33 渓谷の夜は更ける
戦況は目まぐるしく変化し、ミーシャは気を引き締めながらも圧倒されていた。何度経験しても、この殺気の中で足が
一瞬の隙を突いて、ドラゴンはその身をうねらせながらミーシャ達に強襲を仕掛けに来た。今度は火球ではなく、炎を吐きながら特攻してくる。リーンシアが炎を突くかのようにレイピアを突き出した。
再びリーンシアの体が回るとドラゴンの炎を消し飛ばし、その腹部へ槍の如く回転するレイピアが突き刺さった。痛みに炎を吐けず、仰け反ったドラゴンは地面へ背を打ち付ける。だが空中に舞い上がったリーンシアを他のドラゴン達が狙いを定め、牙を剥いた。
リーンシアが空中でその身を翻しながらも剣先を向けるが――
――ダァンッ!!
渓谷に大きな破裂音が響く。ドラゴンが突然走る激痛に自身の翼を見ると、その片翼の付け根は貫通した傷が残り、血が溢れ出していた。上手く羽ばたく事が出来なくなり、バランスを崩したドラゴンは必死に体勢を整えようとするも虚しく落下していく。
その隙にリーンシアが<
銃口を構えていたミーシャは息を深く吐いた。しかし腕は下ろさない。今度はタイタニラが背負っていた身の丈ほどある斧を持ち上げる。そして足を踏み締めたかと思うと――勢いよくドラゴン達へ向かって放り投げた。
「おらぁっ!!」
大振りな攻撃ではあるがドラゴン達の気は連携を搔き乱す狼と、どこからか飛んでくる雷の魔法に向けられている。風切り音を立てながら向かってくる斧に気が付かなかったドラゴンは、そのまま鱗ごと骨を砕かれ空中で真っ二つになった。
数を減らし続けているドラゴンは劣勢を悟ったのか、残りは逃げ出そうと空へ飛び去ろうとしていた。
そこで背にチェイシーとリーンシアを乗せて狼、一斬が戻って来た。
「アイラ、手伝ってくれ」
「りょーかい」
短くそう言うとリーンシアは離れ、代わりにアイラが差し出されたチェイシーの手を握った。次の瞬間、三人の姿は消え――ドラゴンの真上へと待ち構えるかのように表れた。驚いたドラゴン達がその場で止まると、アイラが両手を上げる。
「<
アイラ達の上空に水が渦を巻きながら収束し、巨大な塊となって現れる。そして一斬が水へと手を伸ばした瞬間、塊は一瞬で凍りつき氷塊へと姿を変えた。
「――終わりだ」
一斬が爪を振るうかのように腕を下ろす。それに合わせ、氷塊は悲鳴を上げるドラゴン達の真上へと降って来る。逃げても間に合わず、氷塊はドラゴンの体を空から地面へと叩きつけ圧し潰した。冷たい氷が砕け、皮膚を貫く。ドラゴン達は一鳴きして僅かに
マットが盾を構え、ミーシャやアイラ、リーンシアを守るようにして立って居る中、タイタニラは笑みを浮かべて口笛を鳴らす。
こうして、渓谷からドラゴンの声が消え――辺りには木のせせらぎと川の流れる音だけが残った。
*
「いやぁ、今日は良い戦いっぷりだったねぇ!」
タイタニラが上機嫌にそう言って肉に被り付いた。積み上げられた塊に、ミーシャは遠慮がちに一つ取ってから自分も口へと運ぶ。先ほどまで戦っていた存在――ドラゴンを手慣れた手つきで解体したタイタニラは、至極当然と言った様子で食べ始めた。
ハバースでは普通の事ではあるが、いくら先日にドラゴンステーキを食べたからと言って、目の前で生きていた存在を食べるというのは……ミーシャにとってはまた違った感覚に襲われる。
辺りは暗くなり、戦闘と移動もあってか体は重い。その上、空腹を覚えていてもやはり抵抗はある。
「なんだいあんた、食欲ないのかい?」
「い、いえ」
切り分けられた肉を凝視していたミーシャに、タイタニラが不思議そうな顔をしていたが、慌てて首を横に振ってから再び肉を見つめた。思わず、生唾を飲んでしまう。
そんなミーシャに、タイタニラは呆れたような顔をした。
「まさか、この程度で弱音吐くんじゃないだろうね? ドラゴンの肉は前に食っただろ?」
「そうなんですが、さっきまで生きていたんだと考えると……」
「家畜の肉と一緒じゃないか」
「そういう話でもないだろう」
当たり前のように言ったタイタニラの言葉に横槍を入れたのはリーンシアだった。だがタイタニラは納得が行かないのか「そうかい?」とまだ疑問を覚えたような顔をしている。
「だって、肉は皆食うだろ? どんなに仲良くしてたって、牛の肉は美味いから皆食う。羊の毛だって刈ったり食ったりするだろ?」
「それでも、動いてる姿を見た後だと抵抗も生まれるだろう。宗派によっては禁止している所もある」
「エルクラットの教会連中は肉だって食うじゃないか」
「それでも昔禁止されていた影響か、魚とタマネギのスープ、それにパンだけを食べ続けるものだって居る。一人一人、考えは違うものだ」
そう淡々と述べていながらも、リーンシアは焼き上がった肉を齧る事を止めはしない。ミーシャもそれを見て、空腹も手伝ってか漸く齧り付いた。程よく焙られた肉は疲れもあってか格別に思える。
「なんだい、食えるじゃないか!」
「お腹は空いてて……」
「それでいいんだよ!」
ミーシャが気恥ずかしそうに言えば、タイタニラは歯を見せて笑った。
その後は談笑を交えながら食事を終えて、明日に備え、見張りを立てて眠る事になった。アンデッド達が近づかないよう、神聖魔法による結界も張ってあるとは言え……夜にドラゴン達が襲ってこないという保証はない。
昼は日射しが強く感じたこの場も、夜は冷え込んだ風が流れて来る。火を消さないようにしながら辺りの音に耳を澄ましていると、背後から足音が聞こえ、振り返る。
「お隣、いいかしら?」
隻眼を細め子供らしさのある笑みを浮かべるチェイシーに、一斬は言葉を返さず席を空けた。隣に来たチェイシーはドレスが汚れる事を気にしていないかのように、一斬の傍へと腰かけた。
「眠らなくていいのか?」
「あなたも私も、夜の生き物でしょう? 少しだけなら平気よ」
一斬の気遣うような言葉に微笑んでそう返す。
疲れからか皆が寝静まっている中、焚き火が薪を焦がす音、川の流れる音が大きく感じる。
「調子はどう?」
不意に発せられたチェイシーの言葉に、一斬は隣を
「……まぁまぁだ」
「発作は?」
「今のところはない。俺もてっきり起こすかと思ったんだが」
そこで言葉を切ると、焚き火を見る目がどこか遠くを見つめているようだった。
「ミーシャは?」
「もう寝てるわ、疲れたんでしょうね」
火が風に煽られて揺れている。先ほどよりも冷えたのか、手足が
「もしもの時は頼む」
不意に風の音に混じって、ぽつりと一斬がそう零した。それを聞いたチェイシーは言葉を発し無かったが、静かに一斬の横顔を見つめ――自分も炎の揺らぎに目を向けた。
「約束はしないわよ。すると、そうなりそうだもの」
「悪いな」
「そう思うなら、あの子を悲しませないようにして頂戴」
多少呆れたように言ったチェイシーは立ち上がるとドレスを軽く叩いた。目線が合えば、
それでも、深い蒼には安心感を覚えるのは……背中を預けてきた年数もあるのだろう。
「妹の代わりとして見てるんでしょうけど、あの子は思い出になっていないわよ」
「分かってる」
何かを含ませながらも責めるような、正すような
「本当かしら」
「手厳しいな」
そして蒼の瞳が細められると――その頬を軽く抓った。
「なにひゅんだよ」
「分かって無さそうだったから」
抓られた場所から痺れるような、痛みを覚えない程度の感触がして一斬は驚きながらも睨んだ。無理やり振り払うような真似はせず、好きにさせていると両頬を抓まれて、一斬の眉間に皺が寄る。
最後には子供を嗜めるように、痺れの残る頬を柔らかな両手で包まれた。
「分かってるの?」
そう
「……分かってる」
「なら、いいわ」
逸らす事もなく答える言葉は、迷いがありながらも先ほどのように自棄には思えない。その言葉を聞くとチェイシーは漸く手を離した。
「私、もう休むわね」
「あぁ……おやすみ」
「おやすみなさい」
最初と同じようにチェイシーは微笑むと一瞬で姿を消した。
再び一人になった一斬は、ふと空を見上げた。荒野の乾いた空気のおかげか、星も月もよく見える。特に月明りは、金色の瞳には明確に縁取られている。
「分かってるさ……」
月の下に居れば地に返ったはずの魔力はまた巡って来る。眠るより、走り出してしまいたい欲求が湧いてくる。それを抑えるように辺りの音に耳を立てた。
鳥の鳴き声も、虫の鳴き声も聞こえず、支配者のドラゴンを失った渓谷は旅人の寝息以外に生き物が動く音は聞こえてはこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます