44 赫月の祝福

 二人の傍には真っ白なドレスに身を包み、片手に剣をたずさえたリンダが佇んでいる。リンダの両脇に居るのはエリアルの両親、こちらは真っ黒なローブで顔がよく見えない。

 リンダの着ているドレスはシスター服とは違い、体の曲線がよく分かる服装にベールで隠れていた髪が風にあおられてなびいている。しかし、その端正たんせいな顔立ちと魅惑みわく的とも言える肉体がかもし出す美しさとは対照的に、二人を見下ろしている表情は氷のように冷ややかなものだった。


「ママ、止めて……! エリアル……ねぇ、エリアル! なんとか言って!」


 ピナが縋り、助けを求めるかのような声を上げ泣き叫ぶも、リンダはその声すら聞こえていないか――無表情で剣を振り上げる。涙を浮かべたピナがエリアルの方を見たが――彼女は視線を閉じたまま、頑なにピナの方へと向かなかった。


 ――少女の瞳が、絶望の色へと染まる。


 女の手では重いだろう剣が、その剣先が彼女の背後へと回った。その手に躊躇う様子はない。視線を逸らしはせず、真っすぐに標的を見ていた。


 剣の標的は――ピナだ。


「エリアル……エリアル! ママに止めるよう言ってよ! お願い……助けて……助けて!!」


 縛られたピナは自由の効かない体を震わせ、弱弱しい声で周りへと呼び掛け……次いで誰に向けた訳でもなく叫んでいた。足元すら分からない暗闇の中で三人が村の中央へ辿り着くより前に、表情を険しくさせたリンダの声が高らかに響き渡る。


 ミーシャは思わず銃を取り出し、剣を狙ったが予想外の事態もあってか、手の震えと走っている事もあり銃身がぶれ、狙いが定まらない――間違えればリンダの命を奪いかねない。


 ――震える指先、引き金を引く手に迷いが生まれた。


「止めて、ママ……こ、殺さないで――!」


 怯え、震え、悲痛なピナの叫びも虚しく、リンダが剣を振り下ろそうとした瞬間――


 その刃に鎖が巻き付き、剣をその手から奪った。空中を回った剣は、民家の屋根へと弾かれて落ちていく。


「何してんのよ! 娘に向かって!!」


 間一髪のところで袖から鎖を放ったアイラが、リンダに向かい怒りを表わにして言い放つ。だが、その怒号を受けてもリンダは冷ややかな目を向け、三人を恨みがましく睨み付けた。

 そして一連の様子を見ていた村人達は無言で松明を足元に落とし、代わりに取り出したのは……近くに置いてあった牛の飼葉を分けるためのフォークだ。三又に分かれており、尖った切っ先を――村人達は三人へと向けた。

 陰と陽炎で揺らぐ視界の中、村人達の目は明らかに正気とは思えない。


「皆さん、どうしたんですか……!?」

「操られているのか!?」


 後退る三人の後ろから、彼らに向かって風切り音がした。

 咄嗟にマットが盾で受け止める。蹴飛ばした松明の消えかけた炎が背後で構えているペトロの顔を映している――目を血走らせ、口端を上げて歪んだ笑みを上げる姿――まさに狂気であった。再び、ペトロが剣を構える。


「くひゃ、あーははははははははは!! ひゃははひゃっ――!!!」


 もはや笑っているのか、ただ奇声を上げているのか区別が付かない。歯を見せ、涎を垂らしながらがむしゃらに剣を振るい続ける父親に、対して、ピナが信じられないかのように目を見開いていた。

 ミーシャを守るかのように立ち回るマットが盾でペトロの剣を弾き、アイラが鎖で村人のフォークを奪い取る。二人の影に隠れながらも、かつて人狼達を捉えたボールを投げ、発砲すると村人達の足を止める事が出来た。得物を失い、地面に拘束されても村人は躊躇ちゅうちょする事なく、三人へ手を伸ばして突っ込んで来た。

 その動きは、もはや死霊に憑かれた者に近い。


「贄を……」

 喧騒の中でも聞こえる静かな声、普段は優しく呼び掛けてくれるだろう母親の声は――全くの別人の物となっていた。傍らに立っていたエリアルの両親たちがピナの両脇に立つ。見下ろしている目は、周りの村人達のように虚ろでは無かったが……正気でも無かった。


「ど、どうする気ですか……パパとママは、どうなったんですか!?」

「贄を……」

「聖女を血で染め、穢れのない乙女の血を捧げよ……」

 赤い髪の男女は小さな、刃が赤く染まっているナイフを取り出した。再びピナは間近に迫る恐怖に「嫌ッ!」と叫びながら、蠕動ぜんどうする虫のように這って逃げようとする。


「エリアル、エリアルゥ!!」


 親友の名を呼んでも、彼女は震えるだけでピナの方へ決して目を向けなかった。アイラが妨害しようとしても鎖を掴み、村人たちが行く手を遮る。苛立たしげにアイラが舌打ちした。

「いい加減にしなよ……!」

 赤い刃が炎の光に照らされる瞬間が見え――ミーシャが悲鳴を上げた。

「ピナちゃん!」


「<夜を謳いし一族ルナクシャル・ミナ>の神よ! 我らに赫月かくづきの祝福を!」

 その言葉と同時にナイフを振り下ろされる。ミーシャが我を忘れ、手に持っていた拳銃の引き金を引く――村全体が、一瞬で閃光に包まれた。


「ぐあぁっ!?」

 眩い光に目を押さえ、苦痛を滲ませた声を上げ、村人やエリアルの両親の手から得物が零れ落ちた。マットとアイラも目を焼かれるような眩さに瞼を咄嗟に閉じたが、光は一瞬だったこともあり、すぐさまアイラが目の前の村人を押し飛ばすと、ピナ達の下へ駆け寄る。


「ピナちゃん、エリアルちゃん、よか――」

「させるかぁ!!!」

 アイラが駆け寄った瞬間、起き上がったエリアルの父親がナイフを拾った。その鬼気迫る表情と、鮮血のような瞳が妖しく光り――怒声を発して晒された歯は、犬歯が鋭く尖っていた。母親も、体をよろけさせ立ち上がる。

「贄を……贄をぉぉおっ――!」


「グドラ、カペラ――行け!」


 狂気に満ちた空気を切り裂いたのは、張り上げられた女の声と――二匹の獣の唸り声だった。突如、暗闇の中から若い牛ほどの大きさをした巨大な犬が現れ、ナイフを構えた男と女へそれぞれ襲い掛かった。松明の明かりで照らされた姿は、体の側面が切り取られたかのように白と緑に分かれており、もう一匹はその左右対称になっている――奇妙な姿だった。

 目が慣れたのか再び視界の開けた村人達の視線が、マット達から外れる。


「く、妖精猟犬クー・シーだと……!?」

 マットがそう驚き、叫ぶと同時に巨大な犬は牙を剥いた。


「ヴルルッ!」「ヴォオォッ!」


 地面へと押し倒され、驚愕に目を見開いた男女の喉が無情にも食い破られた。動脈を切られたのか、血潮が傷から吹き出し、何度かその肉体が痙攣けいれんすると――息絶えた。凄惨な光景に悲鳴を上げたピナ達の視界をアイラが遮る。

 瞬く間に命を奪われた二人に、ミーシャは声にならない悲鳴を上げそうになり咄嗟に両手で口を覆う。地面へと広がっていく、赤い液体――その突然の光景に、マットもアイラも絶句しているようだった。

 だが二人が倒れてまるで吊っていた糸が切れた人形のように、村人が次々と倒れていった。ペトロと、リンダも同じように倒れる。

「い、一体……何が……」


「吸血鬼に操られていた、それだけだ」


 ミーシャの戸惑うような言葉にそう返したのは威圧的な女の声、そして近づいて来る靴音――振り向くと、そこに居たのは褐色の肌に結った銀の髪を靡かせる一人の女エルフだった。獲物を狩り終わった犬達が口に付いた血を舐め取りながら女の下へ戻る。

「貴女は……?」

「……お前たちが知る必要はない」

 女は静かにそう言うと……その手から熱気が放たれた。


「な……!?」

 周りの温度が、どんどん上がっていく。村にあった炎が、小さな灯を含めて女の手へと集まり、まるで三人の目の前へと立ち塞がるように巨大な火球を作り上げた。小さな村の光は消え、女とその周り以外は暗闇に包まれていく。火の粉とすすのせいか熱気と同時に息苦しさを覚え、三人の頬や額に汗が伝っていく。


「<罪を灰に、罰を肺にアグイナ・ディヴォルテ>」


 女は睨み、狙いを定め手を振り下ろすと――火球が煤を巻き込み黒煙を巻き上げながら、村人ごと焼き払うかのように膨らみ、砲弾を思わせる速さで迫って来ていた。

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