2 羊飼いの村 カトリアンナ
――ミーシャの故郷カトリアンナはなだらかに地面を下るよう家が立ち並ぶ、羊飼いの村だ。
規模は小さく、人口も多いとは言えない。ミーシャと同じ年頃の子供も少ない。しかし草原を吹く風は邪魔が立ち並んでいる木々も少ないせいか、時折強く冷たく、そして心地よく吹いてくる。メディール親子が来たのは十年ほど前だったがその十年間、村人たちは快くミーシャ達を受け入れてくれた。
この村にミーシャは不満を感じてはいなかった……だが――
「――なんで反対するの!」
ミーシャは思わず大声を上げていた。目の前には彼女の父親、ラングレーが居て難しい顔をしては眉間の皺を揉んでいる。少女の言葉に対して、どうしたらいいか迷っている様子だった。
「お前にはまだ早いと言っているんです」
「もう十五だよ、お父さん」
「まだ十五歳でしょう?」
「勉強は早ければ早いほど良いって言ったの、お父さんじゃない!」
「そうですが……もう少しだけ待って――」
「去年も聞いたよそれ!」
「ミーシャ……」
普段は大人しい少女が興奮し声を荒げているのを見て、ラングレーは困り果てた様子だった。思わず頭を抱えてしまう。
「なんでエルクラットに行ったら駄目なの?」
ミーシャは父親を睨むように見つめていた。
「……駄目だとは言ってません、時期を見て――」
「その時期っていつなの? 後何年?」
ミーシャは震える手を握り締めて、俯いた。
「私は……早く、人を助けられるような医者になりたいの」
ラングレーは震える声で、まるで絞り出すようにそう言ったミーシャの言葉に酷く驚いた様子で、娘の肩にそっと手を置いた。
「……ミーシャ、あなた、まさか前の事を――」
「だから……だからっ――!」
悲痛とも思えるミーシャの声に、ラングレーは目を見開き……肩を握る手に力を
「どうして……?」
悲痛な声を零して、ミーシャはラングレーの手を握り返した。表情は今にも泣き出してしまいそうで、そんな娘の頬をラングレーは両手で包んだ。
「そんな気持ちのままであなたを、町へ送る訳にはいきません」
「お父さん……」
「大丈夫。あれはあなたのせいではありませんよ……彼らの天命だったのです」
落ち着かせるように、言い聞かせるようにそう言うと、ラングレーは娘を抱き締めて背を撫でた。ミーシャは、肩に顔を埋めるが父親を抱き締め返すことが出来なかった。手は力なく下ろされたまま、何かを堪えるようにスカートを握り締めた。
メディール家のドアを叩くノック音が聞こえたのは、そんな時だった。二人が話しているのは入ってすぐの客間だ。聞き間違いかと思ったが、最初と同じように控え目ながらも二回、ノック音が聞こえた。
――もしかしたら急患かもしれない。
そう考えたラングレーは「ここに居なさい」とミーシャをソファアに座らせて玄関の方へと向かう。薄く開けたドアの向こうは、いつの間にか雨が降っていた。一瞬、ドアを開けた人物がどこにいるか分からなかったが視線を下げると、そこには小柄な青年が居た。
雨よけのローブを深く被っているため、顔はよく見えなかったが金色の瞳がローブと黒髪の隙間から見え――その目の異様な気配に、ラングレーは思わず息を呑んだ。
どう見ても青年は、この村の人間では無かった。
「ラングレー・メディールさんのお宅ですか?」
一体誰なのか――ラングレーがその疑問を口にする前に、青年がそう尋ねローブのフードを取って顔を見せた。途端に異様な雰囲気が取れ、現れた年相応の青年の姿にラングレーは思わず目を瞬かせる。しかし戸惑った様子のラングレーを気にせず、青年は言葉を続けた。
「ブライバーク・ロドニーの使いで来ました」
「ブライバーク先生の……? 確かにラングレー・メディールは私ですが……」
「なら、これ。先生からの手紙です」
雨に濡れないようにしていたのだろう、青年は懐から革の袋を取り出すと中から折りたたまれた封筒を取り出して渡した。受け取った手紙の
「これはブライバーク先生の……いや、失礼いたしました。中へどうぞお入りください。雨の中疲れたでしょう、お茶を入れますよ」
「いえ……もう帰りますから」
その言葉を聞いたミーシャは驚き、思わず窓の外を見た。雨は止む気配がない。雷まで落ちて来ようとしているのか、雷鳴が厚く黒い雲の中で轟いていた。ラングレーも一瞬唖然としていたが、背を見せ雨の中へ去ろうとする青年の腕を慌てて掴む。
「ま、待ちなさい。こんな天気じゃ馬車も出ませんよ!」
「歩いて帰ります」
「そんな……いくらここがエルクラットに近くても、馬車で半日は掛かるのですよ!?」
「……離してくれ、あんたらに迷惑を掛けたくないんだ」
「しかし――!」
――エルクラット。
そう聞いてミーシャは思わず立ち上がっていた。無理やり去ろうとする青年、それを引き留める父親、そんな二人にミーシャはいつの間にか駆け寄って――父親と同じように青年の腕を掴んでいた。考えなんてない、ほとんど衝動的な行動だ。
「――泊まっていった方がいいです!」
ついそんな声が出て、二人は驚いたようだった。いきなり青年の腕を掴んだ挙句に興奮した様子で強く言い張るのだから……目を丸くしている青年の顔に、ミーシャは自分がどういった態度を取ったのか気が付いたようで慌てて手を離した。
「ご、ごめんなさい! で、でも、こんな雨の中出て行くなんて無茶ですよ」
「そうですよ……それに、返事も書きますから。どうか待って頂けませんか。お願いします」
二人が困った様子、頼むような
「なら……あなたの手紙が書き上がるまでは居ます」
「よかった。ミーシャ、暖炉の火を入れて貰えますか?」
「はい!」
「さぁ入って、まずは服を乾かしましょうか」
「……お邪魔します」
*
客人の名前はイッキと言った。自分の名前も名乗り終えた後、ミーシャは改めて青年の姿を眺める。異国の人間だというのは一目で分かった。この国の物とはあまり思えない黒の衣装に、背が小さくそれでも体躯の良さが分かる……ミーシャと同じ年頃と思える青年。
だが腰に下げている刀と呼ばれる剣と、金色の瞳、そして仕草がどうも歳相応とは思えなかった。これもエルクラット……大都市に住んでいるからだろうかと、ミーシャはそんな事を考えていた。何より、彼女の
「あのイッキ……君?」
「なんだ?」
「同い年、なのかな?」
「……お前、いくつだ?」
「えっと、十五歳だよ」
「なら年上だな」
「いくつ……なんですか?」
「秘密だ」
「えぇっ!?」
珍しい響きだと思っていると異国の字も教えて貰った。横線を一本引いて、その後に何から横線を組み合わせたような……「漢字」という字を教えて貰った。
「んで、これでイッキ……『一太刀で斬る』って意味で一斬って読む」
「難しいです……」
「こっちの字は全体的に丸っこいもんな」
くくっ、と可笑しいそうに、喉で堪えるような笑い方をした一斬は町の事を色々と教えてくれた。
その中でもミーシャが気になったのは「亜人」と呼ばれる人種だった。耳が尖って長いエルフを筆頭に、リザードマン、ケットシー……本で見た事でしかない存在が、エルクラットでは普通に出歩いているのだと。
「いいなぁ……」
「なんだお前、エルクラットに行きたいのか?」
思わず声に出していたらしい、ミーシャは恥ずかしそうに「うん」と頷いた。
「その、私、医者の卵……なんです。だからエルクラットで勉強したくって」
「親父さんに習えば良いじゃないか。あの人の事、俺の知ってる医者も褒めてたぞ。優秀な人だって」
「でも……ここじゃ手に入らない薬とか、そういう話はやっぱり他じゃないと習えないんです」
表情を曇らせ、俯きながら発せられたミーシャの言葉にどこか引っ掛かりを覚えたのか、一斬は少しの間黙った。
「もしかして……なんか欲しい薬でもあるのか?」
僅かな沈黙の後にそう訊かれ、ミーシャは顔を上げて、それから答えに迷うかのように視線を逸らす。
「その……そうじゃないんですけど……」
「……そうか」
小さく絞り出すような声で呟き、しかしミーシャは言い淀んでしまった。一斬からは短い返事だけ。そして再びミーシャが話し出すのを待っているかのように黙った。暖炉が薪を燃やす音だけが二人を包んでいた。
「あの……」
「ん?」
沈黙に耐え切れず話を切り出したのはミーシャだった。しかし振るべき話題が思い付かず、口が「あー……」と言葉にならない声を何度か発して――ようやく話が見つかったらしい。
「お、お仕事は何をしてるんですか?」
どことなく上擦った声になってしまったが一斬の方は気にして無いようだった。
「あぁ、俺は傭兵だよ。って言っても、今日みたいな手紙の配達から護衛まで……
「へぇ……でもこんな雨の中で配達なんて」
「あぁ、ツイて無かったなぁ」
「やっぱり馬車で?」
「いや、歩きで来たんだ」
「歩きで!?」
「金がもったいなくて」
まるでそれが普通なように言い切った一斬に、ミーシャは信じられないような気持になった。
先ほどもラングレーが言った通り、カトリアンナはエルクラットから近い場所にある。それでも時間は掛かり、馬車でも途中で休憩を入れながら半日掛けてやっと辿り着くような場所だ。それを歩きで……となると、最低でも一日、もしくはそれ以上を要するだろう。
(でも……)
青年の来た時の姿は野宿をするような恰好ではなく、荷物袋を肩から下げているだけだった。とてもではないが、一日中歩いて来たような様子ではない。それに雨の中を来たというのに青年が疲労している様子もなかった。まるで軽い散歩から帰って来ただけ……そんな雰囲気だった。
(傭兵ってそんなに体力あるのかな……)
疑問に感じるものの、一斬の方は特にそれ以上答えなかった。ミーシャにとってもあまり気にするような話にも感じず、丁度父親が食事の準備と一斬の寝床の準備が出来たと声を掛けて来た事もあって――二人の会話はそこで終わる事になった。
*
――この村に、客人がやって来た。
その話はすぐ村中へ広まった。
おそらく近い年かつ傭兵……そんな不思議な存在は、あっという間にミーシャを含めた村の子供達の話の中心になった。近頃の話題は「近所の羊飼いの家で赤ん坊が産まれた」「もうすぐ毛刈りの季節だから手伝いに出されるだろう」とそんな話ばかりだったが。この村では在り来たり過ぎて子供達は新しい話題に飢えている。だから、彼の存在は無視できるはずもなかった。
手紙が書き上がるまで残る事になり、村を案内しようと考えていたミーシャが朝起きると、既に一斬は出かけてしまったらしく居なくなっていた。父親に訊いたところ「すぐ戻る」と言って出かけたらしい。
「初めて村に来た訳ではないようですよ」
「そうなんだ……」
しかしミーシャがどれだけ記憶を辿っても、彼のような人が来たという話は聞いた事が無かった。そこで子供達にも尋ねてみる事にしたが、やはり口々に「知らない」と首を横に振られる。
特に小さな子供達、十歳にも満たない彼らは大人の話に耳を立てては子供同士でこうやって話し合うものだ。こっそり来ていたとしても、こんな小さな村で全く見つからないのはおかしい。村の子供達で年長と呼べるのは彼女と後一人――沼地の番をしているスコットという青年だった。歳は十七、ミーシャより二歳年上だ。
「異国生まれで俺らと同い歳くらいねぇ……全然知らないな、そいつ目立つんだろ?」
スコットもやはり他の子供達と同じ反応で、話を聞くやいなや首を傾げる。
「うん……異国の人だから、目立つと思う」
「ふーん……そいつ、悪い奴かもしれないぜ? ここ町に近くても田舎だからさ、なんか企んでるのかも――」
「そうは思えないけど……」
スコットは癖のある短い金色の髪を指で弄りながら疑わしげにそう言ったが、ミーシャは信じていないのか困ったように笑った。確かにそう考えれば疑わしい存在ではあるが、夜に話していたあの青年の姿が悪い人物とは思えなかった。
「いーや、分からないぞ。ミーシャは騙されやすそうだからな」
「そ、そんな事ないよ!」
からかうようなスコットの言葉にミーシャもついムキになって返す。しかし、そんな二人を他所に小さな子供達は新しく来た歳の近そうな存在に興奮の色が隠せない。
「だって、お父さんの知ってる人にお仕事を頼まれて来たんだから……町の話だって沢山してくれたし――」
「ミーシャばっかり狡い! 僕らもお話聞きたい!」
「エルクラットから来たって言ってたし!」
「ねぇねぇ、あの町エルフとかドワーフとかリザードマンとか居るんでしょう?」
一人が言い出したのを始めに次々と子供たちが
「あいつは余所者だぞ!」
「いいじゃん、スコットのケチ」
「ミーシャお姉ちゃんが悪い人じゃ無さそうって言ってたじゃん!」
「ねぇねぇ、マーマンってやっぱり魚臭いって言ってた!?」
「あはは……じゃあせっかくだし、聞きに行こうか」
ミーシャが微笑みながらそう言うと、子供たちは一斉に大喜びし始めた。スコットが驚いたように目を丸くする。
「ミーシャ……大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、スコット君。私を信じて」
「うーん……お前がそこまで言うならいいけどさ」
「スコットお兄ちゃん、ミーシャお姉ちゃんが好きだから心配なんだよね」
「はぁ? バーカ、何言ってんだか!」
一瞬面食らったスコットは次には誤魔化すように笑って、子供達の髪をそれぞれぐしゃぐしゃになるまで撫で回した。そんな様子を見て、ミーシャも頬を綻ばせた。
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