一章 人狼の傭兵
1 人狼
「何事だ!」
金属が当たる音と足音が数人分、現れたのは銀色の鎧を着た――この都市で聖騎士団と呼ばれる町の治安を守る騎士達だった。誰かが呼びに行ったのだろう、その中には一斬とミーシャには見覚えのある顔もあった。
「おはようさんマット、今朝も早いな」
「またお前か、コナカルルの一斬!」
短く切り揃えた明るい茶髪に眼鏡をかけた、背の高い男が怒鳴りながら出て来る。マットと呼ばれた男は大股で近づいてくると
「トラブルを起こすなとあれほど……!」
「言っとくけど、悪いのはこいつらだからな。なぁ、食い張り亭のノイ?」
「ぐっ……!」
未だ踏まれたままのノイと呼ばれたリザードマンは、一斬の言葉に呻き声を僅かに洩らす。その言葉に、周りからは賛同の声が上がり始めた。
「そうだ! そいつらが荷車で勢いよく走って来たんだ!」
「ここら辺の道は狭いし、荷物を運ぶなら港沿いに通じる別の道を使うはずだろ!」
通行人からも屋台の人々からもそんな声が上がる。ノイ以外のリザードマン達は顔を合わせ、バツが悪そうな様子を見せた。しかし辺りに転がった壊れた車輪、散乱している荷物……それらを見てマットは眉間の皺を揉みながら溜息を吐いた。
「事情は分かったが……これを片付けるのは誰か分かってるのか?」
「文句ならこいつらに言えよ、っと」
「ぐあっ!」
ノイの背を踏み付け一斬は勢いよく飛び上がってからミーシャの傍に着地した。やっと解放されたノイは背中を擦りながら立ち上がり、一斬を睨む。しかし睨まれても一斬はどこ吹く風と言った様子でノイ達の方を
「大丈夫だったかミーシャ?」
「は、はい」
手を差し出され、一斬に支えられながらミーシャはふらつきつつ立ち上がる。ノイがその姿を見て苛立ったように尾を揺らし、何か言おうとすると眼前にマットが立ち塞がった。
「食い張り亭のノイ、一緒に来て貰おうか」
「……クソッ!」
状況もあってか悪態一つ零して観念したらしく、ノイは口を閉じると既に構えていた聖騎士団に大人しく付いて行った。やっと朝市にも静けさが戻って来る。しかし騒動を治めたというのに、マットの表情は冴えない。
「やれやれ……」
「お疲れさん」
背中を労わるよう一斬に軽く叩かれるも、マットの方は呆れと怒りが半々といった顔で目を吊り上げた。
「後でお前にも話を聴くぞ」
「はいはい」
受け流し慣れているのか普段もそうしているのか、一斬が適当な返事を寄こすとマットの方はますます目を吊り上げさせた。ミーシャはそんな様子を見ては苦笑する。
「話は終わったかい?」
周りに集まっていた人を掻き分けてアリッサが出て来た。
「あぁ、アリッサ。もういいぞ。後で話は聞かせて貰うが」
「そうかい、なら――」
アリッサが大きく息を吸って険しい顔をすると、勢いよく一斬の背中を叩いた。
「いっ……!」
周りの人々があまりの音の大きさに、一瞬肩を跳ねさせた。その音の通り力も入っていたらしく、一斬は背を反らし、口から痛みに耐えるような声が漏れた。
「早く戻る! いつまでその恰好で居るんだい! ほら!」
「分かった、分かったから!」
力強く一斬の背中を押しながら、アリッサは宿の中へと戻って行った。
「私も一斬さんの様子を見て来ます」
「あぁ、頼んだ。俺は……これをどうにかしないとな」
壊れて荷物を散乱させている元荷車に、マットは気が重いと言わんばかりの溜息を吐いた。しかしミーシャが見上げているのが分かると、咳払いを一つして表情を引き締める。
「何はともあれ、無事で良かった。診療所に行くのだろう? 気を付けてな」
「ありがとうございます」
「うむ、ではまたな」
ミーシャの返事に頷くと、マットは次いでやって来た聖騎士団たちに片付けの指示を始め、市場の人々にも声を掛け始めた。それを見ながら、ミーシャは再び宿の中へと入ろうとした――その矢先、誰かが出て来る。
「あっ」「おっと」
ミーシャと相手の口から同時にそんな驚いたような声が出た。先ほどの狼と同じく、金色の目がこちらを見返している。
「一斬さん、体は大丈夫ですか?」
「俺は平気だっての。まぁ、背中はイテェが」
宿から出て来た小柄な男、もとい一斬はそう言って笑った。短く跳ねた髪、余裕があるようなこの辺りでは見ない黒の服を着ていて、これはこの国ではなく東の国の衣装だとミーシャは目の前の男から教わった。異国の人間である証拠に、腰には刀と呼ばれるこの国では見ない剣が刺さっている。
「あぁ、ミーシャちゃん悪いんだけど、この馬鹿を診療所まで連れて行ってくれる?」
一斬の背後からアリッサがそう声を掛けながら出て来た。
「んな大袈裟な」
「あんたには大袈裟くらいで十分よ」
アリッサは子供に言い聞かせるように跳ねた黒髪を乱暴に撫で回したが、一斬の方は子供扱いされた事からか不服そうな表情をしていた。
「それにここ最近物騒だし、ミーシャちゃんを送ってちょうだい」
「……まぁ、それなら」
納得いっているようないっていないような、微妙な反応をしながらも一斬はミーシャの方へ向き直る。
「んじゃ、行くか。あれが道塞いでるから……ちょっと遠回りになるな」
「はい、よろしくお願いしますね」
「気を付けていってらっしゃい」
「いってくる」
「いってきます!」
一斬とミーシャはアリッサに見送られ、片付ける作業している聖騎士団達を見ながら目的の場所へと歩き出した。
*
通りを抜け、大きな噴水のある大広間を抜け、細い道から道へ歩いていく。そうして歩いて行った二人の視線の先には、蔦の這っている白い建物があった。看板が入り口に立っており、そこには「ロドニー診療所」と書いてある。木の色と白が合わさってどことなく落ち着いた色調の診療所は、この通りにある店……武器や食料の店と比べたら少し浮いているようにも見えた。
手慣れたように一斬がドアへと手をかけ、押せばドアベルが軽快な音を鳴らす。
「ブライ先生、居るかい」
「おや……こんにちは一斬、それにミーシャちゃんも」
中から落ち着いた声が聞こえて、ミーシャも一斬の背中越しに隙間から覗き見る。玄関から入ってすぐの場所に癖のある茶髪でかなり背の高い男が立っており、一斬へと親し気に笑いかけている。そして、その隣に立って居る人物にミーシャは驚いた表情を見せた。
「お父さん!?」
「息災そうで何よりです、ミーシャ」
男の隣に立っているのは白髪交じりの灰色の髪、年老いてると思えない背筋が伸びた体つき、いかにも老紳士ともいうべき人物だった。彼はミーシャの姿を見て朗らかに微笑んだ。ミーシャも驚きはしたが父親へ嬉しそうに駆け寄る。
「来るんだったら手紙で教えてくれればよかったのに」
「ははは、そうしたらブライバーク先生にあなたの様子を聞けないではないですか」
「……ブライ先生?」
「余計な誤解を生まないでください、ラングレーさん」
ミーシャに
「こっちでも君が頑張ってるっていう話しかしてないよ、ミーシャちゃん」
「そうそう、我が娘ながら鼻が高いですよ」
「それは……褒め過ぎじゃないかな」
ブライと父親の言葉にミーシャは照れたように、あるいは困ったように笑った。その様子に満足げな顔を見せ、ラングレーは一斬にも軽く会釈をした。
「一斬さんにも、娘がお世話になっております」
「大した事はしてねぇよ」
「そんな、今朝も助けてくれたじゃないですか」
「今朝?」
「何かあったのかい?」
ミーシャの言葉にラングレーとブライは不思議そうな顔をしていた。二人の反応に「実は……」とミーシャは今朝あった事を説明した。リザードマン達の暴走、一斬が変身した事、一連の話を聞いて、ブライは腕を組むと「うーん」と何か考えるように唸った。
「なるほど、ノイがねぇ……。それで変身したと」
「俺は良いって言ったが、ママさんが行け行けうるさくてさ」
「はははっ、まぁ君はあの人にとって息子みたいなもんだからね。じゃあ、診察しようか。奥へどうぞ」
「分かった」
「あぁ、そうだ。二人とも――」
奥へ行こうとしたブライは何か思いついたように足を止め、ミーシャ達へ振り返る。
「良かったら、見ていかないかい? 診察」
「はぁ?」
ブライの言葉に、一斬が
「いいんですか?」
「おい、先生」
一斬が抗議するように止めに入ったが、ブライバークは少しも笑みを崩さない。
「まぁまぁ、ミーシャちゃんの勉強会でもあるんだよ。それにラングレーさんも興味あるんじゃないかい?」
「……まぁ、無いと言えば嘘になりますが」
困ったようなラングレーの返事に、笑みを浮かべたまま頷いたブライバークは何か試すような目で一斬の方へ視線を戻した。
「もちろん、一斬がどうしても嫌ならいいけど」
ブライのそんな言葉を聞いた一斬の視線は、いつの間にかミーシャへ向かっていた。少女の瞳には控え目な態度で居ながらも、好奇心の色がどうしても隠し切れないような……そんな感情が浮かんでいた。その目を見ると、一斬は諦めたように溜息を吐いた。
「分かった、好きにしな」
「ありがとうございます」
診察室へ向かうために歩いて行く一斬の耳に、嬉しそうなミーシャの礼の言葉が聞こえた。
*
――
それは「悪魔の使い」「魔物となった人間」など様々な
かつて、この大陸における「変身信仰」と呼ばれた信仰の筆頭となる存在でもあり、昔には教会による粛清対象として見つけ次第……もしくは疑わしい者の処刑が義務付けられていた。
人狼となった者は、激しい飢餓感と食人衝動を覚え、毎晩に最低でも一人は人間を食べねばならなかったという伝承もある。仲間で狩りをする狼の特性を引き継いでいて、人狼同士は人間の状態でもお互いが「人狼である」と分かる。
人の心を持ちながらにして、魔物としての特性も持つ人間――それが人狼だ。
「でも時代の流れで、ここエルクラットに関しては人狼にも人間としての権利が与えられた。色んな壁や血を流した歴史はあるし、条件も厳しいけどね」
ミーシャもラングレーも黙ってブライの説明を黙って聞いていた。説明をしつつ、一斬の手は軽くナイフで斬り込みを入れられ、その血を受け取った小さな皿は机の上へ置かれた。次いでブライの手からは淡く、白の光が放たれる。それが一気の手を包むと、傷はゆっくりと塞がった。
「回復魔法のかかる早さも変わってないね、血は……」
ブライが立ち上がると棚から小瓶を取り出し、一斬の血へと一滴垂らす。何か焦げるような音を立てて血の色が
「前と変わってないよ、悪化もしてない」
「だから平気だって言ったのに」
「まぁまぁ。こういうのは経過を続けて診るのが大事だよ、一斬」
「あの、今のは?」
ミーシャがおそるおそる尋ねる。ブライは「説明するね」と言って先ほどの小皿を二人に見せた。中には一斬の血と液体が混ざったものがある。
「人狼の人達は半分が魔物に近いんだ。だから神聖属性のある液体や魔法は彼らにとって毒だし、銀の剣やナイフ、特殊な剣で付けられた傷は再生しない……これは知ってるかな?」
「は、はい」
戸惑いながらもミーシャが頷くとブライは小さな小皿を軽く回した。小さく焦げたような音を繰り返し発した血は、やがて緑色と混ざって黒ずんでいった。
「まぁ、だから人狼として血が濃くなっていないか経過は見る必要がある訳だね。驚異的な回復能力がある代わりに、人狼として血が濃いほど回復魔法の効きは遅いし、血は聖水を垂らすとこんな風にとあちこちが変色して蒸発する。だから聖水を飲むと、私達は平気だけど彼らにとっては毒になる。死んだりはしないし、体調が悪くなる程度なんだけどね」
「へぇ……」
「さて、今日の講座はこれくらいにしようか、一斬もお疲れ様」
「どーも先生」
「どういたしまして」
そう言ったブライは道具を片付けようとしたが、ふと思い出したように「あぁ、そうだ」と一斬に再び振り返った。
「一斬、君、今暇かい?」
「まぁ暇だな」
「だったら良かった、お願いがあるんだけど――」
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