第40話

 部屋の中は、簡素なものだった。


 少しの人形とベッド。

 壁には何もなくて、テレビが1台。


 学習机には、小学生の教科書やノートが乗せられていた。


 俺がこの部屋に来た時、もう少し物があったような気もするが、それは高校生までの間で増えていったものなのだろう。


「奈那が死んでから、何も変えてないわ。掃除はしてるけどね」


 奈那先輩が、亡くなったのは、もう何年も前。


 その間、この部屋をずっと元のままにしておく。そうすれば、思い出は、いつまでも心に残り続ける。


 それは、心の支えであるのかもしれない。


 だが、それは逆に、辛いことを思い出すきっかけにもあるんじゃないだろうか。


 奈那先輩のお母さんを見ると、気にしていないように笑っていた。

 でも、その笑顔が本当の笑顔なのか、俺にはわからない。


 それを深く聞くのは、多分、やめた方がいいんだろうな。


「一樹くんが聞きたいのは、奈那が、その龍神、様、だったかしら? に、何を願ったかだったわね」

「はい」


 それさえわかれば、奈那先輩を取り戻すことができる。


 だが、奈那先輩のお母さんは、申し訳なさそうに首を振った。


「残念ながら、私も、多分、あの人も、その答えは知らないわ」


 あの人というのは、奈那先輩のお父さんのことだろう。


「奈那は、そういうことは人に言わない子だったからね。あなたたちも、それは知っているんじゃないかしら」

「それは、確かに」


 奈那先輩は龍神様に関することは、両親や幼馴染みの黒内先輩にもほとんど言っていなかった。


 そんな奈那先輩が、子供の頃に何を願ったのか、それを誰かに言っている訳がない、か。


 言われてみれば、その通りだ。


 奈那先輩の親なら、その辺りの話を知っているかもしれない。


 漠然とそう思っていたが、よく考えれば、2人は龍神様についても聞かされていなかったようだし、知らない可能性は十分に予想できたことだ。


 俺は思わず漏れそうになる溜息を殺して、密かに落胆する。


「でも、なら、どうして、ここに?」


 そんな中、みんなが思ってるであろう疑問を、司が口にした。


 さっき、奈那先輩のお母さんは、俺たちに協力できると言っていた。


 それはどういう意味なのだろう。


「ふふ。私は知らないわ。でも、一樹くん、あなたは聞いてるんでしょう?」


「うっ。もしかしたら、ですよ?」


 痛い所を突かれた。

 黒内先輩の推測では、確かにそうなっている。


 ただ、ここまで色んなことを思い出していて、それだけを思い出せないとなると、本当に聞いたことがあったのかは疑わしいものだ。


「いいえ、あなたは聞いてるはずよ」


 しかし、奈那先輩のお母さんは、それをはっきりと否定する。


「多分、あの子が本当の意味で心を開いていたのは、あなた。だから、あなたしかわからない。あなたしか思い出せない。それくらい、その話は奈那にとって、大きなことなのよ」



 奈那先輩のお母さんが言う。


 奈那先輩にとって、大きなこと。


 龍神様に何を願ったのか。

 それは今、俺たちが最も知りたいこと。


 だが、それは、奈那先輩にとって、最も隠したいことでもある、ということだろうか。


 だからこそ、奈那先輩のお母さんにも言えなかった。お父さんにも言えなかった。

 そういうことだろうか。


 しかし、そうだとするならば、そんな重大な秘密を、本当に俺はなんかに話しているんだろうか。


「あなたが思い出さなければ、もう、誰にもわからないわ」


 奈那先輩のお母さんの言葉は、確信を持っているように聞こえる。

 いつものように、ただ答え合わせをしているような。そんな雰囲気だ。


「あの子が、自分の秘密を、外で話すとは思えない。なら、話すとしたら、この部屋の中よ」

「だから、ここに来たんですか?」

「そうよ」


 話を聞いた場所ならば、記憶も思い出せるかもしれない。

 確かに、そうかもしれない。


 ここでなら、もしかしたら、奈那先輩のことを。



 そこで、少しの間があった。


 奈那先輩のお母さんは、少しの沈黙の後、まっすぐと俺の方を見る。

 その目は、俺の心を見定めるような、不思議な視線だった。


「ねぇ、一樹くん」


 その声音は、穏やかで、それでいて感情を読ませない、不思議な声だ。


「はい」

「あなたは、本当に奈那が元に戻ると思ってるの?」


 怒っているようには聞こえない。

 かといって、悲しんでる訳でも、ましてや喜んでる訳でもない。


 ただ無感情に、俺に問いかける。


 それは、何を意図しての言葉なのか、俺にはわからない。


 だから、俺はただ素直に答えるしかなかった。


「思ってます」

「……そう」


 奈那先輩のお母さんは、そう呟くと、微かに息を吐いた。


「あなたは、もう一度、よく考えるべきよ」


 奈那先輩のお母さんは、はっきりと、力強い声でそう言った。


「あなたは、何もわかってない。考えられていない」

「……どういうことですか?」


 奈那先輩のお母さんの言いたいことがわからない。


 あと少し。

 あと少しなのに。


 あと少しで、奈那先輩が戻ってくる。

 そのために色々考えた。


 確かに俺は頭が良くないが、それでも、俺なりに色んなことを考えた。


 奈那先輩を、取り戻すために。


 だが、奈那先輩のお母さんは、首を横に振る。


「あなたは、奈那を生き返らせることができるのかもしれない。私には、信じられないけど、もし仮に、それができたとしても、それは元の奈那ではないわ」


 元の奈那先輩ではない。


 その言葉に、俺は少しだけ、ハッとした。


「あなたも、心の何処かでは思っていたんじゃない? 病気が治って、不死ではなくなった奈那が、本当にあなたの知る奈那なのか」


 奈那先輩のお母さんは、諭すように言う。


 それに俺はうまく言葉を返すことができなかった。


「その人がその人であることを、何をもって判断するのか。それは、とても曖昧なものよ。でも、その判断するための1つとして、性格というものがあるわ」


 奈那先輩のお母さんの話に、おれたちは誰一人として口を挟まずに聞いている。


 もしかしたら、みんなもわかっていたのかもしれない。

 それから、目をそらしていたということを。


「奈那は、不死であることを必死で隠して、必死に直そうとして、必死に頑張っていた。そうでしょう?」

「はい」


 言いながら、奈那先輩のお母さんが、歯を食い縛るのがわかった。


 悔やんでいても悔やみきれない。


 実の子供が、そんな大きな悩みを抱えていて、何も力になれなかったことを、本当に悔しがっているのだろう。


 それは、俺なんかじゃ、計り知れない程の後悔だと思う。


 それでも、奈那先輩のお母さんは、真っ直ぐに俺の目を見て話してくれた。


「それ程の経験をした奈那と、病気が治って、不死でもなくて、普通に過ごしていく奈那。あなたは、本当に同じ奈那だと思えるのかしら?」


「それ、は……」

「私は、どんな性格でも、奈那が生きているのなら、それでいい。でもね、一樹くん、もし、容姿以外、すべてが変わってしまった奈那を見て、あなたは、本当に元通りだと思えるの?」


 俺の言葉を遮って、奈那先輩のお母さんが言う。俺に答えを言わせないように。


 多分、あえて、したんだと思う。


 それは多分、最初の話に繋がるんだ。


 もう一度、よく考えるべき。


 ここで、それでもいい。それでも構わない。と言うのは簡単だ。


 でも、それは、おそらく奈那先輩のお母さんの求める答えじゃない。

 俺が出すべき答えじゃない。

 

 俺が黙ったのを見届けて、奈那先輩のお母さんが部屋の扉に手をかける。


「あとは、一樹くん、あなたに任せるわ」

「……はい」


 そう言い残して、奈那先輩のお母さんは部屋を出ていった。


 そして、他のみんなも、俺を心配するような顔をして、部屋を出ていった。



 静かになった。

 部屋の中には俺1人。何もない部屋に俺1人。


 だが、何故か、1人でいる気はしなくて、何気なく歩くと、後ろから声が聞こえてきた。


「君にだけ、話しておきたいんだ」


 振り返ると、奈那先輩がいた。

 いや、違う。これは記憶だ。


 この部屋に来た記憶。

 最初の時ではない。


 これは、ナンパ男たちの怪我が治って、それからのこと。


 俺は奈那先輩に呼ばれて、この部屋にやって来た。詳しい話はされていなかった。

 ただ、大事な話があるとだけ。


「ごめんね。協力してもらおうって話なのに、まだ私には秘密があるんだよ」


 奈那先輩は、いつもよりも顔を強ばらせている。いつもの雰囲気を崩すまいと振る舞っているが、俺にはその僅かな違いがすぐにわかった。


 逆を言えば、それだけ奈那先輩が切羽詰まっているということなのかもしれないが。


「まだみんなには、話したくない。君にだけ聞いてほしいんだ」

「はい」


 俺は頷く。特に言葉は必要ないと思った。


 奈那先輩が何を望んでいるのか、俺にはわかるし、俺がそれをわかっているということも、奈那先輩は察している。


 なら、変に言葉を積み重ねるより、はっきりと告げた方がいいと、そう思ったから。


「奈那先輩の気持ちが落ち着くまで、ちゃんと待ちますから」

「ふふ、ありがとう」


 奈那先輩が笑う。その笑顔は少しだけ緊張がほどけたように、柔らかいものだった。


 そして、奈那先輩はベッドに腰を下ろした。

 俺もその横に座る。


 それから奈那先輩が口を開いた。


「これはね、私が馬鹿だったから、起きてしまったことなんだよ」

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