147 空を開いた脅威
来ると感じた気配は、広場に着くと落ち着いてしまった。
鼻をつく異臭はあるが、だいぶ慣れたのか普通に立っていられる。
みさぎはうっすらと雪の広がる地面に足跡を付けて、広場の奥へと踏み込んでいった。
前回のハロン戦で一度
ハロンの気配はすぐそこにあるのに、
「十時か……」
日が落ちるまで六時間はある。それで決着をつけられたらいいと思うけれど、どうだろう。
いつ補給できるかなんてわからないから、一気に減らすことはできない。そして、なるべくなら丸薬の世話にはなりたくない。
みんなもうそれぞれの場所に着いただろうか。全員が無事に生き残れるだろうかと不安になるのは、自分だけが強いと心のどこかで思っているからなのかもしれない。
「
みさぎは
ハロンとの戦いは、どれだけ先に相手の体力を削れるかで決まる。
前世の戦いでは八割方自分が勝っていたと思う。リーナは全身に傷を負っていたが、その時点でハロンの片羽は落としていた。
勝利の予感を
ウィザードが最強とは言え、制限なしに魔法を発動できるわけではないし、短期間で高めた体力にも限界は来る。
配分はどうすればいい?
「最初から飛ばすとすぐに息切れしそうだけど、飛ばさないとダメージ与えられないかも」
とにかくハロンは固いのだ。
「こんな所で悩んでいてもしょうがないかな」
自分らしくないと思うのは、やっぱり少し怖いと思っているからだ。
「信じろ……みんなは強いから」
前世での戦いを振り返り、「冷静になれ」と側の木にもたれる。
少しでも体力を温存したい。
「今日ここで戦うためにあの崖を飛んだんでしょ?」
こんなにモヤモヤしてしまうのは、ハロンが出てこないせいだ。このままあと数時間待つのは耐えられそうにない。
「早く出てきて!」
仰ぎ見た穴へ向けて吐いた思いが、相手に届いたせいかはわからない。
一呼吸分の沈黙を挟んで、空気が震えた。その瞬間は、突然にやって来る。
「来た……?」
みさぎはハッとして魔法陣を頭上に描く。唱えた文言で光り出す文字列の底から、滑り降りたロッドを
別の文言を唱えて、今度は足元に大きめの魔法陣を貼りつけた。
騒めく木々の音に重ねて、辺り一帯にキンと鳴り響くのは、
「ルーシャも気付いたんだね」
崖の向こうに、透明な壁がせり上がっていくのが見える。
「待ってたよ、ハロン。予定通り出てくるなんて、優秀じゃない?」
足元の魔法陣にロッドの柄を突き刺して、みさぎは迎撃のタイミングを待った。
吐くような気配がない代わりに、微量の電流を流したような細かい震えを肌に感じる。それは徐々に大きくなって、みさぎはいよいよだと息を呑んだ。
穴の奥に、くぐもった
細かい筋が刻まれた
黒い闇を見せるその穴の高さは、みさぎの背よりはるかに高い。悲鳴のようなバリという音が耳をつんざいて、みさぎは「ひっ」と腕を耳に押し当てた。
穴の亀裂に現れた赤色の瞳が、みさぎを覗き込む。
地面に刺したままのロッドに力を込め、みさぎは再び文言を唱えた。
魔法陣発動──高い音を響かせて、光が輪の外側へ広がっていく。
ハロンは重々しい存在感を見せつけるように、のっそりと胴体を現した。
穴からまず二本の長い角を生やした頭が出る。開いた口に何本もの牙を生やしたその顔は、記憶のそれと一致した。
赤茶色の硬い皮に全身を包んだハロンの手が出て、足が出て、最後に羽がバサリと羽ばたいて穴を抜ける。
魔法陣の光が波打って、空中に浮かぶハロンの巨体を包み込んだ。表皮に貼りついた文字列を拒絶するようにハロンの鋭い
最初の攻撃は挨拶程度だ。一気に弾けた光が与えたダメージは、奴の身体をくねらせるほどでしかない。
「私を覚えてる?」
ハロンはゴォと空気を吐いて、宙からみさぎを見下ろした。
特撮映画さながらの怪獣っぷりだ。小さなビル一つ分ほどある巨体は、首が痛くなるほど見上げた所に顔がある。
前世で与えた傷はすっかり癒えて、切り落としたはずの片羽ですら元通りに再生していた。
ハロンとの十七年ぶりの再会に、さっきまで感じていた不安は消えている。
またここで戦えることが、みさぎは嬉しくてたまらなかった。
11章『空を開いた脅威』終わり
12章『禁忌の代償』へ続く
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