45 好き

 がけの底へと落ちる夢は、リーナの記憶なのだろうか。

 「リーナなのか」と言ったみなとの言葉に期待を垣間見かいまみて、みさぎは口をつぐんだ。やっぱり今でも彼はリーナの事が好きなのかもしれない。


 もし本当にリーナの生まれ変わりだったらと、見たこともない彼女を自分に重ねて妄想してみるが、湊やともより強い魔法使いだなんてどう考えてもありえない。想像する事すら恐れ多い気がして、みさぎは「ごめんなさい」と謝った。


 「こっちこそごめん。気にしないで」と、湊はいつも通り優しい。


 お昼を食べ終えるとまた睡魔すいまが襲って来た。寝てしまうのは勿体もったいないけれど、流石に二時間程度の睡眠では身体がもたないらしい。

 大あくびを我慢したところで意地を張って起きていることもできず、「動いてくる」と言った湊に手を振ると、みさぎは太い木に寄りかかって静かに目を閉じた。



   ☆

 湊の動く足音と風が心地いい。

 またリーナの夢が見れたらいいと思うのに、何もないまま眠りから覚めた。ぼやけた視界に、剣を振る湊の姿が飛び込んでくる。


 相変わらずの木の棒だけれど、真剣な彼の表情に思いが込み上げた。


「好き……です」


 彼に聞こえないように、そっと呟く。耳に届いた自分の声に恥ずかしくなって、唇を手でぎゅっと押さえた。

 リーナの記憶なんてない。彼の期待に沿うことのできない現実に、このまま時間が止まってしまえばいいと思う。


 けれど湊はすぐみさぎに気付いて剣を下ろした。


「おはよう、荒助すさのさん」

「おはよう、湊くん」

「ちょっとは寝れた? 結構時間も経ったし、そろそろ戻ろうか」


 立ち上がって時計を見ると、もう普段の下校時刻を過ぎていた。

 楽しい時間なんてあっという間だ。

 本当は帰りたくない気持ちを込めて「うん」とうなずくと、湊は側に来て「荒助さん?」と心配気にみさぎをのぞき込んだ。


「もしかして、さっきのこと気にしてる?」


 みさぎがリーナかもしれないという事だ。そうだったらいいなとは思うけれど、諦めるしかない現状に、みさぎは「ううん」と首を振った。


「けど……湊くんは、私がリーナの方が良かった?」


 否定しておきながら、つい本心が口をついてしまう。

 湊は「そういう意味じゃないんだ」とみさぎをなだめた。


「リーナが荒助さんだったら嬉しくないって言ったら嘘になるけど、俺が今日荒助さんと居たいって思ったことに、リーナは関係ないから」


 湊が強めの口調に照れた表情をにじませて、きまり悪そうに目をらした。


「湊……くん?」


 それはどう受け取ったらいいんだろう。

 みさぎが困惑顔で見上げると、湊は根負けしたように口を開く。


「荒助さんのことが好きだってことだよ」

「…………」

「だから、リーナの事は気にしないで」


 突然打ち明けられた想いに、寝起きでぼーっとしていた頭がパチリと覚めた。彼の言葉を頭で繰り返して、みさぎは耳を疑う。


「えっ……?」

「本気だから」


 さっき一人で呟いたのは、予行練習でも何でもなかった。

 心の準備なんて全然できていないけれど、彼への答えはちゃんと決まっている。智に言われた時のように、曖昧あいまいな答えは出せない。


 みさぎは胸の前に手を握り、改めて湊を見上げた。


「私も、湊くんが好き」


 湊は面食めんくらった顔をして、そこから「良かった」といつも見せることのない、いっぱいの笑顔を零した。

 緊張が緩んで泣きそうになったけれど、みさぎはそれを我慢して笑顔を返す。


 「帰ろう」と差し出された手に躊躇ためらいながら伸ばした手は、すぐに彼に奪われる。

 咲とは違う、少し冷たくて硬い手だ。緊張したけれど、嬉しかった。


 二人は閑散かんさんとした白樺台しらかばだい駅から電車に乗って帰宅した。



   ☆

 それから少し経って辺りが薄暗くなった頃、閉店間際の田中商店に鬱々うつうつとした空気をまとった咲が現れた。


「いらっしゃい、お兄ちゃん。答えが出たのかしら?」


 閉店作業をしていたあやが、少し早めに入口の鍵を閉めて咲を迎える。


「あぁ、決まったよ」


 咲は赤チェックのロリータ服を着た彼女をにらんで、両手の拳を強く握りしめた。


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