108 アイツの気持ち

 朝いつものように駅で待ち構えたさきともから昨夜の一部始終を聞いて、みさぎとみなとは「えぇ?」と顔を見合わせた。


「バレちゃったの?」

「大変だったんだぞ」


 昨日いつもより遅くにれんが咲と電話しているのが聞こえたのは、そういう理由だったらしい。

 地下室で鉢合はちあわせした鈴木の記憶はあやの魔法で消すことができたが、智と一華いちかが恋人同士だと知ってしまった衝撃を忘れてはくれなかったという。


「目の前でメラーレが智に抱き着いてさ。一華先生ラブのアイツにとっちゃ災難だったってわけ」


 咲がぎゅうっと自分の身体を抱きしめる小芝居をしながら、昨夜の説明をした。


「魔法が効かなかったって、ルーシャは不調なのか?」

「どうだろ。まぁ魔法なんて絶対的なものじゃないと思うし」


 心配する湊に、智は他人事のように笑う。


「鈴木くん、何か可哀そう。ショックだったんだね」


 恋愛小説を『恋の指南書』だと言って読んでいた彼を思い出して、みさぎは複雑な気持ちになった。

 鈴木が一華を狙っていたのも知っているし、仮病けびょうまで使って保健室に通っていたのは一年クラスでは周知の事だ。


「別に可哀そうなんかじゃないよ」


 急に咲が不機嫌になって、不貞腐ふてくされたような顔をする。


「咲ちゃん? 何かあった?」

「ないよ」


 ぷうっとほおふくらませた咲が昨日鈴木に告白されたことなど、みさぎには知るよしもなかった。



   ☆

 小テストが終わって、溜息ためいきの零れた昼休み。

 智と咲が購買に焼きそばパンを買いに行って、湊が係の仕事で職員室へ呼ばれた。


 一人になったタイミングで、みさぎは鈴木に声を掛けられた。

 彼の視線が気になるようになってから、初めて話をした気がする。失恋の影響か、少し元気がないように見えた。


「ちょっといい?」


 鈴木はキョロキョロと辺りを警戒しながら、廊下を指差した。

 昨夜の話なのかと思うと無下むげに断ることはできず、みさぎは出しかけた弁当箱を鞄に戻して「ちょっとだけなら」と席を立つ。


 鈴木は黙ったまま階段を上り、屋上への踊り場の所で足を止めた。

 すぐ下の階には音楽室や理科室が並んでいて、この時間は全く人気が無い。


「ちょっと待って。ここなの?」


 シンとした廊下に声が響く。流石さすがに二人きりというシチュエーションには不安になった。

 鈴木は壁に片手をついて、哀愁あいしゅうたっぷりの溜息ためいきを吐き出す。


「心配しないで。ここなら他の人に聞かれないだろうと思っただけだから」

「う、うん」


 みさぎがうなずきながら後ろへ一歩下がると、鈴木は苦笑する。


「俺が怖い?」

「そんなことないよ」


 本当は少し怖いと思いながら、みさぎは首を横に振った。

 鈴木の失恋のダメージは、相当だったようだ。


「今日の俺はブロークンハートなんだよ。君に俺の気持ちは分からないだろうけどね」

「ど、どうだろう。智くんと一華先生の事だよね?」


 鈴木が込み上げる涙にまぶたを閉じるのが分かって、みさぎは『マズい』と口元を引きつらせる。


 ごめんなさいと謝るのも違う気がした。

 何故自分は今彼と二人きりなんだろうという疑問が沸いたところで、みさぎのポケットに入ったスマホがバイブレーションを響かせた。あまりにも静かなせいで、サイレントモードの意味を成さない。


 鈴木はこれ見よがしに、また溜息をついた。


相江あいえでしょ? いいよね、荒助すさのさんは幸せそうで。僕が見てたのに、駅でアイツとキスしてたもんね」

「ちょっ! 見てたの?」


 悲鳴に近い声が響いて、みさぎは慌てて自分の口を手でふさいだ。

 ここ数日の彼の意味深な視線の理由が理解できた。


「まぁ君は、僕が居るのにも気付かなかったみたいだけど」


 あの日、あそこには誰も居ないと思っていた。ここ最近の様子から察すると、湊はそれに気付いていたはずだ。


「もうイヤ」


 ここから逃げ出したくなって赤面した顔を背けると、


「ごめん。怒らせるつもりでも、おどすつもりでもないんだ。ただのやっかみなんだよ。だから待って」


 鈴木は必死に謝って、突然別の話を切り出した。


「それより聞かせて。海堂に彼氏がいるって本当なの? 男なの? 誰なの?」


 みさぎはハッと目を見開く。


「昨日、海堂に言われたんだ」


 一華への失恋から、どうしてそう言う話の流れになるのか想像もつかないが、何故みんな咲の恋人の性別を確認したがるのだろうか。いやそれよりも彼の不安気な表情が、ただの興味本位とは違うのが分かって、みさぎは眉をひそめる。


「もしかして鈴木くんて、咲ちゃんが好きだったの?」

「…………」


 鈴木は強く閉じた唇を震わせながら、みさぎを真っすぐに見つめるばかりで、その返事をしてはくれなかった。

 事実を話すのは気の毒な気がしたけれど、本人が言ったのなら隠す必要はないと判断して、みさぎは彼に本当の事を伝える。


「相手は男だよ。私のお兄ちゃん」


 ポロリと零れた彼の涙を、受け止めてあげることはできなかった。


「じゃあ私、行くね」


 みさぎは傷心の鈴木を残して階段を駆け下りる。

 朝、咲の様子がおかしかったのは彼のせいなのかもしれない。

 一華が好きだと言っていた鈴木は、本当は咲が好きだったのだろうか──そんなことを考えながら音楽室を横切ると、開け放たれた窓の外から雨音が聞こえた。


「雨の匂い……降ってきちゃった」


 みさぎは足を止めて空を仰ぐ。予報では夕方まで曇りの筈だった。

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