第3話 襲撃

 ユナとアリーシャが出会ったのは、まだ隣国アカネイアとの戦時下の、敗北続きだったラグナ王国側が傭兵部隊を投入して戦線を国境まで押し返した折のことだ。

 両国がにらみ合うことで生まれたつかの間の休戦中に、わずかばかりの連れを伴って陣幕へと慰問に訪れたアリーシャは、負傷者に対して得意とする回復魔法をかけて回っていた。

 本来であればアリーシャが相手にするのは王国騎士、それも爵位の高い家の者のみの予定であったが、状況を己の目で見て知った彼女は家格を問わず、一般の兵士や傭兵部隊まで対象を広げた。

 大きな負担になることから止める者も多かったが、等しく祖国の為に血を流してくれているのだからと彼女はがんとして聞き入れなかった。

 アリーシャが【慈愛の聖女】と呼ばれるようになった由縁だ。

 もしアリーシャが倒れでもしたら幾人かの首が物理的に飛んでいたであろうから、特に彼女の侍従や現場の責任者である部隊長は生きた心地がしなかっただろう。

 アリーシャとてそれが分からぬわけではないから、軽症者は他の治癒魔導士に任せて、自分にしか見られない重傷者を診るようにしていた。

 当時のユナは表面上は負傷していたわけではないから、二人は交わらなくてもおかしくはなかった。

 だが、アリーシャは気づいた。

 陣幕から一人離れて大樹に背を預けて休むユナが、この場にいる誰よりも命を燃やして戦ってきたことに。


「よろしいかしら?」


 ユナは近づいてきたアリーシャのことを初めは知らなかった。

 ただ見たことがないきめ細やかな純白の布地の衣装を身に着けて後ろに多くの者を控えさせていることから、身分の高い者であろうことはうかがい知れた。


「よろしくはないな」


 一人でいたかったから離れていたのに、それを邪魔された不機嫌さを隠そうともせずにぶっきらぼうにユナは返す。

「無礼な」といきどおる声が聞こえたが、アリーシャは手で制して逆にその者を下がらせた。


「アリーシャ・フォン・ルナ・ラグナと申します。貴女の時間を邪魔してごめんなさいね」

「……ユナ・ミラシアです。姫殿下であらせましたか。これはとんだご無礼を」


 その名を聞いてしまってはさすがに無視するわけにもいかない。

 流れ者で世情にうといユナであっても、自分が味方している国の王家の名くらいは知っている。

 どういう理由で自分に声をかけてきたのかは分からないが、適当に相手をして満足してもらった方が自分だけの世界を早く取り戻すことができるだろう。

 そう思い、形だけは礼の姿勢を取ろうと腰を上げかけたユナであったが、それをアリーシャは止める。


「わたくしの勝手なのだから、そのままで構わないわ。傭兵部隊の方が王家への忠誠など持ち合わせていないことは、理解しているつもりです」

「それでアリーシャ様が納得されるのなら」


 傭兵部隊はユナがそうであるように、ルーツが他国にある者も多い。

 国にとっては命の価値が安い者たちばかりで、いつ裏切るかも分からない。

 それゆえに最前線で使い潰されていて、部隊の損失は日に日に増えていっていた。

 傭兵部隊の者はそれを分かっていて、はした金と日ごとに配られるひとかけらのパンを目当てに死にに行くのだから、なんとも間の抜けた話だ。

 ユナ自身も無価値な生き方だとは思っていたが、自分自身が無価値なのだからそれも当然だとも思っていた。


「わたくしが申し上げたいのはひとつだけ。どうかご自愛を」


 身体を包んだ温かな光。

 国のために命を捨てろというのではなく、自分を大切にしろといわれた言葉は、ユナにとっては少なくない衝撃的で。

 それも己とは比べるべくもない高貴な生まれの彼女からのものであったから、ユナの目はきびすを返して去っていく彼女から離せなかった。


「お姫様っていうのは分からないな」


 空を見上げてユナは独り言ちる。

 アリーシャの去り際に身体を包んだ温かさが何であったのかは、翌日の戦場で摩耗まもうしきっていたはずの身体が軽やかに動くことで知るのだった。



 ※ ※ ※



 冬に入る前の季節であっても、山の夜は凍えるほどに冷える。

 それゆえに火を起こすのは生きるために必要なことではあったのだが、そのことが危険の呼び水となるのであれば慎重を期しておくべきだったのだろう。

 もっとも、ユナはこうなる可能性も分かっていてそのままにしていたのだから、慌てふためくほどのことではなかったが。


(囲まれているか。どれだけいるかは分からないが、これまでより少ないことはないのだろうな)


 わずかな安眠の代償に想定していた以上の多くの害意を招いてしまったことに気づいたユナは、寝ていた身体を起こして立ち上がると、壁の隙間から外を覗いて冷静に分析する。

 光源が月明りのみでは、はっきりと外の様子が見えるわけではないが、音や空気の変化から読んだ気配の補足にはなる。

 決して楽観視してよい状況ではないと判断したユナは、自分の横で寝ていたアリーシャを起こすために揺り動かした。


「……ユナ? どうかしたの?」

「敵です。おそらくはゴブリンの群れかと」


 小声で返したユナの言葉に、寝ぼけまなこだったアリーシャは驚きとともに目が覚める。

 ユナは日中に幾度か襲われたゴブリンの存在を思い返していた。

 撃退したのですべてだとは思っていなかったが、それ以上の数を残しているとはやはりこの山はゴブリンの巣窟そうくつであったらしい。


「おい、俺も戦えるようしろ」


 すでに異変に気づいて起きていたガロが、ユナに訴えかける。

 確かに戦力は欲しいところではあるが、王国騎士並みの腕を持つこの男を野放しにするのはゴブリン以上に危険だった。

 ユナはどうすべきか逡巡した後に首肯しゅこうして、アリーシャにガロを回復するようにうながした。


「癒えよ」


 アリーシャはその決断に抵抗がないわけではなかったが、荒事の経験がない彼女としてはユナが必要だと判断したのならば従うほかない。

 アリーシャの魔力がガロの全身をおおって、多くの血を失って目が浮き上がるようになっていた顏にも生気が戻っていく。


「さすがにこの状況で中途半端な真似はしないか」


 ガロは己の身体の調子を理解すると、満足げに笑みをこぼす。

 やむなくガロを戦力に加えるつもりだと判断したアリーシャは、ユナと戦う前の状態に等しいところまで回復させたのだ。

 あとは拘束した縄を切るだけであったが、ユナはなぜかそれをしようとはしなかった。

 

「おい、どういうつもりだ?」

「どうもしないさ。お前はそこではいつくばっていればいい」


 れた様子のガロに対して、ユナはさげすむような視線を向ける。

 その死刑宣告にも等しい言葉に、ガロは声を荒げた。


「馬鹿が、全滅する気か! ここはアンタがおとりとなって俺がアリーシャ姫を逃がすくらいしか選択肢はないだろうが」

「冗談だろう? ゴブリンごときに負けるつもりはないし、そうでなくともお前に任せてアリーシャ様が無事に済むと誰が信じられる」


 毅然きぜんと言い返したユナに、ガロは言葉を失くす。

 それが分かっていてもほかに方法がないから自分を回復させたのだと、ガロは考えていたからだ。


「待て、ならばどうして俺を回復させた」

「お前が言ったじゃないか。囮だよ。扉が開けば群れのいくらかはお前を餌としに行くだろうさ。少しでも長く引きつけてくれると助かる」

「なっ……ふざけるな!」


 信頼関係どころか恨みを買われている以上は、ガロを自由にしたが最後、勝手をするのは火を見るより明らかだ。

 男も食糧目的でゴブリンの攻撃対象にはなるが、あの者たちの最大の目的は他種族の女なのだ。

 味方とはなり得ないガロは隙あらばその性質を利用してくるだろうし、肩を並べて共に戦う相手に選べるものではない。

 また、ガロの言う通りにアリーシャを任せたとしても、逃げる最中に生き延びるために見捨てるか、当初の目的通りに取引相手に引き渡す姿が容易に想像できた。


「ふざける? それこそ冗談だろう。ゴブリンたちがここを襲う可能性は初めから認識していた。その上で私は、アリーシャ様が止めなければお前を生かしておくつもりはなかったんだ」


 そもそもゴブリンの群れにすでに遭遇そうぐうしていたユナからしてみれば、こうして再度襲われることは想定の範囲内なのだ。

 ゴブリンの勢力圏に入っているであろうこの小屋を寝床としたのも、有事の際に壁があれば寝込みを直接襲われることはないと判断したからに過ぎない。

 頼りとしているのは初めから己の力のみなのだから、ガロを自由にする余地などありはしなかった。


「畜生めが。いつか地獄に落ちるぞ」

「地獄には一人で行ってくれ。私は敬虔けいけんな女神セレーネの信徒だからな。初めから死後は天国で彼女の戦士となることが決まっているのさ」


 ガロはろくでもない自分の末路を想像して怒りに震えていたが、そもそもがユナにそれを求めようとしていたのだから同情には値しない。

 二人の会話を黙ってみていたアリーシャは、会話が途切れたところを見計らってユナに微笑して言った。


「ユナは怖いのね」

軽蔑けいべつしましたか?」

「いいえ、安心したわ。ばあやから恐ろしいと聞かされていたゴブリンより怖い剣士さまがいれば、きっとここから無事に逃げることができるもの」

「それは保証します」


 おどけた調子で言ったアリーシャに軽口を返して、ユナは気持ちに整理をつける。

 悪党相手とはいえ非情ではあるが、生きるために少しでも役立つのあれば心も痛まない。


「持てますか?」


 ユナはガロの所持していた鉄の剣を拾ってアリーシャに持たせて、振れるかを確かめる。

 利用するのであれば、そのすべてを利用し尽くそう。


「ええ、行けるわ」


 あの男の運は、アリーシャに手を出したことで、そしてユナがここに現れたことで尽きていた。

 ただそれだけの話だ。 

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