147 空を開いた脅威

 来ると感じた気配は、広場に着くと落ち着いてしまった。

 鼻をつく異臭はあるが、だいぶ慣れたのか普通に立っていられる。

 みさぎはうっすらと雪の広がる地面に足跡を付けて、広場の奥へと踏み込んでいった。

 冬枯ふゆがれの広場は物寂しく、細い風が音を立てて木々の間を通り過ぎていく。


 前回のハロン戦で一度ふさがった次元の穴はあれからまた徐々に広がって、き出しの状態になっていた。

 ハロンの気配はすぐそこにあるのに、勿体もったいぶるようになかなか姿を見せない。


「十時か……」


 日が落ちるまで六時間はある。それで決着をつけられたらいいと思うけれど、どうだろう。

 呆気あっけなく命を落とすことにだけはならないようにと祈りながら、みさぎは持ってきた水を少しだけ飲んで、固いパンを半分かじった。

 いつ補給できるかなんてわからないから、一気に減らすことはできない。そして、なるべくなら丸薬の世話にはなりたくない。


 みんなもうそれぞれの場所に着いただろうか。全員が無事に生き残れるだろうかと不安になるのは、自分だけが強いと心のどこかで思っているからなのかもしれない。


自惚うぬぼれてるよね」


 みさぎは自嘲じちょうする。最初にハロンとの戦闘を確約されたこの場所に自分が配置されたことが嬉しかった。


 ハロンとの戦いは、どれだけ先に相手の体力を削れるかで決まる。

 前世の戦いでは八割方自分が勝っていたと思う。リーナは全身に傷を負っていたが、その時点でハロンの片羽は落としていた。

 勝利の予感をくつがえした負けの原因はあの雨だ。あの雨に残っていた体力も気力もがれて、意識が飛んだのだ。

 ウィザードが最強とは言え、制限なしに魔法を発動できるわけではないし、短期間で高めた体力にも限界は来る。


 配分はどうすればいい?


「最初から飛ばすとすぐに息切れしそうだけど、飛ばさないとダメージ与えられないかも」


 とにかくハロンは固いのだ。


「こんな所で悩んでいてもしょうがないかな」


 自分らしくないと思うのは、やっぱり少し怖いと思っているからだ。


「信じろ……みんなは強いから」


 前世での戦いを振り返り、「冷静になれ」と側の木にもたれる。

 少しでも体力を温存したい。


「今日ここで戦うためにあの崖を飛んだんでしょ?」


 こんなにモヤモヤしてしまうのは、ハロンが出てこないせいだ。このままあと数時間待つのは耐えられそうにない。


「早く出てきて!」


 仰ぎ見た穴へ向けて吐いた思いが、相手に届いたせいかはわからない。

 一呼吸分の沈黙を挟んで、空気が震えた。その瞬間は、突然にやって来る。


「来た……?」


 みさぎはハッとして魔法陣を頭上に描く。唱えた文言で光り出す文字列の底から、滑り降りたロッドをつかんだ。柄をくるりと回して、青く光る玉を地面へ向ける。

 別の文言を唱えて、今度は足元に大きめの魔法陣を貼りつけた。


 騒めく木々の音に重ねて、辺り一帯にキンと鳴り響くのは、空間隔離くうかんかくり発動の合図だ。


「ルーシャも気付いたんだね」


 崖の向こうに、透明な壁がせり上がっていくのが見える。

 白樺町しらかばちょう一帯を遥か高い位置まで覆った壁の中は別次元になり、エリア内に一般人が入り込んでも、その人には何も見えないし影響も出ない。


「待ってたよ、ハロン。予定通り出てくるなんて、優秀じゃない?」


 足元の魔法陣にロッドの柄を突き刺して、みさぎは迎撃のタイミングを待った。

 吐くような気配がない代わりに、微量の電流を流したような細かい震えを肌に感じる。それは徐々に大きくなって、みさぎはいよいよだと息を呑んだ。


 穴の奥に、くぐもった咆哮ほうこうが響いて、空が開く。

 細かい筋が刻まれた湾曲わんきょくする爪が飛び出て、風景を切り裂くように穴が左右に破れた。

 黒い闇を見せるその穴の高さは、みさぎの背よりはるかに高い。悲鳴のようなバリという音が耳をつんざいて、みさぎは「ひっ」と腕を耳に押し当てた。


 穴の亀裂に現れた赤色の瞳が、みさぎを覗き込む。

 地面に刺したままのロッドに力を込め、みさぎは再び文言を唱えた。


 魔法陣発動──高い音を響かせて、光が輪の外側へ広がっていく。


 ハロンは重々しい存在感を見せつけるように、のっそりと胴体を現した。

 穴からまず二本の長い角を生やした頭が出る。開いた口に何本もの牙を生やしたその顔は、記憶のそれと一致した。

 赤茶色の硬い皮に全身を包んだハロンの手が出て、足が出て、最後に羽がバサリと羽ばたいて穴を抜ける。


 魔法陣の光が波打って、空中に浮かぶハロンの巨体を包み込んだ。表皮に貼りついた文字列を拒絶するようにハロンの鋭い咆哮ほうこうが響き渡る。


 最初の攻撃は挨拶程度だ。一気に弾けた光が与えたダメージは、奴の身体をくねらせるほどでしかない。


「私を覚えてる?」


 ハロンはゴォと空気を吐いて、宙からみさぎを見下ろした。

 特撮映画さながらの怪獣っぷりだ。小さなビル一つ分ほどある巨体は、首が痛くなるほど見上げた所に顔がある。

 前世で与えた傷はすっかり癒えて、切り落としたはずの片羽ですら元通りに再生していた。

 ハロンとの十七年ぶりの再会に、さっきまで感じていた不安は消えている。


 またここで戦えることが、みさぎは嬉しくてたまらなかった。







11章『空を開いた脅威』終わり

12章『禁忌の代償』へ続く

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