3 雨を引きずって

 風に吹かれ木の葉が揺れてさざめく。


 カトリアンナの墓地は人や羊の集まる場所から少し離れ日の光がよく当たる、静かな場所にあった。だが昨日の雨を引きずってか、天気は未だ曇り空で日は当たらない。


 そんな中、男が一人祈っていた。


 目の前には大きな墓、隣には小さな墓。その二つに祈りを捧げ、一心不乱に手を握り締める。そうしていると不意に、静かに自分へと近づいて来る足音に気が付いた。いくら祈っていたとしてもこんな距離になるまで気が付かないものだろうか……そう思い、男は顔を上げる。


「……誰だ?」


 その姿――足音の持ち主を見た男は眉を寄せた。


 不審に思うのも無理はない――目の前にはこの村では見たことが無い青年が立っていて、腰にはこの国で見ない細身の剣がぶら下がっていた。


 そして何より、青年の金色の目にはどこか人離れした、この穏やかな空気には似つかわしくはない雰囲気があった。


「すみません、邪魔をするつもりはなくて……俺も墓参りに来たんです。その、一番奥の墓に」


 青年の視線の先へ目を向けると、確かに墓があった。しかし一番奥にある墓石はかなり昔に建てられた物だという事は、整備されていても分かる年期の入った様子から分かる。表面には雨で削れ、中々掃除出来ない上部には苔も生えていた。

 男は再び青年に目を移したが、古ぼけた墓石と青年の見目は釣り合わないような気がした。


「……君の知り合いかい?」

「いえ、頼まれて来たって感じです」

「あぁ、なるほど」

 この村でも足腰が悪い者が墓参りを代理で頼むのは珍しくない事だ。青年の言い分に納得し、ふと視線を上げた。また雨が降りそうなほど、分厚く黒い雲が空を覆い始めている。

「じゃあ、僕は失礼するよ。君は……」

「ラングレーさんの所に配達で来てて、天気が悪かったので……少しの間、お世話になってます」

「そうなのか……手短にして君も早く帰った方がいいよ。なにせ今日もこの天気だ」

「えぇ、あなたもお気を付けて」

「どうも。それじゃあね」

「はい」

 色々と訊きたい事はあったが、墓場、しかも曇り空で世間話が出来るほど、男は好奇心旺盛でも無かった。まして見知らぬ青年、関わらぬが吉だと判断した。


 最後に墓場の入り口で青年が一番奥の墓に立って居るのを見届けて、男はその場を後にした。帰りの道を歩いていると……見覚えのある子供たちが向かいからやって来ているのが見えた。村に同い年の子が少ないせいか、いつも一緒に居る五人だ。


「あっ、ハンスおじさーん!」


 先に声を掛けて来たのは隣に住む少女、アニーだった。駆けて来た少女に男――ハンスは微笑む。後から他の子供達も集まって来た。


「こんにちはアニー、お散歩かい?」

「うぅん、人を探してるの!」

「人……?」

「ねぇねぇ、ハンスおじさん。町から来た子知らない?」

「アニー、それじゃ分かんないだろ……」

「こんにちはスコット……ミーシャも」

「は、はい……」


 ハンスが名前を呼ぶとスコットに隠れるようにしていた少女……ミーシャの肩が微かに震えたように見えた。まるで何かに怯えるような様子で、ハンスから少しだけ視線を逸らしながらも小さく返事をする。その声すら震えているのに、スコットもハンスも気が付いていた。

 スコットが率先して前に出ると「あの」と話を始める。


「ハンスさん。アニーが言ってるのは異国の人間なんです。黒い衣装で、黒髪で、背が小さくて、変な剣を持ってるやつ……」

「あぁ……彼なら墓地に居たよ」

「墓地に?」

「墓参りを頼まれたそうなんだ。まだ居ると思う」

 そこまで言ってハンスは言葉を切り、ミーシャを横目で見てから困ったように微笑んだ。

「僕はもう帰るよ。雨が降りそうだし、君達も風邪引かないようにね」

「はい、ありがとうございました、ハンスさん」

「それじゃあ」

 そしてハンスはミーシャとすれ違う時、彼女と、そして近くに居たスコットにだけ聞こえるように呟いた。


「あの時はごめん――」


 ――その言葉に、ミーシャが息を呑んだ。


 振り返ったがハンスは子供達の方を見ずに、何事も無かったかのように歩いて行った。その背を見る度、胸が締め付けられるような気持ちにミーシャは襲われる。スコットがそんなミーシャの様子を見て――僅かに震えていた小さな肩を軽く叩いた。


「……行こうぜ」

「うん……」


 後ろ髪が引かれるようにハンスの背中を見ていたミーシャは、先を歩き出す子供達とそれを叱りながらも追い駆けるスコットの方へと視線を戻し、歩き始めた。


           *


 何人かの足音が聞こえて、一斬は振り向いた。墓地の入り口にミーシャと……見知らぬ子供達が並んでいた。子供達はこちらを見るや否や、静かに、それでも駆け足でまず背が一斬の半分にも満たない子供達がやって来た。男女の、おそらく五、六歳ほどの子供だ。


「ねぇねぇ、あなたが町から来たお客さん?」

「すごーい、見たことないお洋服着てるー!」

「こーら、墓の前で騒ぐな!」

 見た目だけ見ればおそらく一番年上だろう青年が子供達を叱り、一斬から離れるように肩を抑える。

「スコットこそ、うるさーい!」

「自分が一番騒いでるよ」

「屁理屈言うな」

 微笑ましいとも取れるやり取りに一斬がつい笑みを零すと、それに気づいた青年、スコットが咳払いを一つして背筋を伸ばした。腕を組むと威圧的な態度を取ろうとしているのかもしれないが、中々慣れないらしく様になってはいない。

「お前、ラングレーさんとこに居る客か?」

「あぁ」

「俺はスコット、こっちのチビは女がアニーで、男がドニー、後ろは……まぁ知ってると思うけどミーシャ、その隣に居るのはリリーだ」

 はしゃいでる二人に対して、リリーと紹介された少女だけはミーシャに手を引かれて少しだけ恥ずかしそうに俯いていた。僅かに視線を上げ、一斬と目が合うと緊張したようにミーシャの後ろへ隠れてしまう。

「リリーちゃん、大丈夫だよ。この人は怖くないよ?」

「こ、怖くないんだけど……違う国の人って初めて見たから……」

 そう話したリリーはミーシャにしか聞こえないような声で、小さく言った。最後の方になるにつれて、ミーシャでも聞き取り難かったがなんとか聞こえた。少女の頬は僅かに上気している……ようにも見えた。

「リリーちゃん、恥ずかしいみたい」

「えぇ? さっきまであんなにはしゃいでたくせに……」

 困ったように笑って見せたミーシャの言葉に、スコットは首を傾げた。

「それで……俺に何か用か?」

「町の話聞かせて!」

 質問に答えたのはドニーと呼ばれた少年だった。スコットに尋ねたつもりだった一斬の視線は少年に向けられ、少々驚いたような顔こそしたものの、次には笑って子供達の目線に合わせるよう屈んだ。


「いいぜ、何が聞きたい?」

「えっとねぇ、じゃあねぇ――」

「あー、待った待った、ここで話し出す気かよ。霊前だぞ? それに雨が降って来るかもしれないし」

 ドニーを後ろから抱きかかえるとスコットは「付いて来な」と言って一斬に背を向けた。

「沼の入り口のとこにさ、俺達が番で使ってる小屋があるんだ。そこ行こうぜ」

「そういえばスコット君、今日見張りは?」

「親父がやってる。だから交代してる間、町の話を俺にも聞かせてくれよ」

「スコット、サボりだー」

「どうせ誰も入りゃしないってこんな田舎の沼なんて。道知らないと迷うし……ほら、行くぞー」


 先導していくスコットに一斬は付いて行こうとして、不意に足を止め振り返るように後ろを見た。それにミーシャも気が付き、彼の方を見る。

 墓石に向ける視線は、睨んでいるような……少なくとも悲しみだけではない気がした。見ているとどうしようもない不安をなぜか覚えた。昨日と同じ人物を見ているはずなのに、なぜか別人のような――そんな気がしたのだ。


 よく見れば、墓には何も添えられていない。


 ――頼まれたにしろ、そうでないにしろ、墓参りにしては違和感が残る。


「一斬さん……?」


 不安を覚えたミーシャが静かに声を掛けると、数秒遅れて一斬が振り向いた。


「あぁ、悪い……行くか」

「は、はい」


 まるで何かを誤魔化すように笑った一斬に何か訊くべきか考えて、ミーシャは止めた。少なくともそれは今この場で訊くような、そんな話ではない気がする――


 ミーシャの隣を並んで歩き始めた一斬の表情から、先ほどの肌を刺すような雰囲気は無くなっていた。少女の心をそのまま映し取ったように、空は黒く染まり雷鳴が轟き始めていた。

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