科学進化バットン・ジャン
ウゴカッタンさんの『科学進化バットン・ジャン』を16了まで読んで力尽きました。
こんな私がこの作品について語るなど言語道断、卑劣極まるあくどい所業です。
ですが、これだけのパンチを食らってほんの指先さえも触れられずにリングを降りるのは武士として一生の恥。せめて私が確かにこの作品の、ほんの一部とはいえ挑んだことをここに残したいと思う。
だが試合終了のその瞬間を迎えずにスタジアムを抜け、今日の試合は負けだ負け、と帰りに寄った居酒屋で豪語したのちにヤ○ーニュースの見出しに『奇跡の大逆転』と張り出されるなんてのは、あまりに恥ずかしくてもう二度とこのカクヨムの土を踏めなくなってしまいそうだ。それは私の本望ではない。
そこでここにおいては作品ないでも言及があった「小説の体をなしていない」などの講評について私が今思うところを述べたいと思う。
小説の体をなしていない。
(そういえば、第4回ハヤカワSFコンテストにおいて特別賞を受賞した
では小説とはいったいなにか?
心に響かない駄文。
では心に響く作品とはどのような作品か?
自作の作品を宣伝するようですが著作である『ねぇねぇなんで?』のように、そうした疑問を抱いたとき、この作品はたしかに小説の体をなしていないと思ったのです。
なぜなら、もとよりこれは私たちの思い浮かべる小説というものとは全くの別もの、ともいえる存在であると考えたからです。
小説とはいったいなにか?
文字が並んで、そこに人間がいて、生きている。生きているからこそ、問題にも突き当たるし、葛藤するし、なにかと他人傷つけるし(なんなら殺すし)、そんでそれを咎めるしで。え~とえ~と、とにかく人間が生きてるってところを書き記したもの、それが小説ってもんじゃないの!?
このように私は小説というものを捉えています。
その枠にはめてみると恐らくは誰でも小説は書けるという、図式が成り立ちます。
もちろん、現在小説家として活躍される方ほどの実力と比べますと、差は歴然です。ですが、小説を書けていないというわけではないと思うのです。
では「小説の体をなしていない」と仰っられる方はなにをもってそうも講評されるのか。
それはしっかりと調理したうえで、きれいな皿にのせられた料理である、ということではないかと思います。
そのように評される方からすれば、その作品は生焼けだったり、水っぽかったり、塩と砂糖を間違えていたりと、口にした時に明らかな異常を感じ取ったからこそそのように評されるのだと思います。
しかし料理とはなにも味や見た目がすべてというわけではないでしょう。
初めての一人暮らしで経験する初めての自炊というものはたとえ不味くても思い出にも成長のための第一歩にもなりますし、バレンタインに塩と砂糖を間違えたチョコを渡されるというのは、ドジっ子の慌てふためく様子が見れてむしろ一石二鳥でしょう。
それは小説においても同じことではないでしょうか。
誰だってはじめは火加減を間違えるもの、味付けに手間取るもの、皿に盛り付けるときにたれをキッチンにこぼすもの、塩と砂糖を間違え・・・るのが許されるのはドジっ子の女の子だけですのでそれだけはしないようにしましょう。
とにかく誰もがそういった道を通るものです。
ですが、料亭の味を知ってしまったかつての子供は次第に母親の味を忘れてしまうこともあるでしょう。
そりゃあ料亭で出される料理と比べたら、私がレシピとにらめっこをし、跳ねる油と格闘し、味噌の配分に悩んだ挙句薄味になった晩ご飯など月とすっぽんどころか、月と泥だんごでしょうよ。それでもね、下手くそなりに作ったご飯を食べて、美味しいと言ってくれる人がいるんですよ(ここ最近の実家での日常です。作る相手がいるって最高のモチベーションになります)。それでいいじゃないですか。
せっかく作った料理に文句を言う人になんて、ご飯作りたくなくなります。それが料理をしたことが無いのならまだしも、作ったことがあってそう言うのであればそれはかなり意欲の下がる行為ですから、あまりよろしくないでしょう。
さて、ここまで「小説の体をなしていない」などの講評に対しての意見を長々と述べさせていただきました。
そのうえで申し上げますと、この作品「科学進化バットン・ジャン」はもはや料理とは言えないです。生きた生魚を出されるよりもひどい、これは生きた細胞を口いっぱいに飲み込んでいるような気分になる、そんな作品です。
言いましたよね、小説は料理のようなものだと。
調理の過程で包丁で切られ、熱せられた細胞の塊は全体的に見れば生きてはいません。活き作りという調理法もありますが、あれは生きているというより死にかけている、という表現が近い気がするので同じでしょう。
どうでしょうか?
生きた細胞を口いっぱいに飲み込むんです。
この『科学進化バットン・ジャン』がいかにぶっとんでいて、とても小説とは思えない作品であることがご想像いただけるだろうか。
私はそういった意味でこの作品は、「小説の体をなしていない」と言いたい。
なんせ生きた細胞のような代物だ。かなり人を選ぶだろうが、マッチしたら大変なことになる。
口の中で唾液といっしょに混ぜ合わせた結果、生まれるものが天使なのか悪魔なのか、はたまた肝臓をひっくり返したようなおぞましいゲテモノなのかは食してみないとわからない。
私にはこれを最後まで食すことはできなかったが、薬指の爪ほどの新たな教示を得れたことは嬉しく思う。
いずれこの作品を口にしたものの中から、とんでもないものが生まれてしまうことだろう。その瞬間こそが、この小説という世界におけるシンギュラリティ(技術的特異点)なのかもしれない。
いやもしくは、もう既に過ぎているのかも・・・
ネコパンチ・・・♡
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