32 クシャライ渓谷のドラゴン

『さて、使い魔の口からで悪いが……この渓谷について話して置こう』

 タイタニラの肩に乗っている小さなドラゴンの口から、聞き覚えのある男――バーンズの声が聞こえた。


 アンデリータから馬車で半日掛けての位置にある渓谷――その名もクシャライ渓谷。ドラゴン達が獲物を探しに来ない、狭い洞窟の中でキャンプを張り、そこから七人だけが渓谷へと向かっていた。眼前には、石土を切り開いて流れたであろう川が続いている。植物が根を張っているものの、鳥の声は聞こえない。原因は――渓谷に住み、空を支配しているドラゴンのせいだろう。


『夜はアンデッド共が湧き、昼はドラゴン共が飛び……さらにズィーガ・グナの出現もあって、この渓谷も今は〝人知らずの渓谷〟とも呼ばれてるな』


 そうドラゴンの使い魔が顎で示した先は、少し離れた位置からでもその険しさが見て取れる渓谷だ。ハバース荒野の数少ない川の一つもここから流れており、崖の上には僅かに緑が生い茂っている。時折、小さな点のようではあるが何かが飛んでいる姿が見え、離れていても鳥ではあり得ない咆哮が聞こえてくる。


『見えると思うが……既にこの地はドラゴン共に押さえられている。リザードマンがたった三匹で通れるほど甘くはない。最悪、探し人は骨になっている事を覚悟しておいた方がいいだろうな』


 それを聞いたミーシャは表情を曇らせ、ノイ達の顔を思い浮かべる。バズはこの場に居ないが、彼らが危険な渓谷へ向かったと聞いて、人とは違うがその顔が青ざめて見えたほどだ。出発前に「必ず見つけてくれ」と頼まれた事を思い出した。

 だがタイタニラは真剣な表情の六人に対して、大口を開けて笑い始める。

「なぁに、こっちにはドラゴン退治の玄人が居るんだ。あんたらまで骨にする気はないよ!」

 彼女が笑ったせいか、大きく揺れる肩の上で小さなドラゴンが足元を固定しながら溜息を吐いた気がした。

『……話を戻すが、お前達が通る道はかつてキャラバンが行商に向かう際に使っていた道だ。元々はドラゴンの数も多くなく、我々だけでも対処は可能だった。だが通行禁止になってから、各村の状態は不明なままだ』

「だから一刻も早く奴を仕留めて様子を見に行きたいんだけど……いかんせん、町周辺にもドラゴンが出没するような状況でね。いやー、あんたらが来てくれて助かったよ!」

「うーん、利用されてる感が強いなぁ……」

 悪びれもなく快活に笑い飛ばしているタイタニラに、アイラが苦笑しながらそう零した。ドラゴンはタイタニラを一瞥してから話を続ける。

『ズィーガ・グナの討伐が完了され次第、この使い魔を通し連絡して貰えればこちらからキャラバンを出発させ、物資と食料を届けさせよう。そこから村へ向かうと良い……では、健闘を祈る』

 そこまで言うと小さなドラゴンは口を閉じ、瞳から理性の色を消すと辺りを忙しなく舌を出したり仕舞いながら見渡す。タイタニラはその顎を撫でてやりながら「さぁて」と渓谷へ目を向けた。

「あんた達、覚悟はいいかい?」

 口の端を上げて見せた彼女が一斬達にそう尋ねると、皆が目を合わせて頷き合った。


        *


 渓谷の広いとは言えない崖に囲まれた道を、久方振ひさかたぶりに旅人が通っている。高い場所へ生い茂る木に囲まれていながら、さらに高い岸壁がその道に暗い影を落としていた。じっと様子を窺っていたドラゴン達は……旅人を新たな獲物と踏んだようだ。

 崖の上から様子を見る者、空洞から目を光らせていた者……皆一斉に体躯に見合った翼を広げる。赤土で出来上がった岩肌によく似た鱗が、日射しを受け赤く輝く。タイタニラの肩のドラゴンが威嚇音を放ち始める。


「――来るよ」


 その蝙蝠に似た巨大な羽を広げる姿が見えた瞬間、戦闘を歩ていたタイタニラが足を止めた。殺気を向けられ、全員が各々に得物を引き抜く。そして斧や剣、刀の刃が隙間から射した光を反射すると――ドラゴンの丸い琥珀のような瞳が見開かれた。


「ギシャアァッ――!」


 けたたましい鳴き声が響いた瞬間――ドラゴン達が崖を蹴り、その身を翻し獲物へと牙を剥いた。数はおよそ九匹、タイタニラより二回りほど巨大ではあるが通常のドラゴンよりは小さな部類になるだろう。

 しかしそれでもドラゴンだ。空中に舞い踊り獲物に向かいながらも、牙の隙間から獲物を甚振るための炎が煌々と燃え盛り始める。

「アイラ!」

「了解!」

 ドラゴン達の口から炎が見えた瞬間、リーンシアの掛け声と共にアイラが手を広げる。その手から水の玉が放たれると一瞬で全員を包み込み、半球体の壁が展開された。

<海神の守人>アク・ルループ!」

「シャアァッ!」

 ドラゴンの口から火球が一斉に放たれるが、水の盾は全てを吸収するかのように水面に波紋を作るだけで破れる事は無い。水に熱が加えられた事により、水蒸気が発生し白い煙が舞う。標的の姿が隠れたものの、ドラゴン達は連続で攻撃を仕掛けるべく、次の攻撃に備えてまた炎を溜め始めた。


「――グギャァッ!?」


 しかし、その目論見は阻止される。上空から何かがドラゴンへ奇襲を仕掛けて来ていた。翼を持たないはずのその生き物は、暴れ狂うドラゴンの鱗を貫き爪を突き立て、牙を剥くと振り向いたドラゴンの喉元へと噛みついた。

 ドラゴン達が仲間の悲鳴に目を向けると、一匹の狼が襲い掛かっていた。人の骨格を残したその姿は、先ほどの旅人の中には居なかったはず――いや、そもそも翼もないのにどうやって奇襲を仕掛けて来たのか。

「ギィッ! ギィイィ――ッ!!」

 苦しみ悶えるドラゴンは翼をばたつかせながら動き回り、自分を襲う狼を振り払おうと必死だ。だが狼は時折足が空へ投げ出されながらも牙は外す気配は無く――さらに手に握っていた刀を背へと突き刺す。激痛に苦痛の帯びた悲鳴を上げ、ドラゴンが回転し血潮を飛び散らせながら地面へと落下して行った。


 ドラゴン達が一斉にどこから敵の襲撃が行われたのかと首を持ち上げ辺りを見渡すが――


「<天揺るがす槍ライ・カルナ>!」


 そんな女の声と共に別のドラゴンへ雷撃で形成された槍が突き刺さった。腹部を貫かれ、落雷でも落ちたかのように――悲鳴すら上がらず落下していく仲間に目を見開く。次は二匹のドラゴンの首に、鎖が巻き付くが否や地上へ引きずり下ろそうと引っ張られ始めた。

「そぉら……よっと!!」

 アイラが飛ばした鎖をタイタニラが掴み、ドラゴン達を引き寄せる。その巨体を支えている翼をいくら大きく動かしても、巨人族の腕力は岩をも動かすものだ。翼も羽ばたきで吹き荒れる風にも怖気づく事もなく、タイタニラは不敵な笑みを浮かべる。


「さっさと……落ちろッ!!」


 そう声を荒げた瞬間――鎖の力が一瞬緩んだ。しかし次にはさらに強い力で引っ張られ、ドラゴン達は勢いよく地面へと叩きつけられた。敵の攻撃に備えてドラゴン達は急いで立ち上がるが、眼前には剣を構えたリーンシアが立ち塞がっている。

「<蝶の羽ばたきゼラナ・フーカ>!」

 呪文の声が高らかに響きどこからか風が吹き始めた。ドラゴン達が翼を広げようとしても向かい風となった強風がそれを遮って来る。その体が持ち上がり、前足が浮いた瞬間――リーンシアが一歩踏み出すと体は宙へ浮き、追い風を受けながら勢いよくドラゴン達へと向かっていく。


「<妖精の剣舞ゼラナ・バイクス>!」


 声と共にリーンシアの体が回転を始めレイピアが突き出される。矛先と化したような細身の体が、目まぐるしい速さでドラゴン達の間を通り抜ける。さらに猛烈な風が吹き抜け、ドラゴン達の体が完全に晒されると同時に――厚い皮膚へ亀裂が走った。


「ギィイィッ!?」


 喉や肺、さらには腕や足に……無数の裂傷が赤い線となって浮き上がり、先ほどまで無傷だった土色の皮膚は真っ赤に染まり上がった。風が止むとドラゴン達は支えを失い、その赤い巨躯は重い音を立てながらその場に沈んだ。

 リーンシアが振り向きもせずに剣を振るうと赤い滴りが地面へと飛ぶ。


 次々と落とされていく仲間に、上空のドラゴン達が喉を震えさせ怒号を轟かせた。

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