第7話 魔導士シア・レディエ

 シア・レディエ。

 彼女は王都の冒険者ギルドに所属している魔導士だ。

 そしてユナとは、二人組のパーティー【旅月りょげつ】を組む間柄でもある。


(シアがいてくれれば、ゴブリンやオーク相手にもあれほど苦労せずに済んだんだろうけど)


 まずそこまで連れていく方が苦労しそうだとユナは思う。

 シアは、若干十五歳にしてとある国の王宮魔導士にすすめられて就いたが、あまりに怠惰で無気力だったため十日と経たずに放逐されたというなんとも評価し難い過去を持つ。

 とはいえ魔法の才は確かではあるので、皆初めは彼女に期待する。

 ユナもそうだった。

 だからユナもあのとき、王都の冒険者ギルドに一人でたたずんでいたシアに、『一緒に依頼を受けてみないか』と声をかけたのだ。

 まさかそれが今日まで一年以上も続く縁になるとは思いもしなかったが。


「とりあえず口の中の物を飲み込もうか」


 シアは素直に頷くと、しっかりと何度も噛んで最後は水で飲み込んでいく。

 その間にユナは、彼女と向かい合う形で席に着いた。

 机にはいっぱいの料理が広がっている。

 これも冒険者ギルドに預けていた二人のパーティー資金――入れているのはほとんどユナだが――から予算が出ていると思えば、文句の一つくらいは言いたくもなる。


「食べる?」

「……いや、シアが頼んだのだからシアが食べればいい」

「そう」


 首を傾げながら、悪びれもせずにこんがりと焼けた鶏の骨付きもも肉を差し出してくるシア。

 そんな彼女を見て、ユナは怒る気も失せてくるのを感じていた。

 シアはそのまま口に運び美味しそうに頬張ほおばる。

 ユナがシアと別れてから三ヶ月ほど経っているが、マイペースなのは何も変わっていない。

 記憶にあるままの彼女だった。

 それがユナには少し嬉しくて、安心する。

 ユナは結局シアが食べ終わるまで黙って見ていて、彼女が口を開くのを待った。


「で、旅は終わり?」

「いや、事情があって王都には戻るけど、まだ旅を終えるつもりはないよ」

「随分早かったと思ったのに残念」

「残念だと思うのならシアも来ればいい」

「……悩む」

「へぇ、前は誘っても面倒だからと聞く耳も持たなかったのに、どういう風の吹き回し?」

「お金なくなったから。どうせ仕事するならユナとがいい」


 ユナとシアはパーティーを組んでいるとはいっても、日々をどのように過ごすかは自由で、一緒に仕事するのはお互いが同意したときだけだ。

 それぞれの意思と時間を大事にするというのは、彼女たちが組むにあたって最初に決めた約束だった。

 そんな彼女たちなので二人でいないことも多く、ユナは王都にあまり実入りの良い仕事が舞い込んで来ないこともあり、こうして一人で出稼ぎの旅に出ていた。


「でもユナも間が悪い。せっかく大きな依頼がギルドに来たのに」

「大きな依頼?」

「そう、王都のギルド所属の冒険者は大体みんな受けてる。ワタシもアレクたちに誘われて受けた」

「なるほど、シアが王都を離れた理由が理解できたよ。それにしてもアレクの奴がねぇ。あいつはシアをパーティーに誘いたがっていたから、ようやく念願が叶ったのなら良かったんじゃないか」


 アレクは四人組の実力派として期待されている若手パーティーのリーダーである。

 シアをパーティーに加えようとして狙っていたアレクにしてみれば、奪われた形となっていたので、ユナは彼と会うたびに恨み言を聞かされていた。


「その割にはワタシを置いていった。薄情。長旅で疲れたからあと十日は宿で休ませてって言っただけなのに」

「……そうか、私からもアレクと彼のパーティーメンバーに会ったら謝っておくよ」

「むっ、謝る必要ない。アレクはワタシを誘うときにワタシのやり方を最大限尊重するって言ってた」


 長旅と言っているが、王都からこの街へは歩いても二日だ。

 冒険者にとっては大した距離ではない。

 何より冒険者ギルドの皆が受けているということは、達成者が報酬を総取りする早い者勝ちのフリー依頼のはずだ。

 それなのに十日も無為に休むと言われた日にはアレクもさぞ頭を抱えたに違いないと、ユナは同情を禁じえなかった。


「はいはい。それで、その大きな依頼って何?」

「聞いたら旅を中止してワタシと受けてくれる?」

「内容によるかな」

「それなら大丈夫。ユナならきっと受けるって言うから」


 そう自信ありげに言ったシアは机にうつぶせるようにして、下からユナを覗き込むように見上げて言葉を続ける。


「王様からの一攫千金の依頼。何者かにさらわれて行方知れずになったアリーシャ王女殿下を見つけて無事に連れ戻したら、王国金貨二千枚」

「アリーシャ王女殿下……そうか、もう大っぴらになっていたんだな」

「ユナは知ってたんだ。さすが王都に居なかったのに情報が早い」

「ああ、知ってはいたよ。それにしても王国金貨二千枚ね。大した額だとは思うけど、一国の王女に対して見合った額と言えるかな」

「それでもワタシたちにとっては大金。半分に分けても十年は働かなくていい」


 実際冒険者ギルドの皆が動いているのだから、確かにこれは大きな依頼だ。

 この宿であれば王国銀貨三枚で二食付きで泊まれることを考えると、一般的な交換レートで、王国金貨一枚で四日は泊まれる計算になる。

 シアの言う通り十年は働かなくても楽に生きていけるだろう。

 だが、王女の身柄にその金額は妥当なのだろうか。

 アリーシャは若くてあれだけの美貌に、非凡で得難い治癒の力もある。

 足がつかないルートがあるのなら、他国にでも売り飛ばしてしまった方がよほど儲かる気がする。

 ユナはそこに引っかかりのようなものを感じたが、それでもシアの言う通りこれは大金だ。

 依頼は受けるに決まっていた。


「シアは今フリーなんだな?」

「そう」

「アレクのパーティーとはもう切れてる?」

「稼いでるくせに手切れ金は少なかった」

「そんなものまでもらっていたのか……まあそれなら支障はないか」

「なら久しぶりに【旅月】の仕事?」

「そうなる」


 ユナとシアはお互いに小さく笑みを浮かべて、拳を軽く付き合わせる。

 それからユナは手を上げて葡萄酒を頼んで、二人の再会を祝して軽く乾杯するのだった。

 

 ※ ※ ※


「アリーシャ王女殿下」


 宿でユナ名義で借りられていた一室に戻った際のシアの第一声は、困惑に満ちていた。

 ココアは少し前に母親の手伝いに呼ばれて、連れてきていた猫ごと退室したらしい。

 今はベッドに腰かけているアリーシャを長く一人にしないで済んだので、彼女には後で改めて礼を言おうとユナは思った。


「ユナ、この方は?」

「シア・レディエ。冒険者ギルド所属の魔導師です。私の……そうですね、一番信頼を置いている者です」

「ユナがそうまで言うのなら安心ね。シアさんでいいかしら。わたくしのことはご存知みたいですね」

「王女殿下は城下町にもたまに来るから、そのときに一度」


 シアはそう言うと、ユナの方に目線を向けて首をかしげる。


「ユナが誘拐の犯人?」

「違う。たまたま機会があってその誘拐犯から助けただけだ」

「よかった、憲兵につき出すか悩むところだった」

「もしそうでもシアは私を助けてくれると信じているよ」

「うん、その場合はユナに甘い汁を吸わせてもらう」


 冗談なのか本気なのか分からない言葉の後に、シアは上機嫌になって続ける。

 

「でもラッキーだった。報酬の分け前をくれるためにワタシを呼んでくれたなんて。持つべきものはやはり友達」

「違う」

「違わない。ユナは必ずくれる。だから好き」

「もちろん報酬は渡すさ。けどそれだけじゃない。簡単にお金をもらって終わりにするつもりはないってことだ」

「……どういうこと?」


 ユナの要領を得ない物言いに、シアは怪訝そうに尋ねる。


「絶対に安全なら、初めからここを治めている領主の屋敷にでも連れて行っている。そうでなくても壁の中には貴族の屋敷なんてたくさんあるんだ。壁の中が難しいならすぐ近くにある冒険者ギルドの支部でもいい」

「面倒そう」

「少なくとも傭兵を雇ってアリーシャ様をさらわせた貴族と、その傭兵を金で揺さぶって横から奪おうとした奴がいる。もしかしたらそこからさらに裏で糸を引いている者もいるかもしれない。誰が味方で誰が敵かをまず突き止めないと、下手に動けばアリーシャ様を危険にさらすことになる」


 アリーシャはユナの考えをこの街に向かう道中で聞いていた。

 アリーシャ自身も同様の疑念を抱いていたことからユナの判断には従っていて、シアとは初対面であることから、この場は下手に口を挟まずにまずはユナに任せようと考えていた。

 アリーシャとて顔を合わせたことのある貴族は、この街にもいる。

 この街の領主であるラインドルフ伯は、毎年幾度か王城に挨拶に訪れていて、アリーシャ自身も親交はある。

 それでもこの件に関わっていないとは言い切れなかった。

 ガロが指定されたアリーシャの受け渡し場所は、彼の領土内にある村だからだ。


「すごく……面倒」

「知ってる。だからシアを呼んだんだ」

「友達じゃない?」

「友達の前に頼れる相棒だから。それに苦楽を共にしてこその友情だろう?」

「……恨む」


 シアは二つあるうちのもう一つの空いているベッドにうつぶせで倒れこみ、枕に顔をうずめる。

 完全にやる気をなくしかけていたが、それでも顔だけをユナに向けて、意味がないと理解しながらも言葉で翻意を促そうとする。


「近くの冒険者ギルドに預ければ、ワタシたちは楽にお金がもらえて、王女殿下にも王都から迎えが来て、みんな幸せかも」

「そうだな」


 ユナの不安は杞憂かもしれない。

 それでもそうでない可能性がないわけではない。


「壁の中にも伝手はある。ユナだってここの貴族に知り合いはいるはず」

「いるな」


 仕事を通じて顔をつないでいる相手は何人かいる。

 だが、それだけだ。


「ユナは偶然王女殿下を助けただけ。その先の面倒まで見る義理はない。違う?」

「あってるよ」

 

 金の匂いを嗅ぎ取って首を突っ込んだところ、アリーシャがいた。

 そこからはただの成り行きに過ぎない。


「それなのに王女殿下のために危ない橋を渡るの? 誰が敵か分からないってことは、どうにもならない相手かもしれないのに」

「理屈ではシアの言うことが正しいって分かっているんだ。でも、悪いと思うけどこれは譲れない」


 助けられなければきっと後悔するから。

 ユナはそれだけを理由に、あれだけ嫌っていた面倒事を自分から買うつもりでいた。

 シアは上半身を起こして、せめて不満だけは伝えようと長く息を吐き出して言う。


「悪いと思うならやめればいいのに」

「それでも手伝ってくれるだろう? そんなシアだから好きなんだ」

「……もう仕事はするって決めているから。それにパーティーのリーダーはユナだし」


 最後には自分の台詞を返されて、シアが折れる形で予定調和のうちに会話は終わった。

 いずれかが本気で決めたことであるならば、どうしても譲れないことに触れない限りにおいてもう片方はそれに従う。

 お互いの意思を第一とする自由なパーティーだからこそ、これは不文律ではあるがルールに近いものとなっていた。


「勝てない相手とは戦わない。これは絶対」

「分かってる。本当に駄目だと思ったらアリーシャ様を連れて逃げるとするさ。王国金貨二千枚は惜しいが、私とシアなら稼げない額じゃない。なんならアリーシャ様を加えて、三人で冒険者稼業をやってもいい」

「まあ、素敵な提案ね。いっそそうした方がいい気がしてきたわ」


 呆れたような目でユナを見ていたたシアだったが、否定しないどころか嬉しそうにするアリーシャを見て表情を微笑に変える。

 

「王女殿下を冒険者に……悪くない」


 これが打ち解ける契機となった。

 三人の談笑はしばし続く。

 ユナとシアが互いの他愛もない思い出話に花を咲かせ、アリーシャが興味を持ったことがあれば拾って、そこから話は発展していく。

 そうして時間は過ぎていき煌々と星が輝く夜になり、歓談に一区切りが付くと、アリーシャは自分の中で整理した一連の経緯と、考えられる黒幕について語り出すのだった。


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