45 妖精猟犬<クー・シー>

「<海神の守人アク・ルループ>!」


 呪文を唱えたアイラが大量の水で壁を作り、火球がそれにぶつかる。沸騰しては蒸発する水は熱く湿った白い煙を噴き上げ、霧のように村を包んでいく。火球が煙に飲まれ、その明かりだけが白く濁って揺らいでいるのを見て、女は手を下げた。火が消える。

 女の視界から、三人の姿は白い煙に阻まれて完全に見えなくなっていた。


 だが犬達がある方向に唸り声を発し――女はそれを見逃しはしなかった。正面に居たはずのマットが、いつの間にか女の側面へと回り込んで来ている。剣を振り下ろしたマットに対し、女は腕に巻いていた籠手で受け止めた。金属と金属がぶつかり、鋭い音が響く。

 女の籠手から炎が燃え上がっているが、マットが引く気配がない事を悟るともう片手にも炎が宿った。しかし、それが放たれる前にマットは離れた。


「グドラ、カペラ」


 女の呼びかけに答えて二匹の犬はすぐさまマットへと爪を振り上げた。牛ほどの体格がある二匹の爪は軽装であればいとも簡単に切り裂けるだろう。己の奇襲が失敗に終わったのを察知すると盾と剣を抱えたままだが、横に大きく飛び躱した。

 煙が晴れていく中、多少よろけながらも立ち上がって睨んでくる男に、女はゆっくりと向き合った。

「妙な男だ」

 マットを見つめる瞳に浮かんでいるのは、敵意ではなく、好奇心からくるような色だった。

「お前……なぜここに居る?」

「……どういう意味だ」

 マットは構え直しながらも尋ねる。ここまで距離を縮めており、女の体勢は戦いに備えては居ないようにも見えるが、両脇を守るように立って居る番犬達と、籠手から飛び出すように剣からは隙が感じられない。

「その剣さばき、エルクラットの聖騎士だろう……なぜここに居る?」

「命令だ。貴様こそ、なぜ妖精猟犬クー・シーを連れている。奴らは南から連れ出す事は禁止されているはずだが?」

 あの一瞬でエルクラットの聖騎士だと見抜かれた事に驚きながらも、傍に控えている猟犬達の方を一瞥し、マットは怪訝な表情のまま訊き返していた。その答えを聞き、女はマットを凝視し、仕草を見ては何かを考えるように顎を指でなぞる。


「お前、所属は?」

「なぜ言わなければならない」

「……なるほど」

 なぜ聖騎士の事を一介のエルフがここまで知っているのか――聖騎士だという事を肯定しながらも質問を切って捨てたマットに対し、女は答えにならない答えを聞いても特に苛立つような様子もない。


「ところで、仲間が魔力切れのようだが……いいのか?」


 女のその一言で犬達が唸るのを止め、マットから視線を逸らすと――膝を突いたアイラと、それを支えているミーシャを見据えた。その動きにマットが目を見開いた。そして予想した通り、犬達は地面を蹴り、村人達を無視し狙いを定める。

 傍に居たピナは叫び過ぎたせいか掠れた声で悲鳴を上げた。

「待て!」

 犬達を追おうとしたマットの行く手を女が遮る。そして――今度は刃と刃のぶつかる剣戟けんげきの音が響いた。女の二本の剣がマットの刃を狙い、次々と突きを繰り出す。ブレる剣の刃、その一点を狙う正確な剣さばきにマットは防戦一方となる――明らかな手練れの動きだ。そしてその間にも犬達が距離を詰める。


「貴様……子供に手を出す気か!?」


 女は何も答えず、犬達は牙を剥いたまま足を止める気配はない。先ほどエリアルの両親を食い千切ったままの、赤く濡れた口が開き、舌で拭い切れなかった血が地面へと滴り斑模様を作る。唸り声を上げながら走って来る犬達の前に――ミーシャは飛び出した。

 そして拳銃を突き出すも――マットの意識が自分から僅かに逸らした隙を狙い、女がナイフを投げる。

「きゃっ――!」

 飛んできたナイフに弾かれ、拳銃が地面に転がった。眼前で容易く隙を突かれ、仲間を危険に晒した事にマットは怒りを覚え――盾を構えた。今度は女が盾を狙うも――その盾の中央が十字に輝き始めると、微かだが表情が崩れた。


「<聖なる導き手イヴァレ・テラン>!」

「ぐっ!?」


 二度目の閃光に女は反射的に腕で顔を覆った。大きく出来た隙にマットが盾ごと体当たりを食らわせ、女の体勢が大きく崩れる。地面に頭を打ち付け、視界が晴れると眼前に剣先が突き付けられていた。

 主の呻き声を聞いてか、閃光で怯んでいた猟犬もミーシャ達の目の前で止まり、振り返る。マットが二匹を見据えながらも、剣先を女の喉へと狙いを定めた。


「貴様ら、俺の仲間にその爪一本でも触れてみろ。主人の命は無いと思え」

「お前こそ、勘違いしていないか? 私に何かしたら、それこそ仲間の命はないぞ」

妖精猟犬クー・シーは使役する者が居なければ存在そのものが消えるだろう、こちらはどちらでも構わんが?」

 語気を強めて言い放ったマットに、女はしばらく黙った後でか細く溜息を吐いて手を挙げた。


 犬達は唸り声を上げマットを睨むが、女が手を挙げた様子を見るとその場から動く様子はなく、不服そうにしながらも二匹ともその場に座り込んだ。口周りを舐め、仕留め損ねた獲物を一瞥している。ミーシャはアイラを支えながらも、口惜しそうにしている獣の目と目が合った。

 マットも、緊張が僅かに解けたのか小さく息を吐いた。その様子を見て、女が鼻を鳴らし笑った。


「いいのか、安心して」

「まだ何かする気か?」

「いいや、しないさ……


 女が顔を入口の方へと逸らした。マットも思わず視線を追った。すると、村の入り口の奥から明かりがゆらゆらと揺れている。その数は一つではなく、複数――遠目から見てもハッキリと分かるほど、まるでひしめくように、明かりが群がっていた。

 規則正しく揺れる明かり――何かが、明かりを持ってこちらに移動してきている――その事に気が付くとマットは血相を変えて女を見下ろした。焦りを浮かべた表情を見て、女が勝ち誇ったように薄く笑む。


妖精猟犬クー・シーと違って、奴らは私を殺しても止まらんぞ。どうする?」

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