130.5 【番外編】サヨナラ

 ルーシャがハロンを次元隔離じげんかくりして一年が経った。

 この短い期間で国の復旧は驚く程に進み、今この世界は平和だと思える。

 けれどそんな穏やかな日々の裏で、ルーシャがこことは別の世界の未来を不安視ふあんしした。


 結果、その改変へと動き出したのは、ヒルスにとって大切な友と憎らしい男だった。

 誰にも言うなと口止めされている。

 そうするとは聞いていたけれど、いざ別れを切り出されると自分が思っていたよりショックが大きかった。


「明日、行くことにしたよ」


 彼に呼ばれて部屋へ行くと、アッシュは一人で酒を飲んでいた。

 空にしたグラスをヒルスにつかませ、琥珀色の酒をなみなみに注ぐ。


「急なんだな」


 次元の外へ追い出したハロンが、今度は別の世界の壁をこじ開けて脅威きょういを降らせるという。

 それが起きるのは十七年後。知らない世界の未来の為に、彼らはこの世での生を捨てて、その世界へ生まれ変わるというのだ。


 馬鹿げた話だと思う。けれど、彼らは本気でそんな馬鹿をしようとしている。

 いくら考えても納得できず、ヒルスは酒をぐいぐいと流し込んで長い溜息を吐き出した。

 まだ慣れない酒はすぐに回って、ほおがジンと熱くなる。


「急でいいんだよ。伸ばせば気持ちがにぶるから」

「それってリーナのせいか?」

「どうだろうな」


 アッシュは戻したグラスに酒を注いでゴクリと飲み込む。

 つややかに溶ける氷がカラリと音を立てた。


「だったら他に理由があるのか?」

「まぁね──言わないけど」

勿体もったいぶるなよ。それで……あの男は何か言ってるのか?」

「ラルのこと? アイツは使命感が強すぎて、一人でも行く気だったみたいだぜ。けど、はいそうですかって送り出せるわけないだろ? 俺だってリーナの側近なんだ。ハロンを倒せなかった責任は俺たちがとろうって決めたんだよ」

「別に……残ったっていいんじゃないのか? そんなことしなくたって、この世界は平和なままなんだろう?」

「お前が俺を止めてくれるの? 嬉しいね、気持ちだけ貰っとくよ。リーナに言わないで行こうって言ったのはアイツなんだ。リーナを置いていけるのは、お前が居るからなんだからな?」

「何を……今更」


 「くそっ」と吐いて、ヒルスは奪ったグラスを握り締めた。


「お前アイツのこと嫌いなんだろ? いなくなってせいせいするんじゃない?」

「あぁ、そうだよ。嬉しいよ。僕はアイツをうらんでるからね。けど、リーナは泣くんだろうな」

「そのためのお兄ちゃんじゃないのか?」

「僕がアイツの空けた穴を満たすことなんて……」

「弱気になるなよ」


 自分がラルを嫌いだという毎に、リーナがヤツへの想いを募らせている気がしてならない。


「なぁアッシュ、考え直さないか? あの崖を飛び降りるなんて、僕には信じられないよ」


 ルーシャの言う話だと、異世界へ生まれ変わる方法は、町の外れにある崖から身を投げることだという。


「死の瞬間に魂が抜けるとか言ってたから、衝突の痛みはないんだってさ。大丈夫、俺はこの世界の名誉のために行くんだぜ。後世こうせいまで胸張れる立派な事だろう?」


 アッシュはいつも通り、平和な笑顔を見せる。


「この世界に未練みれんがあるんじゃなかったのか?」


 彼の決心を鈍らせる理由は分からないけれど。


「あるよ。けど、どう足掻あがいたって無駄だから、それを断ち切るために俺は行くよ」

「アッシュ……」

「ルーシャが、向こうはここと全く違う世界だって言うんだ。魔法のない世界なんだぜ? 鉄の塊が空を飛んで、人を運んだりするらしい」

「は? 空を? まさか」

「だろ? だから見てみたいって思えた。一方通行だけど、旅でもする気持ちなら怖くないだろ?」


 アッシュは残り少なくなった酒瓶さかびんに口を付けて、一気に飲み干した。瓶から放した手をヒルスに手を差し伸べる。


「サヨナラだよ、ヒルス。俺たちもお別れだ」

「……何でこんなことになるんだよ」

「お前と会えて楽しかったよ。ありがとうな」

「……くそぅ」


 兵学校で出会ってから、彼とは六年の付き合いだ。あの過酷なハロン戦を生き延びた自分たちの関係は、これからずっと何十年も続くものだと思っていた。

 取りたくない手を無理につかんで、固い握手を交わす。


「見送りには来るなよ? 明日が終わるまでいつも通りに過ごしてくれればいいから」

「なぁアッシュ、もしリーナがお前たちを追い掛けたいって言ったら、僕はどうすればいいんだ?」


 向こうに行けるのは二人が限界だとルーシャに聞いている。

 魔法を使えないリーナがたとえ二人を追い掛けても、一緒に戦うことはできないだろう。


 アッシュは「そうだな」と一瞬考えて、


「もしそんなことができるなら、お前も来ればいいじゃん。またお前に会えるなら、俺は嬉しいぜ」


 そんな言葉を残して、彼は呆気あっけなくこの世を去った。


 側近である二人が異世界へ旅立ったことをリーナが知ったのは翌日の事だ。

 彼女は泣き崩れたけれど、あの涙の意味はヒルスが思っていたものとは少し違っていたのかもしれない。

 あの日からリーナは、二人を追う機会を狙っていたんだと思う。


「そして、僕も──」


 ルーシャがアッシュに起こる不運を予測したのは、それから三か月後の事だった。





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