131 アイツの嫉妬

 今度来るハロンについて、一番それっぽい絵を描いたのはともだった。


 かつてターメイヤにそれが現れた時、咲がその姿を見たのは一瞬だ。目に焼き付いた恐怖は、もうだいぶ薄れてしまっている。

 漠然ばくぜんとした記憶が智の絵に重なって、咲は「すごいよ」と手を叩いた。


 記憶の回帰はターメイヤの国章と同じだった。

 けれど、あまりにも写実的な智の絵は採用に至らず、結局は他のデザインも決まらないまま咲はスケッチブックを持ち帰った。

 夜一人で悩んだものの、なかなかこれといったものが浮かばない。


 翌日はまた雨だった。

 みさぎが放課後はデートだとはしゃいで帰った後、咲は部活の前に智を図書室の脇にある生徒指導室へ呼び出した。長テーブルと椅子しかない小さな部屋で、届けを出せば誰でも借りることができる。

昨日と連続で田中商店を貸し切ってもらう訳にもいかず、ここを指定した次第だ。


 ガラリと開いた扉から、涼しい空気が入り込んでくる。


「悪い、遅くなった」


 白いままのスケッチブックを睨みつけていた咲が「構わないよ」と顔を上げた。

 智は髪についた雨を払って、持っていたビニール袋をテーブルの上に置く。湿った袋の中からパンが零れた。


「あれ、田中の店行ってきた?」

「あぁ。最近この時間になると腹減るんだよね。部活始めてから、ホント燃費悪くなったって言うか」

「悪かったな。だったら向こうでやれば良かったかな」

「いや、混んでたしこっちの方が良かったよ。お前もどうだ?」


 詰め込んであった袋の底から取り出したシナモンロールを咲に勧めて、智は向かいに腰を下ろす。

 「ありがとう」と受け取って、咲は「いただきます」とパンにかじり付いた。

 前に食べた時より、優しい味がする。


「うまいな」

「だよな。そうそう、この間お前が熱出して部活来なかったとき、俺たちあそこで聞いたんだけどさ。あの店のパンとかって、大体ハリオス様が作ってるらしいぜ」

「そうなのか? あぁ……けど、そうか」


 店にいるのは大体があやだけれど、良く考えると彼女が料理上手だとは思えない。

 前に智たちの修行を見に行く為に差し入れを作った時も、咲が店に着くと既にパンの生地は仕上がっていて、ほぼ焼くだけの状態になっていたのだ。


 だから料理上手だったハリオスが作っているという事実がに落ちて、咲は「うん」と大きくうなずいてみせる。


「爺さんの作ったパンだって思うと、感慨かんがい深いな。僕は寄宿舎きしゅくしゃや城で食べるご飯より、あの人が作る料理が好きだったんだよ」

「へぇ」

「だから、僕が料理するのは爺さんの影響なのかなって思う」


 智は相槌あいづちを打って、白いままのスケッチブックに顔を向けた。


「大分苦労してそうだな」

「そうなんだよ、助けてくれ」


 智は手に残っていたパンを口に押し込んで、黒いペンでスケッチブックに線を走らせる。


「お前の事だから、彼氏の部屋にある騎兵隊の旗みたいのが良いんだろ? あれって真ん中に国獣が横向いてるやつだよな?」

「そうそう。そうなんだよ!」

「それをハロン敵の顔にするってのは、俺もどうかと思うけど。剣も描いとけば、お前が言うように打倒って感じになるか」


 そう言うと智はまずクロスさせた剣を描いて、その上にハロンらしき顔を描いた。昨日の写実的なものではなく、線が少ないものだ。


「すごいよ智。お前がそんなに絵を描ける奴だなんて知らなかった。感謝するよ」

「絵は昔から好きなんだよ」


 咲の中ではもうそれが決定稿になっていて、仕上がっていく絵を興奮気味に眺める。


「あと、ターメイヤの国章も頼むよ」

「そうだ、忘れてた。入れないとルーシャが怒りそうだしな」


 咲の指差した先に、智は昨日見せられた太陽の記号を加える。全体からするとやや控えめだけれど、咲は満足げに「いいよいいよ」と彼をはやした。


 智は「完成」とスケッチブックを咲へ向けて立て掛ける。

 あんなに悩んでいた旗のデザインは、智の手であっという間に仕上がってしまった。


「ありがとう、智。あとは僕が旗に写しておくよ。模写もしゃなら僕にもできるからね」


 咲は「良かったぁ」と安堵あんどして、食べかけのパンを口にする。


「そう言えば最近さ、僕はターメイヤにいた頃の夢を見るんだ」

「へぇ。それって昔の記憶って事?」

「まぁな」


 ふと夢のことを思い出して、咲は気になっていた疑問を智へ投げる。


「お前こっち来る時、思いを断ち切るためだって言ってたよな? あれってメラーレのことだろ?」

「ちょ、突然なんて話すんだよ」


 智は吹き出しそうになった口をぎゅっと押さえる。

 あれは、向こうで最後に酒を交わした時にした話だ。


「いや、今更だけど気になったんだよ。そんなこと言ってたなって思ってさ。メラーレへの想いは断ち切ったんじゃなかったのか?」

「ったく、馬鹿言うなよ。断ち切らなきゃならない程の想いなんて、一瞬でまた繋げられるものなんだよ」

「そういうことか」


 まだ智が一華の正体に気付いていない頃、彼女は彼をずっと好きだったという話をしてくれた。智が一度断ち切った筈の思いは、実は繋がったままだったのかもしれない。


 智は「だろ?」と言って最後のパンを口に放り込むと、改まった顔で咲を呼んだ。


「ヒルス、こんな時だから言うけどさ。俺、お前の事絶対に死なせないから」


 急に真面目な顔をする彼に、咲は「何だよ」と眉をしかめる。


「そういうのは、メラーレに言ってやるもんなんじゃないか?」

「一華にはいつも言ってるよ」

「そうか。だったら何で?」

「お前は俺を生き残らせてくれた。だから、今度は俺が守る」

「キザ野郎が。けど、生憎あいにく死ぬ気はないんだよ。それより鈴木が見てるぞ」


 ふいに視線を感じて、咲は廊下の方を一瞥いちべつする。本人は隠れているつもりのようだが、緊張したままのゆがんだ顔が小窓の隅に貼りついていた。

 先日の夜を思い出して、咲は睨みつけてやりたい気持ちを抑えながら気付いていないフリをする。


「あの顔はホラーだな。俺も気付いてたよ」

「全く、何してるんだよアイツは」

「俺たちがこうしてると、恋人同士に見えるんじゃない?」

「いや、僕はアイツに恋人がいるってカミングアウトしたし、アイツの憧れの一華先生がお前のものだってのも知ってるだろ?」

「だったら、浮気してると思われてるね」

「冗談。お前となんて、僕は無理だからな」

「だな。キスなんてできないもんな」

「そういうこと」


 鈴木にイラつく咲に対し、智は声を上げて笑い出した。




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