第99話 やり直しの春
その後、水上都市における邪神再臨未遂の顛末。
「人界の自然の管理」を標榜して、人界へと攻め入っていた魔王は自陣営の裏切り者とはいえ、500年前に一度は世界に大打撃を与えた邪神を再臨させようとした事を受け、水上都市への謝罪と賠償を表明。
同時に水上都市へは不可侵条約と魔界への異例とも言える通商路の許可を特例として認める事となる。
実際には今までは公的には秘密裏に行われていた人界と魔界における通商を公に認める事で人界でのみ採取出来る薬草や鉱物を魔界へ流通させる意図もあり、
結果的には魔王軍側にも意義のある譲歩ではあるのだが。
魔王軍側としては領土化もしくは人界への打撃としての都市破壊を当初の目的としていたので不本意な結果である事は変わりない。
水上都市側としても邪神の再臨をたった一人で食い止めて消息不明となった精霊姫には恩義があり、この提案に異議を挟む者はいなかった。
魔王軍側の使者と水上都市市長とで和解と協定の妥結を行い、人界と魔界の歴史史上初の人魔交流都市が此処に誕生する事となった。
しかし、あくまでこれは水上都市内での事であり、いまだに世界では人魔間での戦争が継続される事は変わりない。
これが今回の事件の公での顛末である。
「編集ちゃんという尊い犠牲の上に成り立った仮初の平和なのであった、まる」
悲しむように今回の事件記録をまとめた新聞を畳む勇者。
「勝手に殺さないでくださいます?」
それを呆れたように諫める女編集こと精霊姫。
公的には邪神撃退時に報復に会い、消息不明となっている扱いの彼女だが実際には命に別状もなければ行方不明にもなっていない。
ただし、無傷という訳でもないのだが。
邪神が最後に放った概念上の『腕』は勇者の身代わりとなった精霊姫の身体から魔力の大半と生命力の一部を抜き取って異界へと消滅した。
元々魔力に秀でていた精霊であった事から一命こそ取り留めたものの、
現在の彼女は産まれたばかりの赤子ほどの魔力しか持たず、下半身にも麻痺が残り,今は車椅子上で生活している。
魔女の見立てでは下半身の麻痺は訓練を繰り返す事である程度は回復しそうではあるが、魔力については回復は絶望的である事を知らされている。
この話を直接聞かされた彼女が取った行動が自身の偽装的な死だった。
最早、四天王としては再起不能の自分が居座るよりは死亡扱いとなった方が、父親である魔王も見切りが付けれると判断した上でである。
公私を混同しない人物と彼女は思ってはいるが、迷いが生じないとは言えない。
配下の暴走を自身の怠慢により防ぎきれなかった事への罪の意識もあるのだが。
そうして、死人となった彼女は勇者の手引きで水上都市市長と面会。
彼女の強硬策で沈めた数々の商船についての謝罪と賠償を自ら願い出た。
「フム、まぁ、お嬢ちゃんに沈められた船の損害額は確かに安くはない。
だが、奇跡的にも死者自体は出ていないからな、
どっかの姫さんが配慮してくれたのかは分からんが、
返せるもの返して貰えるならこちらとしては願ったりだ」
精霊姫が主体となって行った商船の破壊は海に投げ出された際や破壊時の損傷に巻き込まれて負傷した者こそ居れど、死者自体はただの一人も出てはいなかった。
皆、簡易的な処置を施されて近隣の浜辺や港に打ち上げられていた。
なので、既に現場に復帰している者も数多くいる。
むしろ水夫の間ではこのように中途半端な措置を取る精霊姫は格好の噂の種になっていたくらいだ。
その為、市長もそれほど精霊姫には悪感情を抱いてはおらず、海底神殿から引き揚げた異海宗が貯め込んでいた財産の接収と精霊姫の私財から過去の損害額の補填のみであっさりと彼女の罪は許した。
それに、彼女が水上都市の為に奔走したのもまた事実なのである。
それらは彼女の過去への贖罪としては十分であった。
次に彼女は自身が暗示をかけて騙していた水上出版へと出向いた。
今まで騙していた事を社員一同に謝罪しようとするも、編集長は
「働き者の貴女が居ないと困るんだよね、足が良くなったら復帰してくれる?」と、それ以上の彼女の懺悔を制し、穏やかに告げた。
他の社員一同も彼女に何も言及してこようとはしなかった。
「はい…是非、いえ、必ず…!」
頭を下げる彼女に対して、皆はいつまでも優しかった。
「それで、先生達には会いに行かないの?」
車椅子を押す勇者に女編集は目を瞑り、静かに首を振る。
「容体は回復したらしいですけれど、今はまだ会わせる顔がありません。
先生方を巻き込んでしまったのも、元々は私の所為なんですし」
邪神の影響で昏睡状態に陥っていた者達も徐々に回復し、昏睡時の記憶こそなくなっていたものの問題なく社会復帰し始めている。
それはあの3人組も一緒であり、現在はまた精力的かつ偶に〆切りからの逃走を図っている。
ただし、今の担当編集は休業中扱いの彼女に代わって別な者が行っているのだが。
「そっか、編集ちゃんが言うなら仕方ないかな」
背後の勇者の声はそっけない。
もう少し粘ってくるかと思っていた女編集は少しだけ残念に思う。
本当の所は、切欠さえ貰えれば会いに行きたいのだが、
自分から踏み出す勇気がないだけである。
「でも、向こうはそう思ってはないみたいだけどね?」
そんな勇者の声が聞こえ、俯いていた顔を上げる。
目の前には出来立てのインクの薫りがまだ漂う綺麗な装丁の本に著者として三人組の名前と原作『女編集』と記されている。
「うむ、あの話の出来があまりにも良かったので勝手に描かせて貰ったのである!」
「こっちも勝手にやった事なので、そちらの勝手もお互い様ですよね?」
「やっぱり、編集ちゃんの姿がないと張り合いもないのよね」
出来立ての本を翳す3人組に女編集は両手で顔を覆って泣き声を上げた。
「これにて一件落着、めでたしめでたし!」
勇者歴16年(春):水上都市が人魔交流を開始する。
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