三章 エルクラットから離れて

24 交差する思惑

「人狼を迎え入れたのが全ての始まりでしょう!」

「何を言うか、元々は教会の落ち度です。それに戦ったのもまた人狼、その事実を無視できるはずがない!」

「しかし亜人による被害はこれで何度目なのですか、交流が栄えてる分だけ犯罪が増え続けている。聖騎士団だけではとても間に合わないのですぞ!」

「その人員不足は貴殿らの問題であろう!」

 ここは教会、場所は教会が独自で持っている裁判所。議題はもちろん、先日に行われた人喰い事件の話だった。しかし先ほどから怒号が飛び交い、話が進んでいるようには思えない。

 裁判所で特に目立つのは、全ての席が見渡せるほど高い位置に居る三人の人物だった。


 一人はすらりとした体つきがよく見える、黒のドレスを着た白銀色で、短くもきちんと整えられた髪をした女だった。片手には緑色の大きな宝玉を中心に、装飾が散りばめられた木の杖を握り、腕も足も組んではじっと目を閉じている。


 一人は黒の法衣を着込んでいて、細身だがしっかりした体躯をしていた。こちらも整えられた黒髪に短い黒ひげを鼻の下に生やした男で、目つきは悪い。右手には銀色の大きな十字架、金色の装飾が先に付いた杖を握っており、先ほどから様子を見下ろしつつ、空いている左手の指先はひじ掛けをこつこつと叩いた。


 そして最後の一人は――


「止めよ」


 その一喝と同時に金属と金属が触れて反響する音が裁判所全体を包む。その瞬間、今まで怒号を飛び交わせていた人々の声は一斉に止んだ。

 音を響かせた大きな杖の色は黒く、鈍く光を反射していた。鉄の色とも違う黒は目を引くが、持っている男も赤白に金のラインが入った衣装に、赤く分厚いマントをなびかせている。体躯が良く、金色の長い髪と堀が深く整った顔つき、明らかに周りとは一線を引いた風格があった。


 エルクラットを統べる皇帝――ガダール・エルクラット七世、それが男の名だった。


「……相変わらず、権力には弱いですな。各々方」

 静まり返った裁判所で嫌味を籠めたように笑ったのは、両手足を拘束され証言台へと立って居る男……ノグレスだった。嘲笑う言葉にすぐさま罵声を浴びせる者も居たが、遮るように先ほどと同じ大音響が裁判所へと響いた。そして、黒い杖を持ったガダールは立ち上がり、口を開く。

「ノグレス・C・ドルクアよ」

「ハッ、陛下」

 ガダールに呼ばれるとノグレスは姿勢を正し、拘束されているにも関わらず頭を下げた。

「今なお其方そなたは我が国、そして我に対する忠義はあるか?」

「……お言葉ですが陛下、私の忠誠は本物と自負しておりました。それも、数か月前までの事です」

「どういう事か?」

 顔をしかめたガダールに対しノグレスは顔を上げると背を伸ばし辺りを見渡し、目じりを吊り上げ、言葉を放った。


「私は真実を知ってしまったのです、陛下」


 その言葉に辺りが騒然となったが、ノグレスがそう発した瞬間に足元には魔法陣が展開され始めていた。静かに状況を見ていた者達も、突然の事に驚いて椅子から立ち上がる。

「アレは転移魔法……!!」

「誰か! 止めよ!」

 衛兵が止めに入ろうとしたが、ノグレスへと近づこうとした瞬間に火花が飛び散る。槍先が通らず触れた瞬間に弾かれ、魔法はぶつけても消滅していく。

「だ、駄目です! 強力な結界が張られています!」

「一体どうやって……!」

「覚えておくと良い、皆々様。惰性を貪れば、この都市……いや、ルミナルク地方だけの問題ではない。北のコンカラット、東のハバース、南のルルイル……各地方に存在する数多の命が危機に曝される事でしょう」

「絶対に逃がすな!」


「さらばだ、愛しき我が故郷よ! そして聞くのだ、私の声が届く者達よ! 亜人とは何かを探るのだ!」


 高々と声を上げたノグレスの姿は魔法陣が眩い光を発したと同時に――その場で霧散むさんしたかのように、その姿はそこに無かった。


            *


 ――聖騎士団本部、会議室。


「貴公らも知って通り……元聖騎士団長、ノグレスが裁判の最中に行方をくらませた」


 はっきりと淀みもなく発せられたデアノブの言葉に、各隊長はざわめく訳でもなく……ただ一人、青ざめた年若い青年だけは落ち着かない様子で手足を動かしている。

「結果的にリーンシアの忠告は当たっていた。外部犯……しかも共犯者は我が聖騎士団の長。我ら聖騎士団の信用は、地に落ちたも同然だ」

 静かにそう言ったのは顔に傷のある、恰幅がいい浅黒い肌の男だ。しかしデアノブはその言葉に周りを一瞥いちべつした後で、息を僅かに吸い込んだ。

「その件だが……ノグレスの件は公表しない」

「本気なのか? デアノブ」

 驚き、そして咎めるように言葉を放ったのは赤く短い髪の女だ。しかしデアノブは大儀たいぎそうな態度を見せながら、その女へと鋭い視線を向ける。

「ベイシー、よく考えろ。いいか、さっきグレプシーが言った通り、共犯者は我らが聖騎士団の長……しかも既にリーンシアから聞き、本人が自白していた通り、その身は悪魔に魅入られていた。それを公表したとして……我ら教皇の立場が、今のままで居られると思うか?」

「だが……それでは民衆にはなんと説明する気だ? 犯人はこの町で確認出来ている人狼の誰でもないんだぞ?」

 デアノブが口早に、有無を言わせぬように喋り終えるが、女……ベイシーは納得がいかない様子で食い下がる。だが、その言葉にデアノブは「ふむ」と考えるように顎を擦った。その仕草が妙にわざとらしく思え――リーンシアは嫌な予感がした。

「おぉっ、そうだ」

 何か思いついたように、デアノブはリーンシアの方に視線を向けるとまるでせせら笑うかのような表情を見せた。

「人狼を誰か一匹、捕まえればいいだろう?」


 ――その言葉が言い放たれた瞬間、机が強く叩かれる。


 その音に青年が大きく肩を跳ねさせた。全員がリーンシアの方へと視線を注いだ。彼女は立ち上がり、怒りに満ちた瞳でデアノブを睨んでいた。デアノブは笑みこそ消したものの、慌てる様子も怖気づく様子も見せず静かにリーンシアを見つめている。

「本当にそれでいいと思ってるのか? 民が納得するとでも?」

 這うように低い声に、デアノブは呆れたような顔をすると溜息を吐いた。

「いい加減、現実を見ろリーンシア。町を歩けば人狼共を早く捕まえろと、そんな話題ばかりだ。人間は証拠や理屈より、時に感情で……自分の信じたい物のためなら真実など、どうでもいいと考える。亜人のお前には理解できないかもしれんがな」

「私は反対だ」

「お前の意見なんぞ――」

「それは、私も反対だな」

 デアノブの言葉を遮ったのは、恰幅の良い男……グレプシーだった。静かだがそう言い切った声に、デアノブは驚いた様子だった。まるで、反論される事が予想外だったと言わんばかりに。

「……なんだと?」

「反対だと言ったんだ、デアノブ」

「アタシも、それには納得できない」

 突き放すようなグレプシーの言葉、そしてそれに続くように強く言い放ったのはベイシーだった。デアノブは唖然としながらも、次には怒りを浮かべて拳で机を叩く。

「お前ら……! 俺は団長代理として言ってるんだぞ!」

「まだ決まった訳じゃなかろう。次の団長を決めるのは教皇……アモン・クレイディー様だけだ」

「だから――!」

「お前がいくらアモン様の子だろうと、今はまだ一介の部隊長に過ぎない……口が過ぎるぞ、デアノブ」

 グレプシーが目を細め、圧をかけるように睨んだ。その眼光に、デアノブが僅かに怯む。そして気圧されたのか、腹立たし気な態度は崩さないまま焦った顔へと変わり舌打ちをした。敵意を剥き出しにしたデアノブに対しても、グレプシーは表情は岩のように硬く変わりはしない。

「……覚えておけよ、グレプシー。お前こそ、第三部隊の長でしかないんだからな」

「元より、そのつもりだ。アモン様の立場を考えて、ノグレスの件は伏せる。その点は賛成している。だが人狼達はまだ捕らえておく必要はなかろう」

「お前……そんなにあのとやらが大事か?」

「その事と今回の件は関係ない。だが……民の不満をよく聞いているお前の意見も、私は尊重したい」

「グレプシー……まさかと思うが、無実の者を捕まえる気か?」

 リーンシアが疑うような眼差しを向けると、グレプシーはその鋭い視線をなすかのように首を横へと振った。

「安心しろリーンシア、そのような一時凌ぎをするつもりはない。だが、かと言えど民の不満を看過は出来ぬのでな。そこで、だ。コナカルルの宿の者達はノグレスから依頼を受けていたな?」

「……あぁ、あの<人喰い>事件の犯人を捕まえろという内容だったそうだ」

「ならば、その依頼を完遂させるよう促そう。彼らに各地で情報を集めさせる。無論、リーンシア……マットと共にお前も同行して貰う」

「はぁ?」

 怪訝そうな声を上げたのはデアノブだった。先ほどから思うように事が進んでいないのだろう、苛立たし気に爪先が机を叩いた。

「あの依頼は無効だろう?」

「いいや、現状、我が聖騎士団の長から正式に依頼されたものとして扱われる。そしてアモン様が団長を決めぬ限り、その書面に書かれた効力は我々の誰にも止める事は出来ない」

 グレプシーが話す内容にデアノブは耳を疑うかのように困惑した様子で、ただただ絶句している。周りが異論を上げない事を確認し、グレプシーは話を続けた。


「これならば、民が一番恐れている存在……人狼の中でも一斬は別格だ。町から離れる事で多少は民も安堵出来るだろう。それに<夜を謳いし一族ルナクシャル・ミナ>が絡んでいるのなら……事態は急を要する。我らとて手段は選んでいられぬ。違うか、デアノブよ?」


 グレプシーのただすような言葉、そして一斉に視線を注がれたデアノブは何か言おうと口を開いては閉じ……やがて舌打ち一つすると席を立った。

「勝手にしろ。ただし何かあった場合は……てめぇの首は胴体とおさらばする事になるぜ、グレプシー」

「無論、責任は私が取ろう」

「なら後はてめぇらで決めろ。ポール、伝達は任せるぞ」

 デアノブが視線を向けた先は年若い青年だった。ポールと呼ばれた青年は呆然と様子を見ていたが、デアノブに声を掛けられた事で過剰なまでに肩を跳ねさせ、反射的に背を伸ばす。

「は、はいっ! お、お任せを……!」

「……ならいい。じゃあな」

 先ほどまでの剣幕はどこへ行ったのか、デアノブは話に興味を無くしたように欠伸一つするとさっさと部屋から出て行ってしまった。扉が閉まるや否や、グレプシーは呆れた様子で目を伏せ、小さく溜息を漏らした。


「相変わらず、勝手な男だ……」

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