63 やってもいないことは、きっかけにならない

 お前がリーナだと言って、みさぎはさきが予想していたよりも驚いてはくれなかった。


 みさぎに記憶と力を戻す文言もんごんは、あらかじあやからインプットされている。

 みさぎへの想いを乗せて吐き出した言葉は自分でも何を言っているのかさっぱり分からなかったが、記憶も力も彼女に戻っているだろうということだけは納得できた。


 今回はただの媒体ばいたいに過ぎないけれど、こんな魔法を日常的に使いこなす魔法使いは凄いなと思う。


「みさぎ、思い出したか?」


 咲との抱擁ほうようから解放されて、ぼんやりとするみさぎ。

 記憶を取り戻した彼女が現実を知ってどんな反応をするのかと咲は不安を覚えるが、みさぎは無言のまま何度もまばたきを繰り返すばかりだ。


「どうした? リーナ?」


 咲が再度声を掛けると、みさぎはハッとしてみなとを振り向いた。


「私が……やっぱりリーナなの? だったら、私がともくんを助けてあげられる?」


 おかしいぞと咲は眉をひそめ、湊と顔を見合わせた。

 湊は闇を警戒しながら、困惑顔でみさぎに尋ねる。


荒助すさのさん、思い出してないの?」

「――えっ? 思い出すって……」


 首を傾げるみさぎに、咲は「おい」と湊を呼びつけた。


「あと何をすればいいんだよ? 僕はルーシャの仕込んだ通りに呪文を唱えたんだぞ?」

「俺に聞くなよ。けど本当に荒助さんがリーナなのか?」


 まだ半信半疑らしい湊に、咲は苛立いらだって説明する。


「何で分からないんだよ。鈍感どんかんにも程があるぞ? 僕が間違えるわけないだろう? みさぎは本当にリーナなんだ!」

「咲ちゃん……」


 みさぎは開いた両手に顔を落とした。彼女が取り戻した魔法の気配を、咲も湊も読み取ることはできない。


「とにかく、この膜を破って智を早く助けないと手遅れになるぞ」


 湊は暗闇の広場へそっと手を伸ばした。

 けれど指先が触れた途端バチリと火花が散る。慌てて引き戻した手をさすり、湊は痛みをこらえた。


「海堂、これどうやったらがせると思う?」

「僕に聞くなよ。なぁ湊、ルーシャはお前一人でハロンと余裕で戦えるって言ってたぞ?」

「中にさえ入れれば、な。これは物理的な攻撃じゃ無理なんじゃないか?」

「なら、魔法使いの力が必要ってことだよな」


 そう言ってみさぎを振り向いた咲に、湊は「ちょっと待てよ」と言い掛ける。


「まさかリーナをウィザードに戻すつもりなのか?」

「そうだ。リーナは魔力を失ってなんかいなかった。さっきの文言で記憶と一緒に戻ってるはずなんだ」

「アンタがその決断を下すのか? 嫌だったんじゃないのか?」

「そりゃ嫌だよ。僕はリーナにもう戦わずに幸せになって欲しかった。けどこれは僕が悩んで悩んで、ようやく出した決断だ。リーナは最初から智の後を継ぐ気なんてなかった。アイツの望みは智を救う事で、お前たちと戦う事なんだ。だから僕を置いて、リーナはあの崖を飛んだ。ウィザードに戻るのはアイツの本望だろう?」

「本望……なのか?」

「僕は大事な人を切り捨てる努力なんかしたくない。だからお前にリーナを頼むって言ったんだからな?」


 れんの言葉を思い出しながら、咲は湊に胸の内を吐き出した。


「お前にみさぎを任せるぞ」

「……あぁ」


 険しい顔でうなずいた湊は、みさぎに向けてホッと表情をゆるめた。


「荒助さんはそれでいいの?」

「力があるなら、私も戦いたいよ」


 みさぎは緊張をにじませながらはっきりと答えた。

 頭上でパチパチとくすぶる炎を見上げて、咲は「くそぅ」とうなる。


 事は一刻を争う。運命が智を殺すというなら、それよりも早く手を打たなければならない。


「僕たちは絶対にお前を助けるからな!」


 咲は横たわる智に向かって大声で叫んだ。


「たぶん、記憶がちゃんと戻ってないから魔法も使えないんだと思う。こういう時、漫画とかだときっかけが必要だったりするだろ? 何かきっかけを……」

「きっかけ、って。私はどうすればいいの?」

「みさぎ、崖から落ちる夢を見たんだよな? 僕の力なんてなくても覚醒しかけてたって事だろ? それをもっと引き出せたら……」

「私は智くんを助けられるなら、今のままでもリーナでもどっちでも構わないよ」


 みさぎはそう言うけれど、ここにいるのが剣士二人では何の解決にもならない。


「それじゃダメなんだ。魔法使いは魔法陣を発動させるために文言もんごんを唱える。僕たちじゃそれを教えてやることができないから、自力で思い出してくれ」


 「わかった」とみさぎは目をつむる。けれど「うぅん」とうなるだけで記憶には繋がらない。


 智の運命を知ったら、みさぎは自分に力のない事を悔やむだろうと、彼女の元親友・メラーレこと一華いちかが言っていた。咲もそうなると思っていたし、実際そうなっている。

 だから、自分のしていることは間違っていないはずだと、咲は自分に言い聞かせた。


 次に腕を組んで考え込んでいた湊が、「そうだな」と空を見上げる。


「きっかけって、リーナの記憶に繋げるって事だろ? 雨は……」

「まだ降りそうにないよ」


 視線を追った先には月さえ出ていて「あぁ」と咲は悲痛な声を漏らした。


「湊、こういう時ってお姫様はキスして目覚めたりするだろ? いいぞ、はらわたが煮えくり返る思いで、僕が許してやるから今ここで――」

「ちょっと咲ちゃん、何言って――」

「アンタは白雪姫とか眠り姫とでも言いたいのか? 今は眠りを解くんじゃなくて、記憶を取り戻させるんだろ? したこともない事で戻るわけないだろう?」


 咲が言い切る前に、湊がムキになって反抗する。

 咲は「はあっ?」と顔をゆがめた。


「何でしなかったんだよ! リーナのこと好きだったんだろう?」

「アンタがいつもリーナの側で見張ってたからだろう?」

「僕はリーナが大事だけど、ストーカーじゃないぞ!」

「二人とも何の話してるのよ!」


 真っ赤になって訴えるみさぎに、


「いいよ、やっぱり僕の方が適任だ」


 咲は改まってそう言うと、またみさぎに抱き着いた。


「咲ちゃん……今日は何か変だよ?」


 恐る恐る尋ねるみさぎに、咲は「ごめんな」と謝った。


「ううん。私は自分がリーナだったらいいなと思ってた。そうだって言われて嬉しいよ。けど、どうしてそれを咲ちゃんが教えてくれたの? 咲ちゃんは誰……なの?」


 自分が兄だと告げることを後回しにしていたことは、逆に彼女を不安がらせていたようだ。


「ごめんな、みさぎ。僕がもっとはやく話してやれば良かったんだよな。いいか、智を救いたいなら思い出せ。お前はアッシュの武器を引き継ぐためとか言ってたけど、本当はあいつ助けるためにここに来たんじゃないのか?」

「……そうなの?」

「うん。だから、お前が望んだように、運命なんてぶち壊してやろう」


 両親を亡くしたヒルスは、不安がるリーナをいつも抱きしめていた。

 手はいつも繋いでいたし、何度も何度も「大好きだよ」と伝えた思いは、ちゃんと彼女に届いていただろうか。


「大好きだよ、みさぎ」

「咲ちゃんは、私の……」

「リーナは僕の大好きな、自慢の妹だ」

「兄様……なの?」


 そっと呟いたみさぎに、咲は抱きしめた手を緩める。今にも泣き出しそうな彼女に向けて、咲はいっぱいの笑顔でうなずいた。


「咲ちゃん……」


 みさぎはぎゅうっと咲に抱き着いて、そっと湊を見上げた。


「ラル……」

「リーナなんだな?」


 湊の問いに、みさぎは「うん」と答える。


「やれるな、みさぎ。時間はないぞ?」


 咲はみさぎを闇へと促した。


「そうだよ。私は護るために来たんだから」

「よし、じゃあ行ってこい」


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