85 おじいちゃんの部屋

「もう、過去の事で落ち込んでたってしょうがないでしょ? 今日は治癒ちゆ魔法を覚えに来たんじゃなかったの?」


 衝撃的なあやの話にしていたみさぎだが、溶けかけのバニラアイスに気付いて体を起こした。クリームとソーダが混ざり合うこの瞬間が、一番の食べ頃だ。

 グラスに半分残っていた中身を一気に食べると口の中が急に冷たくなって、みさぎはほおてのひらをあてた。


「けど、治癒なんて本当にできるの? ともくんの怪我を治してあげられる?」


 だったら最初から使っていれば彼が入院する必要なんてなかったし、ハロン戦の時点で起き上がらせることができたのではないか。


「対象が死んでなければね。今の程度なら問題ないと思うわ」

「程度?」


 みさぎが首を傾げると、絢は「えぇ」と言ってテーブルに乗せた手の指を絡めた。


「私が貴女に治癒を教えなかったのは、貴女の力を回復に回す必要はないと思ったからよ。治癒はウィザードにしか使えない魔法なの。もし貴女がそれを覚えたら、片っ端から使いそうだと思わない?」

「使うと思う……ダメなの?」

「ほらそうでしょ? 治癒魔法はね、使った本人の体力をぎ落すのよ。程度によってダメージが大きいから、入院前のアッシュになんて使ったら貴女が倒れてしまう所だったってこと」

「へぇ、そうなんだ」


 みさぎは目を丸くした。魔法使いへ戻って来るダメージなど、ゲームやアニメの世界の話だと思っていた。


「けど、なんで今は教えてくれるの?」

「そうね。私も昔はウィザードが最前線に立つのが当たり前だと思っていたのよ。パラディンの彼もいなくなったあの時代、貴女に変わる人なんて誰も居なかった」

「居なくなったパラティンってのは、ラルのお父さんの事だよね?」

「そうよ。だから貴方にウィザードは守るべきものなんて言ってたけど、今じゃあの二人も相当強くなってるから。貴女が少し後ろに下がってもいいんじゃないかって思ったのよ」

「えぇ、それは嫌だよ……」


 急に戦力外通告を受けた気がして、それはそれで気に食わない。

 つまり、ゲームでいえば後列に待機するヒーラーになれということだ。


 みさぎがぷぅとほおを膨らませると、絢は楽しそうに笑んだ。


「たまには守られるお姫様になってみるのもいいんじゃない? 貴女に戦うなって言ってるわけじゃなくて、一緒に戦えって言ってるの。とにかく、治癒魔法はタイミングを見極めて使うのよ?」

「うん」


 後ろで二人の無事を祈るくらいなら、自分が飛び込んで傷つく方がいい。

 そう考えるのは良くないのだろうか──納得できないまま、みさぎはうなずく。


 絢は壁掛けの時計を一瞥いちべつした。


「それにしても遅いわね。先に部屋入っちゃいましょうか」

「えっ、いいの?」


 一応プライベートな部屋だからと言って待っていたのに、帰りが遅いというだけで絢の配慮が一転してしまう。


「大したもの置いてないから、問題ないわ」


 絢は立ち上がって、みさぎを廊下の奥へと促した。

 田中商店にはしょっちゅう来ているが、プライベートなエリアに入るのは、この前白いワンピースを借りた時と今日の二回だけだ。


 家は純和風の作りになっていて、一階の廊下の突き当りがハリオスこと耕造こうぞうの部屋だった。

 入り口の横に掛けられた一輪挿しには、庭に咲いていた紫色の花が一輪だけ飾られている。


 「失礼します」と踏み込んだ耕造の部屋は、みさぎの予想と大分違っていた。

 本がぎっしりと壁を覆っていた狭苦せまくるしいハリオスの部屋を思い浮かべていたが、そこは家具も少なめの広い和室だった。


「意外でしょ?」

「うん。けど……」


 ハリオスの部屋だと言われると違和感があるが、耕造の部屋だと言われれば納得できる。

 前に咲が「校長室に変な壺とか飾ってありそう」と言っていたが、小さなとこの間に茶色の花器が飾られていた。


「向こうから持ってきたのは、そこにあるだけよ」


 絢が指差した先には木製の小さな本棚があって、みさぎはぎゅうぎゅうに詰め込まれた本の背表紙を覗き込む。その殆どはこの世界のものだったが、一番下の棚の隅に並んだ五冊には懐かしいターメイヤの文字が書かれていた。


 ターメイヤからの転移で身体にくくりりつけてきたのだという絢の説明に、みさぎはその図を思い浮かべて思わず噴き出してしまう。


「これ、見てもいいの?」

「貴女なら構わないわよ、ウィザード様」

「やったぁ」


 布張りの五冊はそれぞれ色が違い、みさぎはまず端の黄色い本を抜いた。古い本の匂いがふわりと広がる。


 みさぎの知らないターメイヤの文字を、リーナの意識がちゃんと把握しているのが自分でも不思議だった。英語は苦手なのに、まるで日本語で書かれた本を読むようにスルスルと内容を理解できる。

 左から三冊目までは、ターメイヤの歴史や文化について書かれているものだった。賢者ハリオスとして彼が側に置いておきたかったのだろう。

 残りの赤い表紙と青い表紙の二冊が魔導書だった。どちらも辞書並みの厚さで、片手に持つとずしりと重い。


「確か青い方に治癒のことが書いてあったと思うの」


 みさぎは最初、赤い方を手に取って中を開く。パラパラとめくってはみるが目新しいものはなく、もう習得済みの文言や魔法陣が書かれていた。


「それは基本のことばかりよ。貴女が魔力を取り戻した時忘れてたら困るって、ハリオス様が心配してね」


 魔法の起源、発動、効果について細かく書いてあることを、リーナの記憶がちゃんと覚えている。


「リーナってよくこんなの覚えたね。信じられないよ。今じゃ英単語覚えるのだって一苦労なのに」

「貴女はこの世界の人間なんだから、ちゃんとこの世界の勉強をしなさいよ。リーナはウィザードの称号を得る頃には大体覚えていたわよ」


 「信じられない」を繰り返して本を閉じると、みさぎはもう一冊の青い本を手に取った。


「あれ、こっちは知らないの結構あるかも……」

「その本の魔法は覚えなくてもいいわよ」

「……何で?」


 絢がハッとしたのが分かって、みさぎは首を傾げた。彼女は躊躇ためらいがちにその理由を話す。


「さっきも言ったでしょ? 回復系は術者の体力を奪うって。その本にあるのは、そんな回復の魔法や補助的なものばかりなの。だからいらないと思うわ」

「そういうことか──あれ?」


 ページを後ろへめくっていったところで、抜けているページに気付いた。後半のページ三枚分が少しだけしろを残して綺麗に切り取られている。


「ここは……?」

「あぁ、そこは……」


 「忘れてた」と小声で呟いた絢を見て、彼女が自分に見せたくないものなのだという事は分かった。


「どういう事?」


 その抜けたページの内容を聞きたくてたまらなかったわけではない。

 今日は智を治す魔法を聞ければいいと思っていたから、むしろ知らない魔法を発見したことに関しては「覚えなくていい」と言われてホッとしているくらいだ。


 なのに開けっ放しの扉の奥から、いつの間にか帰っていたハリオスこと田中耕造が答えをくれる。


「そこには、お前が絶対使ってはいけない文言が書かれているからだよ」


 記憶の底に沈み込んだ過去がうずいた気がして、みさぎは「あれ」と目を見開いた。




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