79.5【番外編】 初めて会った日のことはあまり覚えていない
休暇明けでヒルスが兵学校の
ずっといると
「兄様、次はいつ帰ってくるのかなぁ」
十二歳のリーナは魔法使い見習いとして、城にいる
城へ行く時間にはまだ早く、リーナはテーブルの上に魔導書を広げながら果実水を飲んでいた。
ルーシャから次までに覚えておけと言われた魔法陣発動の
ルーシャの小言を浮かべながら「はぁ」と溜息をついたところで、
「リーナ、リーナぁ!」
二階からハリオスがリーナを呼んだ。
戦争で両親を亡くしたリーナとヒルスは、縁あってハリオスの家で暮らしている。城下町の外れにある一軒家は、狭いながらも今まで住んでいたところとは比べ物にならないくらい立派だった。
ハリオスは賢者で城勤めをしていたが、
「どうしたの、おじいちゃん」
「ヒルスのやつ、教本を忘れていきおった。
今日は他国の
ハリオスも久しぶりの再会らしく、昨夜は「前祝いだ」と理由を付けて普段飲まない酒を一人で飲んでいたほどだ。
けれどそんなパラディンの帰還も一部の人間が盛り上がっているだけで、リーナや兵学校に入ったヒルスにはあまり関係のない事だった。戦争の時に大活躍した英雄だと噂には聞いているが、城下にすらいなかった一般人の二人は顔すら見たことが無い。
「兄様、昨日あんなに言ってたのに忘れ物したの?」
忘れ物や遅刻の罰則は鬼教官の気分で決まるのだと、夕食時にヒルスが熱く語っていた。
過去にあった数々の見せしめ行為を連ねて「僕は優等生を目指すよ」と締めたのに、翌日からこれだ。
「仕方ないなぁ」
駄目だなと思いながらも、ヒルスが昨日夜遅くまで教本を読み込んでいたことは知っている。
「けど、兵学校って女子禁制だってメラーレが言ってたよ」
鍛冶屋の娘のメラーレは、リーナと同じ歳で一番の仲良しだ。
「まぁ入口までならいいじゃろ。何か聞かれたら、詰め所で儂の名前を出せばいい」
ハリオスは短い
☆
城には毎日のように通っているが、
届け物の後に城へ行くことも考えて、リーナは持っている服の中で三番目に好きなワンピースを着て家を出た。
城の裏側にある大きな門の前で立ち
リーナは大きな石造りの門の陰に隠れて、こっそりと中を覗き込んだ。
「わぁ、女の子だ!」
建物から出てきた男子が、あっという間にリーナを見つけて近付いてくる。
生徒が
同期ならばきっと兄の事を知っているだろう。
「えっと、あの……」
ただ、
おどおどと
「用があるんでしょ? 聞こうか?」
落ち着きのない兄とは大分タイプが違う。リーナはホッとして持ってきた本を彼に見せた。
「あの、兄様の忘れ物を届けに来たんです」
「教本か。へぇ、誰だろう。呼んで来るよ?」
「兄の名前はヒルスです」
「えっ?」
その名前を口にした途端、彼の表情が
どうやら心当たりがあるらしい。
「ヒルスって、これ?」
これと言って、彼はピンと広げた手を自分の顔の横に当てて、おかっぱの髪を表した。
兄自身が「最先端なんだよ」と豪語する、顔のラインで真っすぐに切りそろえられたヘアスタイルだ。
「そ、それです」
急に恥ずかしくなってリーナは肩をすくめた。最先端だという割に、兄と同じ髪形を他で見たことが無い。
金髪の彼は「意外だね」と呟いて、
「じゃあ、呼んで来るからここで待ってて」
そう言い残して建物の中へ行ってしまった。
一人ぼんやり待っていると、程なくして全力疾走のヒルスが現れる。
「リーナぁぁあああ!」
バフッという衝撃と兄の香りにホッとしつつ、リーナは「恥ずかしいよ」と呟いて、追い掛けてきた金髪の彼を
「気にするなよ、兄妹だろ? それより教本届けてくれたんだって? ありがとな。リーナが来てくれなかったら、この後の授業で僕は
そう言ってヒルスはリーナを抱きしめて、名残惜しそうに身体を離した。
「それより、こんな所にずっといたら悪い虫が付くから、早く帰った方がいいよ」
「悪い虫って誰の事だよ」
すかさず金髪の彼が言葉を挟んだ。
「お前の事だよ、アッシュ。僕の妹に手を出したらただじゃ済まないからな?」
「はぁあ?」
一方的に敵視されて、アッシュと呼ばれた金髪の彼は眉をしかめた。
リーナは恥ずかしさを募らせて「兄様!」とヒルスを睨む。
「変な兄でごめんなさい。妹のリーナです」
「変な兄とはなんだ、リーナ。僕はお前が大事なんだよ! そのワンピースだって、僕が可愛いって褒めたやつじゃないか。男たちの目につくだろう?」
「兄様はどれ着たって褒めてくれるじゃない。もう、本当にごめんなさい」
騒ぐ兄を無視して、リーナはアッシュにぺこりと頭を下げた。彼は「気にしないで」と優しく笑う。
「俺たちいつもこんなだし。それより聞いてるよ、リーナは魔法使いなんだって?」
「はい。見習いですけど……」
「見習いでもルーシャ様の所に行ってるんだろ? 凄いよ。俺も魔法使いだし、仲良くしてもらえると嬉しいな」
「はい、よろしくお願いします!」
「ありがとう。俺はヒルスと同期でルームメイトのアッシュ。こちらこそよろしく」
アッシュが差し出した右手を、何故か素早くヒルスが
「お前には触らせない」
「はぁ?」
「それよりリーナ、朝ここに来る時、お前の友達に会ったぞ」
そういえば、とヒルスがポンと手を叩いた。
「名前何だったかな。眼鏡かけた大人しそうな……メ、め……」
「メラーレ?」
リーナの声にアッシュの声が重なった。えっと彼を振り向いて、リーナは首を傾げる。
「知ってるんですか?」
「コイツは町の女の子の名前くらい全部知ってるんじゃないか? ナンパ野郎だからな」
「変な言い方するなよ。そうじゃなくて、メで始まる名前ならって思った……だけだよ」
アッシュの動揺の理由をリーナが知るのは、まだまだずっと先の事だ。
「そう、それでそのメラーレにおはようって挨拶されたんだ」
「へぇ。前に一回会っただけなのに、兄様の顔覚えてたんだ。それで?」
「いや、それだけだけど。今日はパラディンが帰還するって楽しそうにしてたぞ。僕もそのパラディンを見てみたいなと思うけど、まぁ無理かな」
「だな。普通に訓練の予定びっしり入ってるもんな」
アッシュが苦笑する。
「私は城に行くから、ちょっと見れたらいいな」
英雄を一目見てみたいというのは興味本位でしかないけれど、リーナは二人に別れを告げるとワクワクしながら城へ向かった。
☆
まだ時間が早いせいか、城はいつも通り静かだった。
門番に挨拶して中に入ると、中庭の真ん中に見知らぬ人物が立っていた。
栗色の長髪と、長い剣を腰に提げた華奢なシルエットで、リーナは少女だと思った。
こんな所でどうしたんだろうと思い声を掛けようか迷っていると、相手がリーナの視線に気付いてこちらを振り向いた。その瞬間、リーナは予測を頭の中で撤回する。
少女ではなく少年だ。
リーナたちが住む平和な日常から
今日来るというパラディンが頭を
無視することもできず、掛ける言葉も見つからず、リーナは視線を落とすように顔を下げた。
怖いと思った。
一度抱いたその感情に、そこから彼を見上げることができなくなってしまう。
それが、リーナとラルフォンの出会いだ。
後にリーナの側近となる二人との出会いは同じ日だったけれど、リーナはその日の事をあまり覚えてはいなかった。
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