40 ジェラシー

 寝不足だ。

 昨日鈴木に薦められて何となく借りた恋愛小説を、一晩で読み切ってしまった。


 内容といえば、不治の病に侵されたクラスメイトの男子に恋をする、女子高生が主人公の王道ラブストーリーだ。

 勢いで借りてはみたものの本の厚さにうんざりして、正直パラパラっとめくって概要がいようが分かればいいと思っていたのに、いざ読み始めたら止まらなくなってしまった。

 あと少しだけを何度も繰り返して、ラストに辿り着いた時にはカーテンの向こうがうっすらと明るくなっていた。


「眠い……」


 まぶしい太陽の日差しにまぶたを開けているのが辛い。

 れんにたたき起こされて家を出たものの、駅までの足取りは重かった。

 今日の体育はまたハードルだとあやが言っていたのを思い出して、このまま家に引き返したくなってしまう。


 物語の男の子は結局ラスト間近で死んでしまった。

 彼との思い出や周りに支えられて頑張る主人公――そんな切ないラブストーリーの余韻よいんひたっていたいのに、眠気とハードルという現実が邪魔してそれどころではなかった。


 駅に着いていつも通りの電車に乗ると、がらんどうとした車両でみなとが「おはよう」とみさぎを迎えた。

 開いた扉とは反対側の、ベンチシートの端が彼の定位置だ。


「おはよう、湊くん」


 睡眠不足のぐったりした顔を、精一杯笑顔に変える。

 他に席は幾らでもあるのに、当たり前のようにそこへ行っていいのだろうか……いつものように自問自答しながら隣に座ると、湊は「あれ」とみさぎをのぞき込んだ。


荒助すさのさん寝不足?」

「えっ、分かる? 昨日徹夜で本読んじゃって」


 最悪だ。クマでもできているのだろうか。

 下瞼したまぶたを指でぎゅうっと押さえると、湊が「眠そうだよ」と笑った。


「どんな本だったの?」

「恋愛小説……だよ」


 それを口にするのがちょっとだけ恥ずかしい。


「そうなんだ。女の子って感じ。けど眠いなら無理しないでね」

「うん、ありがとう」


 女の子らしいと言われたが、実際は鈴木に薦められた本だ。


 小さく笑った湊の横で、電車の緩い振動が心地いい。

 視界がスッとぼやけて、みさぎはそのまま眠りに落ちた。



   ☆

 夢を見た。


 こういう時は、読んだばかりの本の内容が反映されそうなものなのに、何故か切ないラブストーリーとは真逆のスリル満点な内容だった。


 夢の主人公である自分が、何故か山奥のがけっぷちに立っている。

 き出しの岩肌が谷の底まで伸びて、みさぎは足をすくませた。


「行くなよ、~~~~」


 背後で叫ぶ男の声。他にも何か言っているが、聞き取ることはできない。

 どうやらこの夢の主人公は、今からここを飛び降りるらしい。


 (ちょっと、やめて)


 夢の主人公彼女は、みさぎの気持ちなんて聞いてはくれなかった。

 後ろの男も必死に止めようとしている。なのに彼女はそれを強い意志で振り切った。


 (やめてぇ)


 みさぎがもう一度訴えたところで、彼女の足がひょいと地面を離れる。


「いやぁぁあ!」


 飛び降りた恐怖に叫ぶと、視界が一転した。


 みさぎは電車の中に居た。

 ガタンと突き上げる揺れにハッと目をく。


「夢……?」


 右半身に感じた温もりにそっと振り向くと、驚いた湊の顔が目の前にあった。


荒助すさのさん、大丈夫? うなされてたよ」


 どうやら彼の肩でうたた寝をしてしまったらしい。


「ご、ごめんなさい」


 慌てて立ち上がると、湊の手がみさぎの腕をつかんだ。


「離れなくていいから」

「湊くん……」


 気が抜けたようにうなずいて、みさぎは再び彼の横に腰を落とした。離れた彼の手とほおに残る体温の感触に、心臓は鳴りっぱなしだ。


「怖い夢でも見た?」


 みさぎはこくりとうなずく。


「あんまり……覚えてないんだけど」


 車窓から察すると、寝ていたのはほんの一瞬だったようだ。高校のある白樺台しらかばだいまで、まだ一駅以上ある。


「眠れるなら、もう少し寝てても構わないよ。起こすから」

「ううん、また怖い夢見ちゃいそうだから」


 寝ていいよと言われて、寝れるわけがない。

 よだれが出そうだとか、いびきをかきそうだとか、またくっついてしまいそうだとか心配は山積みで、のんびり目を閉じる余裕などなかった。


 みさぎはひざに乗せたかばんをぎゅっと抱きしめて、他愛のない会話を探す。


「えっと……今日も体育でハードルって言ってたよね。この間は半分サボっちゃったけど、今日はそういう訳にいかないもんね」

「あぁ、ともと保健室行った時の事か」


 そうだ。あの時は転んで怪我をして保健室へ行き、一緒に来てくれた智から唐突に告白されてしまったのだ。


「湊くん?」


 ふと見上げた湊の顔が、宙を向いたまま苛立いらだっていることに気付いた。

 怒っているのだろうか。智の話をしたことで嫉妬しっとしているのなら嬉しい気もするけれど、そんなのはとっくに通り越しているようにも見える。


「へ、変な話してゴメンね」

「いや――」


 少し考えるようにくちびるを噛んで、湊はちょっとスネた顔でみさぎを振り向いた。


「どうしたの?」


 みさぎがたずねると、湊はそこに不敵な笑みをにじませる。


「今日はこのまま俺とサボってみる?」


 ――「弾けちゃってもいいんじゃないかな」

 昨日図書室で、鈴木にそんなことを言われた。もしかしたらこれは彼の魔法なんじゃないかと思いながら、みさぎは湊へ「うん」とうなずいた。





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