第98話 勇者と別れ道
邪神の眷属を討ち倒し、その存在が現れた神殿の奥へと急ぐ勇者一行と精霊姫。
神殿の最奥では血で描かれた魔法陣と、その中心で禍々しい気配を放つ経典。
そして、
「クッ、門が開きかけています!
最早、術式を細かく解読している余裕はありません!
あの経典を破壊してしまいましょう!」
魔法陣の上の空間に裂け目が出きており、其処からは心身を底冷えさせるような絶叫が響いている。
精霊姫の言葉に頷き、魔法使いが限界まで魔力を練った火炎魔法を経典へと向かって放つ、
だが、
「エェッ!? す、吸い込まれてしまいましたわ!?」
火炎はそのまま空間の裂け目に吸い込まれていき、
同時に裂け目が少しばかり拡張している。
「魔力を餌にしているんですの……?」
その事実に魔法使いは戦慄し、同時に自分では手も足も出せない事を悟る。
何も出来ぬ歯痒さに立ち尽くす魔法使いの肩を叩き、
暗黒騎士が一人前へと歩み出る。
「お主たちも下がれ、近接戦しか出来ぬお主らでは取り込まれる可能性が高い」
「……分かりました、師匠」
暗黒騎士の言葉に何の反論材料も持たない剣士は何か言いたそうな魔族娘に首を横に振り、魔法使い達と一緒に素直に引き下がる。
皆が暗黒騎士に最後の望みを託す中、
「で、私は何をすればいいのおじさま?」
いつの間に横に居たのか、勇者が笑顔で暗黒騎士を見上げていた。
「お主…いや、いい。 そうだな、本来であれば我だけで事足りると言いたい所だが、正直に申せばアレは我らの世界とは根本的に異なるものだ。
我の全力をもってしても一時的に穴を塞ぐのが関の山。
故に、分かるな?」
暗黒騎士は隣に立つ勇者に一瞬は目を見開くも、彼女の覚悟と現状への正しき認識に驚嘆すると同時に嘗て自分の隣に立っていた友の姿を思い浮かべる。
だからこそ、暗黒騎士は素直に本音を吐露し、勇者へ助力を願い出た。
「ウン! 私があのやばそうな本をぶっ壊すね!」
兜の奥の優しい視線に応えるように勇者も力強く頷く。
「上出来だ、では…往くぞ!」
「ハイッ!」
暗黒騎士と勇者はほぼ同時に己の武器に力を籠める。
暗黒剣は呪いを主体とした剣技の為、純粋な魔力は殆ど含まれない。
下手をすると、根源はあの裂け目の先に潜む者と一緒かも知れない。
この状況に対処出来る者が偶然二人も其処に居たのは奇跡としか言いようがない。
「暗黒剣奥義…絶ッ!」
「闇」を超えて「無」へと至った剣が空間の裂け目に振るわれ、
まるで断末魔のような響きを上げながら鬩ぎ合う。
「ヌゥ……グッ…」
あの暗黒騎士から初めて苦痛を伴った声が漏れるのを勇者は聴き逃さない。
それほどに、今回の相手は規格外。
仮に顕現しようものならば今の未熟な自分達では歯が立たぬ相手なのは想像に容易い。
それでも勇者に不安はなかった。
自分はあの暗黒騎士に頼られたのだから、自分のする事を全力で全うするだけだ。
「ゼェイヤァァァッ!」
暗黒騎士が猿叫と共に鬩ぎ合っていた大剣を振り切る。
その瞬間、裂け目は瞬時ではあるが大幅に縮小し、世界への干渉を弱めた。
「今だッ!」
暗黒騎士が勇者に呼びかける。
「セイッヤァァァッ!」
その言葉に背を押され、勇者が魔剣を経典へと振り抜いた。
それまでは禍々しい魔力を放っていた経典は両断され、
行き場を無くした魔力が無惨していく。
「よっしゃー! やったぜ師匠に勇者!」
背後で剣士達の喜ぶ声が聞こえるも、全力を使い果たした暗黒騎士はその場に膝を突き、
勇者も疲れ切って座り込んでいる。
「よくやったな」
「エヘヘ…」
共に苦難を越えた育ての親とも呼べ、武芸の師でもある暗黒騎士に褒められて頭を撫でられて弛緩する勇者。
故に、反応が遅れてしまった。
突如、空間の裂け目が瞬間的に拡張し、中から概念的な『腕』が飛び出してきた事に。
それは再臨を阻止された異界の邪神からの最期の報復。
「あっ、やらかした」
迫る『腕』に気づいた時にはもう避ける暇はなかった。
そう、あの場で邪神の最後の悪足掻きに気付いていた者が居なければ。
『腕』に掴まれると思った瞬間に不意に訪れる浮遊感。
暗黒騎士はそもそも体力が尽きていて動けない。
剣士達は背後で驚愕に目を見開いている。
じゃあ、誰なのかと走馬灯の如くゆっくりと流れる視界の中で眼に入ったのは、
やり切ったと言う安堵の笑みのまま、『腕』に囚われる精霊姫の姿だった。
勇者歴16年(冬):勇者と暗黒騎士、邪神再臨を瀬戸際で防ぐ。
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