第4話 天啓と試練
ガロを背後から刺した際の踊るような足運びから、ユナはアリーシャには少なからず武の心得があると察していたが、実際に剣を持って軽やかに振るう姿を見るに的外れではなかったらしい。
これが王族としての責務と教育の
「それでユナ、貴女はどのように状況を打開するつもりなのかしら。わたくしをあてにしているようであれば、考え直すことを
「何も武器を持たないよりは安心できるでしょう? それ以上の意味を持たないで済むように、アリーシャ様には祈ってもらいたいものです」
まだ正式に契約を交わしたわけではないが、ユナはこれを護衛依頼だと認識している。
依頼主であるアリーシャが自ら剣を振るって戦うような事態には当然させるつもりはなかった。
「あら、祈るだけでいいのね」
「そのつもりです。後はまあ全力で走ってもらうことにはなりますが」
ユナは森に面した扉とは反対側の丸太の壁に近づき、空いた隙間から周囲を覗く。
月明りを反射してギラリと光る
思っていた通り数は少なく、確認できる限りでは二匹のみだ。
ゴブリンは本能に忠実で、種の存続に重きを置く分自己愛は薄いが、亜人としての知性がないわけではない。
だからこその、獲物は扉からの出入りのみしかできないと考えての配置だろう。
ユナはそこを逆手にとって逃げるつもりだった。
何よりそうすれば、入り口を突き破って小屋に入ってきたゴブリンたちの目は、まず
王宮暮らしをしてきたアリーシャに、夜の森をゴブリンに追われるプレッシャーの中で走って逃げるだけの体力があるかは不安なところだが、こればかりは致し方ない。
さすがのユナも、無数のゴブリンと護衛対象という
「そう……ならユナには悪いけど、これは邪魔だから捨てていくわ」
そう事もなげに言ったアリーシャは、せっかくユナが内心で褒めていた剣を抜き身のまま投げ捨ててしまう。
慣れない全力疾走のために、剣が重くて邪魔だというのなら捨てるのも納得できなくはない。
ユナとしてはより強い覚悟が要るが、もともとそれが必要な事態にはさせないつもりだったのだ。
やることは何も変わらない。
問題は所有を放棄された剣が、本来の持ち主のもとに転がって行ってしまったことで。
「アリーシャ様……困ります」
「ごめんなさい。けれどユナがいてくれるのに不安になることなんてないわ。走るだけならば剣なんてない方が軽くて助かるもの」
「そういうことを言っているのではないのですけどね」
悪びれずに微笑むアリーシャに、ユナは頭を抱える。
呆然とアリーシャを見上げているガロは、言葉を発せられなかった。
信じられなかったのだ。
今の窮地を作り出した男に、
立場が逆転する前までは、殺したいほど憎んでいた相手だというのに。
こんなのは慈愛ではない。
現実の見えていないただの甘さだ。
これでガロがもし拘束を外して生き抜いてしまえば、アリーシャはきっと後悔することになる。
ユナはアリーシャの意に反してでもガロに武器を渡すべきではないと思ったが、状況がそれを許してはくれなかった。
いよいよゴブリンたちの狩りが始まったのだろう。
ドンッ、と扉に体当たりするような音が重なり合って大きく響く。
「壁を抜いて出ます。露払いは私がしますので、アリーシャ様は振り返らずに走ってください」
「勝手をした分くらいはやってみせます」
「ええ、信じますよ」
ユナはアリーシャに下がるようにうながして、静かに目をつぶって息を吐き出した。
頭に思い描くのは、己にかかった枷を外すイメージ。
これから先はいつ終わるともしれない戦いだ。
力を引き出すのは一瞬でいい。
およそ人が持つには不相応な力で振るわれた斬撃は、まるでそうなることが当たり前であるかのように丸太の壁を滑らかに斬り裂いた。
果たして王国の騎士団長であったとしても同じことができるのだろうか。
そうアリーシャが思ってしまうほどに事もなげに、なかったはずの逃げ道は作られた。
「走って!」
そう言った次の瞬間には、姿勢を低くして駆けたユナによってゴブリン二体がまとめて両断される。
枷から零れ出た力の
用意周到な狩りだったのだろう。
予想に反して森にも少なくない数のゴブリンが伏せられていたが、ユナは力の残滓が燃え尽きる前にそのすべての位置を把握していた。
ユナはアリーシャに先んじて森に入り、最短距離で詰めて一刀のもとに
アリーシャはユナに言われた通りに懸命に走っていた。
傾斜があり、伸びる太い根に幾度も足を取られそうになるが、それでも足を動かすのを止めない。
自分でもびっくりするほどには頑張れているつもりだったが、ゴブリンを倒し続けるユナの方が前にいるのだから生きる世界の違いを感じてしまう。
それがどうしようもなくおかしくて、ひどく愉快だった。
転ぶと同時に、かかとの高い靴は脱ぎ捨てた。
踏みかけた丈の長いスカートは破いている。
あとは何を捨てれば
「楽しそうですね。やはりお姫様っていうのは私にはよく分からないみたいだ」
わずかに並走して肩を並べたユナは、アリーシャの様子を見て激励にもならない感想を残し、また闇へと消えていく。
息は切れていて返事を返す余裕もない。
それでもアリーシャは、不思議と今が人生で一番生きていると実感できていた。
だからだろう。
圧倒的上位者だったはずの
今頃は
自分と同じように。
そう思うとアリーシャは胸のつかえが取れて、晴れがましい気持ちになる。
確かにこの気持ちは慈愛ではない。
だが、甘さでもなかった。
※ ※ ※
ユナはすでに視認したゴブリンを残らず掃討していたが、アリーシャとは敢えて一定の距離を離していた。
狼のような遠吠えとともに、足音が急速に近づいてくるのが分かっていたからだ。
ユナは群生する大樹の一本を一息で駆け上って、辺りを見渡せる高さにある太い枝の上に立つ。
(さすがに何も見えないか。仕方ない)
ユナは夜目を確保する為に、魔力を目に集中させて巡らせる。
予想通り迫って来ていたのは、森のような障害物が多い場所で相手取るには厄介な相手。
狼型の魔物を騎乗用に調練し、通常の個体が持ちえない機動力と戦闘力を併せ持ったゴブリンライダーだ。
ユナはこれまで姿を見ることはなかったから群れにはいないと踏んでいたのだが、どうやらあてが外れてしまったようだ。
場当たり的な対応になることに苛立ちを感じながらも、ユナは辺り一帯に響くような大きさで指笛を鳴らす。
するとそれに導かれるように、ゴブリンライダーの集団がユナのもとに向かってきた。
以前ゴブリン討伐の依頼を受けた際に同行したとある冒険者が行っていたのを見様見真似でやってみたのだが、どうやら成功してくれたようだ。
『あいつらは耳がいいからな。こうやって大きな音で教えてやれば簡単に――』
そう得意げに語られた時はうざったらしくてつい無視を決め込んだユナだったが、今度会った時には礼の一言くらいは言ってやろうと小さく笑う。
そのためにも生きて帰らなくてはとユナは気合いを入れ直した。
(まずは数を減らさせてもらう)
ゴブリンライダーには騎乗している魔物の耳と鼻がある。
それゆえに追跡能力にも長けており、夜の森にあっても迷わずユナ目掛けて駆けてくる。
今回はその優秀さが仇となった。
近づいてくるゴブリンライダーの騎手の額に向けて、ユナは短刀を連続で投げつける。
ユナは外套に十本以上の短刀を隠し持っている。
それは中距離の暗器の存在が、単純な剣士では持ち得ない有利な戦場を作り出せると経験で知っているからだ。
――ザザシュッ!
額を貫かれ、呻きも残せずに絶命したゴブリンは、同じく事切れた狼型の魔物と折り重なるようにその場に崩れ落ちる。
(一つ)
ゴブリンライダーたちは同じ
(二つ)
二本の短刀が宙を舞い、同じ光景を繰り返すようにして地面を引きずる音が鳴る。
三騎目とはもう距離がない。
(三つ)
枝から飛び降りたユナは、抜いた剣でゴブリンを魔物ごと串刺しにして屠る。
そのタイミングを狙うようにして、続けて迫ってきていた別の個体の魔物の牙がユナの頭を狙う。
(四つ)
それを身体ごと首をひねり、
(あと一騎)
ユナは自分目掛けて疾走していたゴブリンライダーに剣を構えて備えたが、なせかその個体は途中で立ち止まると、方向を変えてユナから離れていってしまう。
気配は次第に遠ざかっていき、ついには感じられなくなったことから、ユナは
(どういうことだ? 撤退するにはまだ群れの損失は少ないはずだが)
まだ本隊を残しているであろうゴブリンの群れは、ユナも全容をつかめていないが相当数に上るだろう。
個を
「嫌な予感がするな」
独りでに
※ ※ ※
「アリーシャ様」
「ユナ。良かった、無事だったのね」
ユナがアリーシャのもとにたどり着くと、彼女は岩肌に大きく口を開けた洞穴の前で立ち止まっていた。
どう進むべきか判断できなかったのだろう。
「岩壁を素手で登ったりは」
「できると思う?」
「聞いてみただけです」
迂回路は見当たらず、ゴブリンが大挙しているであろう方向に今更引き返すこともできない。
「賭けてみるしかなさそうですね」
ユナの勘では、この選択は正しい。
洞窟からは風が吹いており、どこかに出口があることがうかがえた。
上手くいけば山を越さずに抜けることができるかもしれない。
だが、相応にリスクはある。
万が一この洞窟がゴブリンたちの根城だった場合は目も当てられない。
ユナはこれまでゴブリンたちと遭遇してきた場所を考えて、その可能性は薄いと踏んではいたが。
どの道ほかに取れる手段もない。
悩む時間も惜しいとユナは、アリーシャを連れだって洞窟内に入ることにした。
「薄暗いわね」
「けれどまったく見えないわけではありません。このまま進みましょう」
こんなとき冒険者仲間としてよくつるんでいた魔導士の彼女が居てくれればと思いもするが、ないものねだりをしても仕方がないことはユナも分かっている。
『ユナも魔法を使えばいいのに』
彼女を思い出したからか、いつぞや投げかけられた言葉がユナの脳裏に浮かぶ。
使えるのならば使っている。
魔法は先天的な才能によるところが大きく、ユナも体内に魔力はあるが、身体強化にしか使えないのだ。
アリーシャも癒しの魔法を使えるが、それを攻撃に転じさせることはおそらくできないはずだ。
万能ではいられないからこそ、冒険者は困難に挑む際はパーティを組むのである。
(ならば今の私は冒険者ではないのかもしれないな)
さしずめ死にたがりの愚か者か。
これまでを思い出しながらそんな益体もないことを考えつつ、ユナはアリーシャを先導していく。
幸いにも月明りが差し込んでいるのか完全な暗闇ではなかった。
ゴブリンでなくともこういった洞穴では魔物が生息していることもあるので、慎重に気配を探りながら進む。
しばらく進むと、明らかに人工的なかがり火が見えてきた。
「あれは明かり? 山で火を使う種族……ドワーフか?」
「ドワーフであれば話は通じるわね。事情を話して食糧を分けてもらえないかしら」
アリーシャは余裕が出て意識した空腹を思い、お腹をさする。
ドワーフは地中を好み、岩穴で暮らす人間に近い容姿の種族だ。
種族間の仲はあまり良くはないが、それでもドワーフの卓越した鍛冶の技術を求める者は多いことから、商売は行われている。
彼らの村がここにあるのであれば、確かに食糧を融通してもらえないか交渉したいところだ。
ここでゴブリンライダーが引き返したことをユナがすぐに思い出していれば、そんな都合の良い考えより先に警戒が浮かんだだろう。
結果は同じだと言えばそれまでだが。
「――静かに」
アリーシャを背に庇うようにして共に近くにあった岩壁の隙間に身を隠すユナ。
口元を抑えられた手の上で大きく目を見開くアリーシャ。
二人の前を歩いていったのは、重そうな巨体を揺らす豚のような顔の、緑色の肌の亜人だった。
(オーク……だと!?)
それは確かに女神セレーネの加護がもたらした天啓であったが、同時に試練でもあったのだ。
ゴブリンはこの洞窟にはいないかもしれない。
だがしかし、それ以上の脅威が、ここにはあった。
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