107 ベッドのアイツ

 ともによって気絶させられた鈴木の記憶は、あやの魔法によって地下へ入る直前まで巻き戻された。

 地下への階段も、智に一華いちかが抱き着いたことも覚えている筈はないのだ。


 なのに鈴木は、一華たちの事だけ忘れなかった。場所を思い出すことはできないという。

 二人の抱擁ほうようは、彼にとってよほどショックだったらしい。


「なぁ海堂、あの二人は付き合っているのか?」


 こうなったら隠すわけにもいかず、咲は「そうだよ」とうなずいた。

 愕然がくぜんとする鈴木が、ベッドの上で肩を震わせる。


「何でアイツなんだよ。何で俺じゃいけないんだよ。転校してきたばかりじゃないか。少し背が高いからって……まぁまぁ頭が良くて、まぁまぁ顔もいいからって……俺はもう生きていけないよ」

大袈裟おおげさだな」

「大袈裟なんかじゃない。俺はこの屈辱くつじょくを何度味わえばいいんだ。何度失恋すれば、春が来るんだよ」

「失恋してもしなくても、春は来るだろ」


 確かに転校してきてすぐの智が人気の一華と恋人同士なんてことが広まれば、ナンパ野郎だと指差される事になるだろうが、二人の恋は何十年越しなのだ。もちろん今ここで鈴木にそれを言う事はできないけれど。


「アイツは元々ナンパ野郎だけどな」


 面白がって呟いた咲を見上げて、鈴木は落ちてきた鼻水をズルズルっと吸い上げた。

 汚い音が響いて、咲が「全く」と側にあったティッシュボックスを差し出すと、鈴木は豪快に鼻をかんだ。

 そして、目をうるませておかしなことを言う。


「もうさ海堂、俺と付き合わない? 俺、昔からずっとお前の事──」

「待て」


 全身にブルリと鳥肌が立って、咲は鈴木の話を慌てて止めた。


「言っとくけど、僕にも恋人が居るんだからな?」


 彼に同情なんてしなければよかったと後悔しながら、咲は驚愕をはらんだまま硬直する鈴木を置いて保健室を後にした。



   ☆

 鈴木の後始末を、そろそろ戻って来るだろう絢に託して、咲は校舎を出た。


 すっかり真夜中の色に包まれた夜の学校は、またあのゾンビ映画を思い出させる。

 嫌でも我慢して鈴木と一緒に帰ればよかったという気持ちがよぎった所で、


「ヒルス」


 闇から声を掛けられて、咲は思わず「うわぁ」と悲鳴を上げた。

 智だ。

 すぐそこで待ち構える彼の姿に驚いて、心拍数の上がる胸を押さえつける。


「びっくりさせるなよ。お前、メラーレと帰ったんじゃなかったのか?」


 一華は地下に戻ったと思ったし、智もとっくに駅へ行ったのだと思っていた。ここに戻って来るなんて不意打ちすぎる。


 智はそんな咲の恐怖もお構いなしに笑顔を見せた。


「今日はもう帰るって言うから、ちゃんとマンションまで送って来たよ。そっちはどうだった?」

「アイツ、お前たちが抱き合ったの覚えてたぞ」

「えっ、マジで? ちゃんと消えてなかったの?」

「けど、地下の事は忘れてたよ。失恋のショックが大きかったんじゃないか?」


 智は灯りの付いた保健室を振り返る。


「そんなに? まぁ俺の事は、そのうちバレるんだろうけどさ」

「お前ほんとに平和な頭してるよな。けど、何で戻ってきたんだよ」

「だって、咲ちゃんが怖いって言うから」

「はぁ?」


 突然そんな呼び方をされると、寒気がぶり返してくる。


「お前、さっき怖がってたじゃん。何だっけ、女子をこんな所に一人で置いておくなって言ってただろ? 強盗に襲われるだか何だか言ってさ」

「べ、別に怖いわけじゃないし」


 強がった声が震えた。


「そうなの? じゃあ先行くけど」

「待てよ。折角せっかく来たんなら、僕が駅まで送ってってやる」


 あっさり背を向ける智を咲は呼び止める。来てくれたことは有難いけれど、素直に怖がりを認めるのは嫌だった。


「はぁ? 駅よりお前んちの方が近いだろ。いいか? 今は女子なんだから、こういう時はありがとうって言っとけばいいの」

「お前が僕を女扱いするのか? 僕は男だぞ?」

「はいはい。いちいちお前は面倒な奴だな。俺たちは親友なんだろ? それでいいじゃん。明日焼きそばパンおごってもらうからな?」

「じゃあ、そういう契約で。ありがとな」

「どういたしまして」


 咲はホッと安堵する気持ちを心に押しとどめて、歩き出す智の背を追い掛けた。







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