第1話 面倒事の始まり

 草原に伸びる古びた石畳いしだたみの道に、外套がいとうに身をつつんだ一人の女の姿があった。

 赤い長髪が一際ひときわ目を引く彼女の名前は、ユナ・ミラシア。

 剣を片手に依頼を受けての魔物退治や要人警護ようじんけいご一攫千金いっかくせんきんのトレジャーハントを狙ってのダンジョン踏破、果ては戦場を渡り歩く傭兵稼業を生業とするフリーの冒険者だ。

 そんなユナの足取りがわずかに止まる。

 道端で止められた荷馬車と、その隣りで頭をかかえている男が見えたからだ。

 明らかに困っている姿から、面倒事めんどうごとであるのは察せられる。

 無視して素通りすることもできたが、ユナは金の種になるかもしれないからと近づき、声をかけることにした。


「どうかしたのか?」

 

 商人だろう。

 身なりの良い者が護衛ごえいも連れずにとは珍しいが、安全とは言いがたい街道で立ち往生しているのには理由があるに違いない。


「それが、お恥ずかしながら商品に逃げられてしまいまして。すでに買い手がついている娘でそのままにするわけにもいかず、護衛で雇っていた男に追ってもらったのですが……」

「戻って来ないか」


 先んじて言ったユナに、商人は力のない笑みを浮かべて頷く。

 ユナが荷馬車の中を横目で覗くと、怯えた様子の男、生気のないうつろな目の少女、不気味に笑い続ける老人など、老若男女問わずみすぼらしい服を着て鎖に繋がれている姿があった。

 戦争に負けたかどこかの村が野盗に襲われでもして、まとめて売られたのか。

 どこにでもある、ありふれた光景だ。


不用心ぶようじんだな。護衛が護衛の務めを果たしていないじゃないか。私がぞくたぐいだったらどうするつもりだ?」

「おっしゃる通りで」


 丸腰の娘一人に返りちにあったとは考えにくい。

 前金で渡したのが災いして仕事を放棄されたのかもしれないと奴隷商人どれいしょうにんなげく。


「護衛を生業とする者が理由もなく信用を捨ててまでそのような短慮に出るとは思えないな。大方その護衛が逃がしたんじゃないか」

「なっ、だとしたらまさか子爵に雇われて?」


 思い当たる犯人がいるとすれば買い手か。

 逃げたのが高級奴隷であるのならば、買うよりもそこらのゴロツキをやとった方がはるかに安くつく。

 そういうことなのかもしれないが、ユナにはどうでもよかった。

 これ以上奴隷商人の愚痴ぐちに付き合う理由もない。

 だまされる方が悪いのだから、ユナは自分の仕事をするだけだ。


「街までの護衛の代わりと逃げた奴隷。どちらを高く買う?」


 予想していたのだろう。

 ユナが問うと、奴隷商人は間髪入かんぱついれずに答える。


「奴隷でございます」

「契約はしない。期待もするな。奴隷の特徴とくちょうだけ教えろ」

「金髪の若い女です。それ以上は」


 この状況で言いよどむのならば、それだけワケありということだ。

 面倒事が厄介事になりそうだが、金はその分動く。

 ユナにとってはその方が都合が良かった。


「十分だ」

「あちらに広がる森に入ったところまでは見てります。もし首尾よく行きましたら、この先の街の門兵に『レントはどこか』とおたずねください。金をにぎらせて話を通しておきます」


 奴隷商人が街に無事にたどり着けるかは運だが、逃げた奴隷を追うと決めた以上はユナにはどうにもできない。

 それに仕事の相手が奴隷商人である必要もないのだ。

 なりゆきに任せて、自分が最も得をする形で動けばいい。

 契約を交わさない以上は義理もないのだから。


「それでは」


 商人はそう言うと、自ら御者となって馬を走らせた。

 その先に野盗の一団が待ち構えている予感もしたが、やはりユナにはどうでもよかった。

 すべては月と旅の女神たるセレーネの御心みこころ次第。

 思いがけない理不尽な出来事などありふれていて、人は生きるためにみな選択し続けているのだ。

 ユナとてこの行動が正しいのかは、結果を見なければ分からない。

 今は自分の選択を信じて、ただ先に進むのみだ。



 ※ ※ ※



 ユナが街道をれた先に大きく広がる森に入ると、頭上にしげる葉で日の光もほとんど届かなくなった。

 木の背は高く、緑の匂いが濃い。

 人間を襲う野生の獣もいるだろう。

 魔素まそを吸って力をつけた凶暴な魔物もいるかもしれない。

 逃げた奴隷の女が見つけるまで生きているか不安になるところだが、これもまた運次第だとユナはひとまず考えないことにした。

 己の勘に任せて真っ直ぐ前へと進む。

 行く先を木々がさえぎり方向感覚を狂わせるが、目標を目線の先にそびえる山としたので迷いはなかった。

 もっと念入りに痕跡こんせきを探しながら進むこともできたが、ひとまずは距離をかせぐことにしたのだ。

 見当違いの方向に進んでいる可能性もあるが、追いつけなければ意味はない。

 それにユナは、自分が正しい方向に向かっていることを疑ってはいなかった。

 自身の腰に差す月と旅の女神たるセレーネの名をかんする聖剣とその加護を信じているからだ。

 だが女神セレーネは、旅人の行き先を月明りで照らすだけではなく、試練を与えることでも知られている。

 女神セレーネを信奉する者は、彼女の加護は必ずしも望む結果をもたらすものではないことを理解しておかなければならない。

 試練に打ち勝てなければすべてを失う。

 女神セレーネの加護がもたらす確信めいた己の勘に従うか、従わないか。

 これもまた選択なのだ。

 ユナがさらに足を進めると、緩やかに流れる小川を見つけた。

 のどうるおそうと近づくと、川のほとりに二種類の足跡が残っているのに気づいた。


(見つけた)


 やはり自分の勘は正しかったと、ユナは口元に小さく笑みをつくる。

 大きい方の足跡が護衛の男で、小さい方が逃げた奴隷の女だろう。

 どうやら一緒に行動しているようだ。

 ユナは小川に流れる水をすくって喉をうるおしてから、腰につけていた革袋かわぶくろを水で満たしてひもで縛ると、ふたつの足跡の伸びる方向へ目線を向けた。

 足跡は山の方向へ伸びている。

 

(山を越えるつもりか。なるべく早いタイミングで追いつきたいところだな)


 しかし、それをさまたげるかのように、背後でがさりと草むらをかき分ける音が鳴る。

 ユナは気を抜きすぎたと内心で苛立ちつつ、即応できるように鞘から聖剣を抜き放った。

 現れたのは緑色の身体をした亜人。

 浮き出たような白眼とギザついた歯、人間の大人の腰ほどしかない背の低さが特徴的なゴブリンだ。

 続いて三匹、四匹と現れる。

 後ろにどれだけいるのかも分からない。

 ゴブリンは人間の子供ほどの力と知能しか持たない個体がほとんどだが、群れで行動することでその弱さをおぎなっている。

 人間にとっては害悪しかもたらさない、危険な存在だ。


「亜人の生息地だったか。魔物でなくてよかったとは言えないな」


 ゴブリンの最大の特徴として、種族として女が生まれないというものがある。

 そのため、種の生存を賭けて他種族の女を襲うのだ。

 どれだけ犠牲が出ても構わない。

 最終的に誰かが生き残りさえすれば、獲得した戦利品で数を増やせるだけ増やす。

 ゴブリンに捕まるくらいなら自害しろとは、女として生まれれば子供のころから言い聞かせられる教えだ。

 だが、ユナは当然そのようなものには従わないし、その必要もない。

 狩られる側ではなく、狩る側の者であると自覚しているからだ。


「先に街に行けば、冒険者ギルドの方で討伐依頼が出ていたかもしれない。惜しいことをしたものだ」


 そう独りちたユナは、聖剣セレーネを低く構えて小さく息を吐く。

 彼女にとっての憂いは、これから儲けにならない戦闘をしてしまうことくらいだった。


「キシャーッ」


 奇声を上げて手に持つこん棒を鳴らす先頭のゴブリン。

 それに合わせるようにゴブリンの数がユナの視界にさらに増えていく。

 数は純粋に暴力だ。

 亜人の中では最も弱いと言えるゴブリンであっても、油断していいものではない。

 それでもユナに焦りはなかった。

 冒険者稼業をしていれば、この程度の危険は日常茶飯事だ。

 ゴブリンとの戦闘もこれが初めてではない。


「ガアッ」


 一匹のゴブリンが体当たりするように突撃してくる。

 対するユナは冷静に剣を水平に薙ぎ払い、これを一刀で両断する。

 ふたつに崩れ落ちていくゴブリン。

 その間から、さらに別のゴブリンが数を増やして襲い掛かってくる。

 ゴブリンは個の犠牲をかえりみない。

 それが何より恐ろしいのだ。

 ユナが立っているのは幸いにも戦いやすい開けている場所で、己の剣を自在に振るえる。

 視界も開けていれば、怖い不意打ちもない。

 単調な突撃をり返す相手に、ユナがおくれを取るはずもなかった。


「はぁっ!」


 続けざまに放たれる斬撃。

 裂帛の気合いとともに、ユナは聖剣を二度、三度と流れるように振るい続ける。

 それでもゴブリンたちは諦めることを知らない。


 「しつこい!」


 ユナが剣を振るうたびに、積み上げられていくゴブリンの死体。

 仲間の死体を踏みしめて、ついにはユナよりも高い位置から襲いかかってくるゴブリンたち。

 ユナの剣速は未だに衰えない。

 視界に入ったゴブリンを、またたく間に物言わぬ身体としていく。

 辺りはすっかり血の海になっていた。

 ゴブリンの血は濃い紫で、臭いがひどい。

 流す血さえも相手の感覚を鈍らせる武器としているのだろう。


(いつまで続く? あと何回繰り返せば終わるのか)


 すでに二十匹以上は狩っただろう。

 さすがのユナも表情に疲労の色が見えかけたとき、ようやくゴブリンたちの動きが止まった。

 実に群れの九割を超える損失をもって、ようやく敗北を悟ったのだ。

 背を向けて逃げていくゴブリンたちに、ユナは追いかけて全滅させるべきか悩んだが、今回の目的はゴブリン退治ではないと思い直す。

 戦った後の疲労感は休憩を求めてくるが、ここに留まっていては逃げたゴブリンたちが仲間を引き連れてまた現れるかもしれない。

 ユナは刀身についた血を振り払って、さやへと仕舞しまう。

 時間を取られはしたが、ユナはここがゴブリンの生息地だと知れてよかったと思うことにした。

 逃げた奴隷の女と護衛の男がともに行動していたとしても、ゴブリンに襲われたら見捨てて逃げてしまうかもしれない。

 そうなれば無駄足が確定してしまう。

 せっかく痕跡こんせきを見つけたのだからそれは避けたかった。

 急いだほうがいいだろう。


(それに護衛の男と逃げた奴隷の女が仲間とも限らないしな)


 護衛の男は単純に売る目的で強奪を図ったのかもしれない。

 身分の高い高級奴隷であれば、それこそ一生遊んで暮らせるだけの値段が付いている可能性もあるのだ。

 色々な可能性を考えておく必要がある。


(やれやれ、これは思った以上に面倒事になりそうだ)


 これは割に合わない仕事になるかもしれないと、ユナは嘆息たんそくしてふたたび歩みを進めるのだった。

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