしがお昼を食べる場所に迷ってるの、メイ以外は知らないはずだし」
「え……そうかな」
「心を読める人間が校内にいるのは、さっき渡した星が光り輝くくらいにはあり得ないな」
「あー、やっぱり適当したんだ」
バレたか。どうせ昼間には星も見えないから、まあいいかと思っていたが。
ふと、メイの顔に微妙な感情が走る。ほのかに赤みを帯びていた。
「星と言えば今度、丘で流星群が見られるらしいよ」
「また流星群かぁ。人気のない丘で夜風に揺れる花と心地いい気候に浸りながら、おいしいお弁当とジュースを肴にして、ついでにロマンチックな音楽をかけたなら、見てみたいな」
「もう! やる気のないことは注文が多いんだから」
そんな益体のない話をしていると、お昼休み終了のチャイムが鳴った。五分後には授業だ。
「そろそろ行こっか」
授業、嫌だなぁ。椅子にもれかかり非模範的な考えを一通り巡らせる。さあ、と立ち上がり、ひと思いに教室へ。
――体が揺れた。
そのまま倒れそうな勢いだったのに、なにかに引っかかったように止まっている。しかし不快感はない。ふんわりした温もりが両脇から体を包み、とろんとした、安心に満ちた感覚が広がる。
「メイ?」
強くまばたきして意識をしっかりさせ、後ろにいる親友の名前を呟いた。
返事はこない。
このままだと本当に眠ってしまいそう。まったく、とんだ小悪魔だな。軽口のひとつでも言おうと、振り向こうとしたそのとき。
「好き」
耳元で重く響いた一言が、わたしの時間を止めた。
わたしの人生を集めても到底敵わない、心からの響き。
大きすぎる感情を受けたせいで、頭が働かない。
こんなに演技派だったっけ? 最初に思ったのはそれだった。
◆
学校からの帰り道をぽつぽつ歩きながら、わたしはいっちょ前に物思いに耽っていた。
「今日は一人で帰るよ」
「あ、お昼のあれ冗談だからね。今時の女子高生はよくやるんだって」
「じゃあね!」
放課後、隣のクラスから駆け込んできたメイは調子外れな早口をまくしたてて、また走っていってしまった。
その顔は、明るすぎるくらいに笑っていた。
腐ってもわたしは親友だ。それが本心でないことはわかる。無理な笑顔の原因が、お昼休みのあれにあったことも。
メイのことは好きだ。でもメイが言っていたのは、たぶんそういう好きじゃない。って、思うのが自然な流れなんだけど。
今までわたしの知る限り、メイがそういうのだという素振りは見せなかった。ドラマの俳優を見る目は間違いなく輝いていたし、少女漫画を読むと翌日は一日中興奮していた。彼女のすべてを知っていると自惚れるつもりはないけど、メイは自分の趣向を完璧に隠せるほど器用な人間じゃない。
やっぱり冗談かな。でもそれも違う気がする。本当に冗談なら、あんなに思い詰めた声は出せない。メイは特に。
ああもう、頭が痛くなってきた。学生鞄を持っている手でこめかみに手を当てる。
ばふ。お腹の辺りを軽い衝撃が跳ねた。
「ご、ごめんなさい」
見下ろすと、怯えた様子の小学生が目を潤ませている。
こういうときメイがいれば。鉄面皮のわたしでは怖がらせてしまう。
「わたしの方こそ」
定型文で返事をすると、小学生が後ろにもつれ込んだ。引かれたかと肩を落としかけたが、違った。もうひとり、友達らしい小学生が腕を引っ張っている。こちらは強気そうだ。
「ほら、わたしがいないと、はしることもできないの?」
「あ、ありがとう。えへへ」
「なにわらってるのよ」
怯えていた小学生は嬉しそうに腕を引っ張られ、強気な小学生に連れられていった。
「――大好き」
駆け足で遠退いていく小学生たちの会話から、それだけがこぼれるように聞こえた。
好きって、簡単に出てくる言葉だな。ただ、込める想いが多すぎるだけで。なら、メイはどんな想いを込めたんだろう。
今頃、恥ずかしさで悶絶していたりするのかな。あの一言が本当に冗談でも、メイには恥ずかしいだろう。
その様を想像してかわいいと思いながら、ひとり小さく噴き出した。
◆
こん、こん、こん、こん。
叩いて待ってみても、隣のクラスのドアは開いてくれない。中から聞こえる騒ぎ声のせいだろう。こういうところに自分から入るのは気が引ける。ただでさえ知らない人がたくさんいる場所には極力近づきたくないのに。とはいえ引き返すわけにもいかない。
もう一度ノックしてみようと手を挙げると、ちょうどドアが開いた。
「あ」
「あれ、ゆず」
ドアを開けたのは目当ての人物だった。ぽかんとして、わたしを眺める。視線は最後に掲げた手を見た。
「お礼参り?」
「まあそんなところ」
ほへー、とかいう変な鳴き声を発すると、教室から出て後ろ手にドアを閉めた。
「どうしたの? もうホームルーム始まるよ?」
メイはいつもと変わらない。いや、変わらないよう見せかけている。さっきから指と指をすり合わせているし、声の調子もはっきりしない。
わたしも、ポケットの中に入れた手をしきりに動かしている。
「昨日のこと、ちょっと」
メイの目がわずかに開く。それでも頬を緩ませ、緊張した笑顔を見せる。
「あれは冗談だってー。今時の女子高生はあのくらい……」
「うれしかったよ」
今度は大きく開かれたメイの目は、同時に揺れてもいた。
「ま、まさかゆずにそっちの趣味があったなんて……」
「いや違うからね」
「わたしとんでもないことを」
「わかってやってるでしょ」
えへへ、バレたか。と小さく舌を出す。清楚な見た目でそういうのが様になるのは不思議なものだ。
「冗談でも、メイに好きと言われたのは嬉しかった、それだけ」
「わたしに?」
「これでも親友ですから」
胸を張ってみせると、くすりメイは笑っていた。
「おうなんだ嬢ちゃん、ないもん笑ってんのかい」
「ううん、なんだかおかしくって」
くすりとしていた忍び笑いはメイの表情に喜びの跡を残していた。あふれた喜色が笑顔を咲かせる。
「わたしからしたら、ゆずの方が素敵だから」
素朴な音が鳴った。
ポケットの中からこぼれた鈴の音だ。思わず、弄っていた鈴ごとポケットから手を出してしまった。
「ゆずは、自分のこと鉄仮面で愛想がなくて適当だなって思ってるかもしれないけど」
「メイ、言い過ぎ」
「そんなのどうでもいいくらい魅力的だよ」
なんて言い返そうか、しばらく考えた。そのうち、胸の奥から上ってくるものに気づいて、手を当てる。
激しく脈打つ鼓動があった。
ただの友達には覚えない、けれど恋と言っていいのか。はっきりしない情動がわたしの中を流れていた。
「ねえメイ」
呼びかけても応答がない。自分の胸から目を離して見やると、メイは顔を赤くしてきゅっと唇を結んでいた。
「ねえメイ。その恥ずかしいはどういう恥ずかしい?」
言い直すとようやく気づいたらしく、目が合った。
「……わかんない」
「じゃあ一緒に探そうよ」
どういう意味? メイは目で訴えかけてきた。
「メイはわたしが好き。わたしもメイは好き。でもそれがどういう好きなのかわからない。友達としてなのか、それとも――」
「恋人としてなのか?」
「そう。友達として好きならそれでいいし、そうじゃないなら、また考える」
「って、もしそういう好きだったら、受け入れてくれるの?」
「どうだろう」
表情と調子を崩すメイに、わたしは微笑みかける。
「今くらい、好きの意味を探してみようよ。だってわたしたち、まだ高校生なんだから」
メイは徐々に笑顔を取り戻し、うん、うんと頷く。
「あ、わたしのはそういう好きじゃなくて冗談だってば」
「はいはい」
「あー! わかってないでしょ!」
「わかってるって」
「ほんとかなぁ」
これは、話を逸らしでもしないと気持ちよく授業を受けれそうにない。
「じゃあ今度の流星群、見に行こうよ」
「え、一緒に?」
答えはチャイムの音に遮られた。だけど大切なことは通じたらしい。後でね、と小さすぎる約束を交わす。
友情か。恋情か。なんて、すぐにはわからないだろうな。だけど、いいじゃない。きっと好きなのは変わらない。
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