二章 向き合う覚悟

7 十字架下の葛藤

 大きなはめ殺し窓から照らされていた明かりが室内を映す。部屋の中には様々な年代を思わせる色褪せた本が天井まで所狭しと並ぶ。種類は違えど、高さの乱れすら許さないような本の並びは、この部屋の持ち主の性格を表しているようであった。

 部屋を彩る装飾一つ一つが作り出した空気は、訪れた者の肌すら刺しそうなほど張り詰めている。


 現にその部屋の主の前へと並んだ五人は何も発しないままだ。しかし緊張した様子の年若い緑の髪の青年、退屈そうな痩せこけた黒髪の中年の男、言葉を待つように目を閉じた短く髪を切り揃えた赤い髪の女、静かに佇む顔に傷のある、恰幅がいい浅黒い肌の男……年齢も性別も、態度すらバラバラであった。


 しかし、その中でも一際目を引くだろう存在が居た――


「理不尽ではありませんか」

 まるで水面に手を入れるように――張り詰めた空気を割り、部屋の主へと語りかけたのは長い耳を持つ――エルフの女だった。


 凛とした印象を抱くような紫の瞳に、青みがかった銀色の髪。揉み上げから伸びた長い髪の房は輪になるようにして他の髪同様に後ろへと結ばれている。女の背格好はさほど高くもなく、見た目だけで言えば少女と大人の間を思わせた。

 しかし軽装であるが鎧に包まれたその姿を見て、彼女を少女と侮る者は居ないだろう――エルクラットに住んでいる者なら尚更である。


「何がだ、リーンシア」

 そう返した部屋の主もまた、鎧に身を包んだ壮年の男であった。白髪と顔に刻まれた皺は年齢を感じさせるが、その肉体は衰えている様子がない。悠然ゆうぜんと佇む姿は確かな威厳を感じさせた。

 そんな男の射貫くように――もしくは睨んでいるとも見える明るい銅色の瞳から女は目を逸らそうとはしなかった。声からして男の神経を逆撫でしている事は分かっていたが、それでも話を止めるつもりもない。


「あいつはあの日、帰って来たばかりでした。乗っていた馬車の御者もそれを証言しています。目撃者も居て、動機もない人物が犯人というのは――」


「――<人喰い>は全員捕縛しておく必要があるのだよ、リーンシア」


 女の話を制するかのように男は遮って来た。まるで諭すような口調であったにも関わらず、迫るような低い声だった。エルフの女――リーンシアが一瞬黙った隙に、男は歩み寄りながら話出す。

「何せ久々の<人喰い>の事件だ。事の重大さはお前も理解していない訳があるまい。民は怯え、安寧を求めている。不安要素は一つでも取り除いておくべきだ。そうだろう?」

 宥めるような声になっているが、この場も誰もが視線を床へと落とす。リーンシアも例外ではなかった。口を紡ぎ、何か言いたげな様子ではあったが一瞬の男の顔へと視線を上げては押し黙ってしまった。

「それでいい」

 男はそれだけ言って、五人へと背を向けた。

「奴が犯人ではないというのであれば全力で犯人を捜せ。他の隊も同様だ。もし奴ら<人喰い>の中に、憎き臓物食らいが居るのならば証拠を上げるように」

「お任せください、ノグレス騎士団長」

 退屈そうにしていた男が飄々ひょうひょうとした態度でそう言って、リーンシアを視線を向けると卑下するような笑みを向けた。それに気が付きながらもリーンシアは無視するように、目の前に居る男……ノグレスの方へと顔を向けた。途端、男は面白く無さそうな顔に戻る。

「ノグレス様、我々は捜査に戻っても?」

 髪の短い女がそう訊くとノグレスは「あぁ」と背を向けたまま答えた。

「良き報告しか耳に入れないぞ、お前達には期待している」

「……うけたまわりました」

 最後に大男が深く頷き、五人は外へと出て行った。部屋を去る瞬間、リーンシアは知らずの内にその手をキツく握りしめていた。


           *


 コナカルルの宿、一階。酒場でもあり昼は食事処にもなっているこの場所は、普段であれば空腹を満たすために賑わっているのに誰も居ない。それもそのはず、今朝は目の前で朝市すら開かれなかった始末だ。大通りや港沿いは相変わらず栄えていても、そこから外れた場所は静まり返っている。

 宿の主であるアリッサも事件があった後は見回りに参加する事になったらしく、この辺り一帯に店を構えている人々と話があると言って出て行ってしまった。今この宿に居るのは、普段集まっている五人だけだ。


「あまり状況はよくない」


 長い溜息と一緒にそう言ったリーンシアは目の前にあるキッシュを口に含む。机の上にはアリッサが出て行く前に用意した渾身の料理が並べられていて、普段なら芳ばしい香りと一緒に舌鼓を打っていたはずだった。しかし全員、今は食事よりかは話したい事の方が多いせいか、あまり手は付けられていない。


「ノグレス団長は最初から捕まえた彼らの中に犯人が居ると踏んでいる。一斬も含めてな」

「やっぱりねぇ……外部犯の仕業にしたら、それを見逃した聖騎士団の失態になるもの。簡単に認めはしないでしょうね」


 少々呆れたように、皮肉げにそう笑って見せたのはリーンシアの向かいに座っている女だった。群青色のドレスを纏い、緩いウェーブのある長い金髪をしていた。それだけでも目を引くが、一番は包帯で覆われた右目だろう。この目と酒場で優雅に紅茶を嗜んでいなければ、深く吸い込まれそうな青い瞳もあり、どこかの令嬢かと勘違いされそうなほどであった。


「おい……リーンシアさんは止めようとしたんだぞ」

 マットは女を睨むも、女の方は涼しい顔をしている。

「でも止められなかったんでしょう?」

「それは――」

「あー、はいはい、喧嘩しないの!」


 そう手を叩きながらさえぎったのはマットの隣に座っている青年だ。見た目は腕や腹を見せ露出も多く目立つ格好で翡翠ひすい色の瞳にクセのある赤毛をしていて、多少伸びている後ろ髪は結んでいる。外見がかなり目立ちはするものの、こらちは先ほどの女と比べれば柔和にゅうわな人物といった印象を与えた。


「チェイシーちゃん、二人は悪くないんだからそんなに怒らないの」

「怒ってなんていないわ、アイラ。事実を言ってるだけ」

 そう微笑んだ女――チェイシーに対して、アイラは呆れたような困ったような顔をして「勘弁してよ」と手を挙げた。

「マットも、今は喧嘩してる場合じゃないでしょ」

「しかしだな、リーンシアさんの提案を他の隊長達は聞きもしない。公平に重きを置かずして何が聖騎士団か!」

 憤慨ふんがいしたように声を荒げたマットに「そう言うな」とリーンシアは宥めた。その声は諦めてしまったかのように力がない。

「元々、ノグレス団長に逆らおうという考えの者は居ないだろう。特に<人喰い>の事件だ。教会への忠誠心を疑われないよう、皆慎重になっているのかもしれないな……」

「それは大変ねぇ」

 チェイシーが他人事のようにそう言うとマットがますます目を吊り上げた。険悪な雰囲気が再び辺りを包み掛ける。


「すみません。私がもっと、ちゃんと証言出来てたら……一斬さんは……」


 すると今まで黙っていたミーシャが口を開くも消え入りそうな声で謝り、再び口を噤んでは俯いてしまった。チェイシーとマットが目を見開く。そして、その様子を見てアイラは「ミーシャちゃん」と優しく声を掛けた。

「普通の人は死体を見たら頭真っ白になるし、あいつが捕まったのだってミーシャちゃんのせいじゃないわよ」

「アイラさん……」

「それよりこれから忙しくなるから、ミーシャちゃんにもお手伝いして貰わないと……ね?」

 アイラはそう言ってミーシャへ力付けるように笑って見せた。そしてすぐさま、マットとチェイシーの二人へと責めるような目を向ける。

「だから……二人とも、今は喧嘩しないように」

 語気を強めて言ったアイラに二人は顔を見合わせて、最初にチェイシーが「そうね」と小さく息を吐いた。

「分かったわ。ごめんなさい、マット、リーンシア」

「いや……俺もつい声を荒げてしまった、すまな――」

 マットもばつが悪そうな顔をして頭を軽く下げたが、言葉は最後まで続きはしなかった。来客の予定など無かったはずのドアが、軋んだ音を立てて開いたからだ。


「――誰か居るか」


 そんな声と同時に確認する訳でもなく入って来た存在に――マットは言葉を言い掛けていた口を大きく開け、椅子を音立てて倒して立ち上がった。そして姿勢を正す。

「――ノグレス様ッ!」

「……あぁ、お前達もここに居たか」

 宿へと入って来た男――もといノグレスはマットとリーンシアの二人の姿を見ても、すぐに部屋を確かめるかのように何度か見渡し、再び五人へと視線を戻した。

「アンドリューはどうした?」

「アンドリュー……?」

「ママの本名よ」

 ミーシャが不思議そうな声を零し、アイラがそれに答える。チェイシーは立ち上がると、ノグレスの方へと歩みより、スカートを摘まんで礼儀正しく挨拶して見せた。

「こんにちは、ノグレス。何かご用?」

「あぁ……彼の様子を君達に見せておくのは礼儀だと思ってな――」


 ――その言葉で宿に入って来た人物に、全員が驚きを隠せなかった。


「一斬さん!」


 ミーシャは思わず声を上げてしまっていた。そこに居るのは確かに一斬ではあったが顔色は悪く、何より――まるで囚人のごとく腕にめられた手錠のような金の腕輪が、特に目を引いた。

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