23 夕日が刻む思い出

 そこから静かに淡々と、まるで本の中に仕舞われた物語を語り掛けるよう、一斬は窓の外を見て――この町の向こう、そして海の先にあるだろう故郷を思い出すよう話し始めた。彼が最後に人だった頃の記憶を。

 ミーシャはその言葉を静かに。凄惨な光景を思い浮かべながらも、声を上げる事もなく聞き続けていた。ぽつり、ぽつりと話し続けていた一斬の口調は落ち着いていた。


「――俺の家族を喰らった男はカトリアンナの用心棒だった。羊の肉を狙う魔物や野犬を追い払う仕事をしていたらしい。名前はクランク・ベルアート。生きていたら、もう五十近くだろうな」


 だが、その話をした途端に眉間の皺を深くし、苦痛が滲み出たような――そんな表情へと変わった。


「もう、あいつを殺したのも二十年も昔の話だ」

「じゃあ、あのお墓にあったのって……」

「ペンダントは磨くようにしてる。十年に一度、あの日を忘れないように。前は御者に頼んでたんだが……あの日は偶然、俺が自分で持っていく事になった。二十年も経ったからな、あの墓の前に立てばどんな気持ちになるか……確かめたかったのもある」

 そこで一度言葉を切ると、長く、細い溜息を漏らした。


「こうして人狼の身になると、人を喰らいたくなる衝動がどれ程かも身を以て知った。あの男がどんだけ耐えて、見知った奴を喰らうのをおそれて逃げるしか無かった事も分かった」

 最後の言葉と同時にミーシャの方を一瞥して、彼女の表情を確認するよう覗き見ると再び窓の外へと視線を戻し、口を開いた。

「憎くて憎くてしょうがないさ、これだけ年数を重ねても薄れる事は無かった。時間が経てば知らずに済んだ苦痛も続いて、あの墓の前に行くともう一度あの男の首をねたくなる。だが同時に、もっと方法があったんじゃないかとも考えるようになった。あの時……殺さなくて済む方法をだ――」

 合間に呼吸を挟みながらもせきを切ったように、まるで溢れたように一斬から出て来る言葉に、どう声を掛けていいのか、ミーシャからの返事はない。代わりにただ彼から目を反らずに次の言葉を待った。

「今の俺の気持ちは人狼として同族に同情しているのか、それとも家族への想いが無くなって行ってるのか、自分でもよく分からなくなる。答えは、まだ出ない。ただ惰性だせいのまま生きている気がして、どうしてここに俺が居るのか、叫びたくなる時もある」

 話し終わると一斬は顔を上げた。

「……軽蔑したか?」

 探るような目を向けられるがミーシャは少しだけ間を開け、首を横へ振った。

「いいえ」

「人を殺していてもか」

 低く、しかし確かめるように一斬はさらにそう言った。半ば睨むような目を向けられても、ミーシャはもう一度首を左右へ振る。

「確かに人を殺したあなたの罪は許されないです。でも、あなたは後悔してる。私だって、お父さんが危なくなったらどうするか分かりません。だから……私はあなたを責めるなんて出来ないです。その資格は私にはないと思うから」

 一斬がその言葉に目を見開いて顔を向ける。ミーシャの表情は咄嗟とっさにそう返した訳でもなく、狼狽えている様子でもない。ただじっと、静かに一斬へと向き合っていた。泣き出しそうな顔をしていた昨日の子供らしい一面が感じられない――初めて会った時の事を思い出す。

 ここ数日で随分とこの少女に助けられてしまっているものだ――そう一斬は心の中で自嘲した。

「それに……軽蔑されると思うなら、どうして私に話してくれたんですか?」

「命がけで救ってくれた奴に、デカイ隠し事するのは性に合わなかっただけさ」

 いつの間にか笑みを浮かべ、当たり前のようにそう返す一斬に対し、ミーシャはその言葉を聞くや否や表情を曇らせ俯いた。握り締める手がスカートに皺を作る。

「私、そこまでして人を食べたくなかったあなたに……血を飲ませてしまいました」

「助けようとしてくれただけだろ」

「あなたの後悔は今の私が思っている事ですよ。他に方法があったはず……いえ、んです。魔素を回復させる薬、先生が持っていたのに……取りに行けば――」

「あんな混戦状態な中に子供が飛び込めるもんか。自分を過信し過ぎだ」

 絞り出したであろう悔しさを滲ませた言葉を遮って、一斬は戒めるよう言った。その一言だけでも、それが様々な経験から出たであろう言葉である事はミーシャにも理解できた。

 口を閉じ、気落ちしている様子のミーシャの頭に手を置くと、慰めるよう一斬が髪を撫でた。

「お前はよくやってくれたよ、感謝もしてる。ありがとうな、ミーシャ」

 その言葉と手の温かさで――今まで涙を堪えていたミーシャは、泣き出しそうになってしまった。

「怒ってないんですか?」

 涙声雑じりでそう言うと一斬は撫でる手を止め、しばらくキツく瞼を閉じて震えるミーシャを見て「そうだなぁ」と考えるような仕草をして見せた。

「強いて言うなら……」

 そこでもったいぶるように言葉を切る。何を言われるのか……心臓がうるさく鳴り続け、ミーシャが目を開け顔を上げると……目の前に一斬の手が伸ばされ、そして――


 ――ぺしんっ!


「あいたっ!?」

 軽い乾いた音と同時に、額に小さく痛みが走った。


 思わず額を押さえたミーシャの瞳から、涙がぽろりと一粒だけ零れる。目の前に居る一斬は、悪戯が成功した子供のように笑い出し始めた。どこかで見たような、既視感しかない光景だ。

「お前さんは今後、考えるより先に体が動く猪体質をどうにかするこったな」

「い、猪体質……」

 また言われた……! とミーシャが額を押さえながらショックを受けている顔をしていると、一斬がさらに大きく声を上げて笑い――そして歯を見せて意地の悪い顔を見せる。

「これからもよろしく頼むぜ、ミーシャ」

 その言葉に張り詰めていた気が緩んだのか、ミーシャの顔には自然と零れるように笑みが浮かんでいた。

「……はい、これからもよろしくお願いします。一斬さん」

「そういえば……お前にはまだ見せてないとこあったな、そこ行こうぜ」

「はい」

 二人は古びた家から出ていく、先を歩いている一斬の背を見ながらもミーシャは不意に立ち止まり……改めてを見上げた。かつての一斬達がどういう生活をしていたのか、それは想像の域を出ない。しかし、考えずにはいられなかった。

 ふと耳を澄まして聞こえる声に辺りを見渡せば、子供達のはしゃぐ声がどこからか聞こえ始めた。

「おいで、おいで、緑の獣クランカ。その毛で編もう、お前の服を……」

 古い唄なのだろう、遊びながら口ずさんでいるのか、弾むような調子リズムで心地よく響いてくる。

「ミーシャ、行くぞー」

「はーい」

 呼び掛けてくる声に明るく返事をして、ミーシャは古びた家へと背を向け一斬の方へと走って行った。

           *


「あの、一斬さん、アレはなんですか?」

 屋台の屋根の下、ぶら下がっている小さな筒がいくつも付き、筒同士が触れるとからからと音を鳴らしているのが気になった。木細工だろうそれを見て、一斬に尋ねるもしばらくの間考え込んで……返事は「分からん」の一言だった。

「なんだろうな、ありゃ」

「さっきからそればっかりじゃないですか」

「必要なもんと頼まれたもん以外は買わねぇからなぁ」

「誘ったのは一斬さんなのに」

「いやすまん」

 答えは先ほどから同じだが雑にあしらわれている訳でもなく、眉間の皺や唸っている様子から本気で分からないらしかった。ミーシャは呆れながらも「仕方がない」と違う商品を見回して行った。


 港近くの市場は客からも人気が高い。毎日入れ替わる商品、そして船に乗ってやって来た客や外の国から来た客に声を張り上げながら客寄せを行っている。遠くから見て、その声を聞いていても活気が溢れている事が分かるほどだ。数多くの店がこの港で市場に参加したがるのだから、国から店を出す許可を貰えなかった者がたまに紛れ込んでこっそり商売している事もあるという。


「まぁ、だからここではあんまり魔法具は買わない方が良いぞ」

「どうしてですか?」

「粗悪品が多い」

「私には分かりませんよ……」

「なら、こういうのはどうだ?」

 そう言って一斬が取って見せたのは、一見普通のランプに見えた。だが細かな透かし彫りが、目を引いた。彫られているのは翼とはまた違うきめ細かな羽を生やした妖精たちで、ぐるりと一周すればまるで回り、踊っているかのようだ。その美しさにミーシャはたちまち興味が沸いた。

「これは?」

「魔物除けだな。たぶん蓋辺りに詠唱が書いてあるやつで、これはちゃんとしてると思うぜ」

「分かるんですか?」

「半分魔物の言う事だ、信じていいぞ」

「……そういう冗談は止めましょうよ」

 どう反応していいか困ってしまう事を軽く言われてしまった。そんなミーシャの困ったような考えが伝わったのか、一斬は「悪い悪い」と悪びれる様子もなく謝るとランプを手渡す。じっくりと眺め、色んな妖精の姿が蝋燭の淡い光に照らされてる様を思い浮かべた。

「綺麗……」

 灯りを点った姿をまだ見てはいないがきっと美しいだろう――そう考え、思わず小さく呟いていた。値段もそこまで大したものではない。これくらいだったら……と、ミーシャが持っていこうとした瞬間、一斬にランプを取り上げられてしまった。

「俺が買ってやるよ」

「えっ、でも……」

「助けて貰った礼にしちゃ安すぎるくらいだろ」

 そう笑いながら一斬はミーシャが止める前に、店主に向かい金を投げてしまった。突然コインが投げられると驚いて慌てふためきながらも両手で受け止め、そんな店主の元へ一斬が歩いて行く。そして会計を済ませるとランプを持って戻って来て、再度ミーシャへと手渡した。

「ほら、これはもうお前のもんだ」

「あ、ありがとうございます」

「いいって」

 少々気恥ずかしい気がしたが、先ほど美しさで目を引いた時よりも、そのランプがずっと大事な物に思え、両手でしっかりと離さないように抱えた。


 そして、二人が外へと出ると――


「人狼だ」

「人狼がそこに居るぞ」

「どうして表を歩いてるのかしら」

「信じられん、あんな事があった後なのに」

「<人喰い>だろう、あいつは」


 ――そんな声がどこから聞こえてきた。


 ひそひそと誰かの囁く声が少し離れた場所から聞こえる――そんな言葉が耳に残っては心に酷く爪を立てるような痛みを呼ぶ。振り向いて何かを言いたい衝動に駆られるが、こんな大勢の居る場所で大声を出すのもはばかられた。こんな時だけ中々思い切りの良さが出せない自分が、ミーシャは歯がゆくなる。

「……今日は別れてから帰るか」

 見上げた一斬の表情はこちらを気遣うものだった。そんな顔をして欲しくない――そう強く思う。だからミーシャはランプを片手にぶら下げ、もう片手で一斬の手を取り強く握る。

「一緒に帰りましょう」


 そして驚いた顔をしている一斬に――精一杯、笑って見せた。


 その表情に言葉を失った一斬はしばらくの間、握っている少女の手を見つめ続け、振り払う事はしなかった。周りのざわつきが大きくなったような気がしたが――今はどうでもいい事のように思えた。

「そうか」

 短く返した一斬は、ミーシャの手を引いて市場の中を歩き始めた。その背に刺さる視線の数も、もはや些細ささいな事だった。


 船が返ってくる事を告げる――何度も響く鐘の音、女達や子供達が家族の無事を願いながら港へと迎えに走って行く。狭い路地から出ていく見窄みすぼらしいその見目に、眉をひそめる者も居る。

 帰路を行けば、通りの先ではもうすぐ赤く染まるだろう太陽が町を照らしている。あの日の夕刻に見た凄惨な事件は、一生忘れる事はないだろう。まだ多くの謎を残している彼女の……ナーシャ・ヒュイの死を悼む人も居るはずだ。踊り子仲間だったローレライがそうだったように。


 だからこそ、願わずにいられない。


 ――どうか、今宵も、そして明日も誰も悲しみに暮れる事がないように。


 隣に歩く存在を離さぬよう、そして無事に誰しもが帰れるよう、そう願い港に背を向ける。


「妹とこうして手を繋いで帰った事が何度もあったなぁ」

 そう呟き、ミーシャに笑い掛ける表情は柔らかく縁どられていた。

「お兄さんの事、大好きだったんですね」

「甘えたがりだったよ。兄貴も可愛がってたし、親父もお袋と妹には弱かった」

 そう呟いた一斬は懐かしそうに、どこか遠くを見るように目の前の道を見ている。


 ――夕日が彩る思い出は、悲しみだけじゃない。


 一斬のように前を向いて歩いていくミーシャは、その手を強く握ると……そう思わずにはいられなかった。

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