21 幕を閉じるのは銃声と獣の雄叫び
リーンシア達と対峙していた人狼は響いた発砲音から少女が一斬の口元へ己の血を分け与える瞬間を見ていた。戦っている者達も人狼どころではないらしい。マットが自身を盾にするよう人狼の目の前へ立ち塞がり、リーンシアが少女の下へと駆け寄って行った。
――瞬間、どこからともなく獣が吼えた。しゃがれた、人ではあり得ぬ怒号だ。
皆の耳を破らんばかりの声が建物を揺らしたかと思うと、白い人狼に眼光を向けているのは――人の形をした獣だった。だがその肉体は人の形を捨てていく。鼻先が伸びて血で染まった顔は黒い毛並みが隠し、牙はより鋭く、瞳は獲物を捉えるものへ――両手を拘束していた腕輪も鎖も呆気なく引き千切る。
「馬鹿な……」
思わず、ノグレスは呟いていた。信じられない光景を見たかのように、酷く
やがて黒い獣が唸り声を上げると、目の前から一瞬で消えた。かろうじて地面を蹴る音だけが一度響いたが、白い人狼の目が見開いた瞬間――眼前に牙を剥き出しにして躍り出た黒い獣が居た。
――大きく風切り音が響き、ノグレスの白い毛並み……その胸元が一瞬で赤く染まった。
「ガッ――!」
痛みで喉から悲鳴が出たが、その巨体は黒い手が首を掴んで頭から叩き落とした事で最後まで声が上げられる事は無かった。肉を抉り取られた痛みから呼吸を浅くしている人狼に対し、黒い獣は冷ややかな目でを向けていた。
「ガハッ、ゴホッ……!」
そこから首を掴んだまま引きずり、無理やり立ち上がらせると黒い獣は指に力を入れ始めた。
「ノグレスのおっさん、あんたの事は嫌いじゃなかったんだぜ。少なくとも十数年前はこうじゃなかった」
言葉とは逆に、その
「弁明はなんかあるか、おっさん」
ぎりぎりと皮膚の軋む音さえ聞こえそうなほど、人間に比べれば太い指が、爪が食い込んで呼吸を止めていく。その腕を
「一斬、止めろ!」
喉を塞がれた事で少しでも肺に空気を取り込むべく、ノグレスの舌がだらりと垂れる。様子がおかしい事に気が付いたマットが止めに入るが、一斬にはその呼び掛けも聞こえていないかのようだった。
「言えよ、ほら」
ノグレスが言葉を促す声に答えようとしても、肺から空気が細く漏れる音だけが口から零れる。同色であるはずの金色の瞳は、片や焦燥の色を浮かべ、片や憤怒の色を浮かべていた。
「言えよ!」
「一斬!」
怒声を交えマットが呼び掛けるが、一斬はやはりノグレスの喉を握り締めている。やがて、震えるノグレスの手から力が抜けてだらりと腕が垂れた。焦るマットがついに無理矢理引き剥がそうとしたが――
「一斬さん――」
少女の震えた小さな声に、黒い獣の……一斬の耳がぴくりと動いた。
「もう……もういいでしょう……? 止めましょう、ね……?」
振り向くと、リーンシアに支えられながらミーシャが足元をふらつかせながらも歩み寄って来ていた。その顔は今にも泣き出しそうな顔をしていた。黒い獣の怒りで細められていた目が、少女がその目に映ると大きく開かれる。そして、手の力が僅かに緩んだ。
――その瞬間、群青色のドレスをはためかせながらチェイシーが一斬の体に触れた。
二人の体が消え、ノグレスから距離を離した場所へと現れる。解放されたノグレスが咳き込んで首を押さえたが――次いで、気絶していたはずのブライバークが拳を構えていた。気が付いた時には、その腹部へと拳がめりこみ、骨の折れる衝撃がノグレスの体へ響く。
「ガッ! ガハッ……!!」
そのまま白い人狼の巨体は壁へと叩きつけられ、ずるずると壁を伝って地面へ座り荒い呼吸を繰り返すだけで動かなくなった。瞳だけはブライバークを睨み付ける。
「すまないね、ノグレス。やり過ぎかもしれないけど、これ以上面倒が増えるのは嫌なんでね」
そう告げるブライバークの表情は言葉と合わず、酷く冷静なものだった。動かない体を引きずり地面に伏せさせると両手を押さえ、素早く後ろへと捻りあげる。こちらもノグレスがどう足掻いても解けそうにはない。
「――もう終わっていいでしょ、一斬」
少し離れた場所で一斬の前へ、立ち塞がるようにチェイシーが立って居る。
その胸にはナイフが刺さったままだったが、血がその胸から溢れる様子はない。チェイシーは苦痛に顔を歪めながらも、ゆっくりとナイフの柄に手を掛け……引き抜いた。
傷が出て来ているが、本来なら肉の色が剥き出しになっているはずの傷痕の中は、黒く染まっているだけだ。それでも呼吸は微かに震え、その様子は万全と言い難い。自身を刺したそのナイフは彼女の手に残っている。銀色の刃が獣と女の青いドレスを映した。
「……私もね、今はさすがにあなたと戦う元気はないわ」
ナイフを手で回すと溜息混じりにそう言って、チェイシーは額に流れた汗を拭って見せた。一斬がじっと一連の様子を眺めている。獣の顔では感情を汲み取り難いが、先ほどまでのように剥き出しの牙もなければ、荒々しい波のように鼻へ皺を寄せている訳でもなかった。
「どうするの?」
そんな黒い獣を見据え、チェイシーが
沈黙が続き――やがて黒い獣は肩を揺らし、大きく息を吸い込むと、自身を落ち着けるかのように瞼を閉じては長く吐き出した。再び開かれた目は獣と言うには鋭くなく、人と呼ぶには異質だ。だが怒りに染まった瞳ではない。
「……俺もお前とやり合う気はねぇよ」
「そう、よかったわ」
張り詰めていた空気を解すよう、チェイシーが微笑んだ。その表情に一斬はバツが悪い顔をしながらも、腰に手を回して体を支える。
「悪かった。傷、平気か?」
「平気よ」
軽いやり取りを終え、そのまま二人がノグレス達の方へ向かうと気絶していた仲間達は殆ど起きていた。それでもチェイシー含めて顔色は元通りともいかない。ミーシャもそうだ。
一斬がそんな少女の顔色を
「うーん、頭がガンガンする……」
後頭部を擦りつつ、そう呟いたのはアイラだ。ノグレスはいつの間にか人に戻っており、先ほどまでとは裏腹に抵抗する仕草を見せない。
「……で、何をどうしてこうなったのか、目的を聞かせてくれる?」
チェイシーの問いにノグレスは鼻を鳴らした。
「私が答えると思うかね?」
「捕まってるのにものすごぉく、態度が大きいよこの人」
太々しいとも取れるその態度にアイラが深く溜息を吐いた。
――不意に鈍い音が響いた。
今は人であるノグレスの頬に真っ赤に
「バスク!」
再び拳を振り上げようとした青年――バスクを、マットが背後から押さえるが青年は目を吊り上げ、顔を歪め、泣き出しそうな顔をしながら目の前の人物だけをキツく睨みつけては暴れている。
「離してください、マットさん! 団長! なぜ、なぜなんですか!?」
「止めんか! バスク!」
眼前で争っている二人をノグレスは静かに眺め、不意にリーンシアの方へと顔を上げた。
「……この男はお前の隊か、リーンシア」
「はい」
「大切にするといい。聖騎士団長に拳を振るえる奴など早々居らんぞ」
乾いた笑いを交えた言葉をどう受け取っていいのか、言葉の真意をリーンシアには量りかねていた。だが次に尋ねようと口を開いた瞬間――聞こえたのは金属音混じりの足音が複数人分。
「――聖騎士団だ。全員そこから動くな!」
皆が視線を向けた先には、複数人の聖騎士達を従え、自身もその鎧に身を包んだ――痩せた黒髪の中年の男が立っていた。状況を確認するように素早く辺りを確認し、眉を寄せリーンシアへ目をやる。
「これはどういう事だ、リーンシア?」
「私がやったのだよ、デアノブ」
語気を強めて
「この場は俺が預かろう。異論なんざ挟むなよ、時間がもったいないからな」
その場に居る全員を見渡し、デアノブは
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