第39話

 ピンポーンと、チャイムを鳴らす。


「はい」


 出たのは、奈那先輩のお母さんだった。

 俺だということはわかっているのだろう。声に覇気がない。


「こんにちは。初めまして」


 その声に、世良が答える。


「今日はお友達も一緒なのね」


 初めての声に、やや間があってから、奈那先輩のお母さんの声が返ってきた。


 インターホンのカメラから、俺たちのことは見えているはず。

 俺たち4人で来たのは、わかっているのだろう。


「話は聞いてます。私たちも、奈那先輩にはお世話になっていました」

「そう。あなたも、なのね」


 それがどういう意味で言っているものなのか、それはなんとなくわかってしまう。


 それにもめげず、世良が続ける。


「はい。少しだけ話を聞いてください。ここでも構いません。話だけでも聞いてください」


 世良の言葉に沈黙が流れた。

 だが、通信は切られていない。


 何を思っての沈黙なのか、世良から緊張が伝わってくる。


 ここで突っぱねられれば、話どころではなくなってしまう。

 俺も無意識に息を飲んで、答えを待った。


「そこでいいなら、話しなさい」


 返ってきた声に、俺たちはとりあえず安堵の溜息が漏らした。


「はい。ありがとうございます」


 だが、まだこれは、スタートラインに立てただけに過ぎない。


 1番最初に、事情は話している。

 そこからどうやって信じてもらうのか。


 世良は考えがあるとは言っていたが。

 とにかく、とりあえずは世良に任せるしかないだろう。


「まず、最初に私たちは、悪ふざけをしている訳ではありません。それだけは最初に伝えさせてください」


 その言葉に対しての答えはなかった。


 だが、世良は怯むことなく話を続ける。


「私たちは、確かに奈那先輩と学校生活を過ごしていました。奈那先輩は、私たちの学校の先輩で、仲良くさせてもらっていました。黒内先輩とは、そこで知り合ったんです。奈那先輩は、学校では人気者で、部活には入ってませんでしたが、よく助っ人を頼まれていて、部員顔負けの活躍をしていました。勉強もすごくて、全国模試では毎回上位。容姿も良くて、誰からも好かれていました。まるでアイドルみたいに、ファンの人がたくさんいて、この辺りで知らない人はいない有名人です」


 世良が語る奈那先輩は、俺たちの知る奈那先輩だ。この世界にはいない、俺たちの記憶の中の奈那先輩。


 つまり、世良の語る奈那先輩は、奈那先輩のお母さんの知らない奈那先輩。


 そんな話をしても、疑いが強くなるだけじゃないのか。

 そう思っていると、不意に声が聞こえてきた。


「友達は多かったのかしら?」

「私たちが友達です。でも、奈那先輩は、友達というより、ファンの人がたくさんという感じでしたね」

「そう。学校は楽しそうだった?」

「はい。楽しそうでした」


 奈那先輩のお母さんの声には、少しだけ元気が宿った。


「奈那先輩は、大食いでしたから、学校で誰もが食べられなかった月曜限定特盛定食を1人で食べきっちゃって、それでも有名でしたね」

「ふふ。あの子なら、やりそうね」


 奈那先輩のお母さんから、笑い声が漏れる。


「なるほど。あなたたちは、生きていた奈那を知っていると、証明したい訳ね」

「うっ。思惑がバレバレでしたか」


 なるほど。そういうことか。

 奈那先輩が生きていたという物的証拠はない。


 だが、俺たちには奈那先輩と過ごした記憶がある。それを聞いてもらって、信じてもらうという作戦か。


 とは言え、それがばれてしまえば、意味がなくなってしまうかも。


「いいわ。少しだけ、話を聞いてあげる。信じた訳じゃないけどね」


 と思っていたら、奈那先輩のお母さんは、少しだけ口調を和らげてそう言ってくれた。


「あ、ありがとうございます」


 それから少しして、奈那先輩のお母さんが玄関の扉を開けてくれた。


「一樹くんも入って」

「は、はい」


 奈那先輩のお母さんは、申し訳なさそうに笑って、中に入れてくれた。


 ◇◇◇◇◇◇


 今日は、奈那先輩のお父さんは仕事で留守のようで、家の中には奈那先輩のお母さんしかいないようだった。


「さて、それじゃあ、話してもらおうかしら。あなたたちが知る奈那について」


 奈那先輩のお母さんは、切なげに頬杖をついて言う。

 ただ、その表情には、少しだけ、期待が滲んでいるような気がした。


「はい」


 世良は、奈那先輩との出会いから始まって、遊びに行ったことや勉強を見てもらったこと、喧嘩したことなんかを話す。


 俺も、奈那先輩との出会いや親しくなった経緯なんかを話していく。


 黒内先輩は、俺たちと出会う前の、小学生の時の話や中学生の時の話をしていた。


 司は、そこまで長い期間、奈那先輩と過ごした訳ではないが、それでも奈那先輩が残した数多くの伝説について話をしていた。


 それらすべてに、奈那先輩のお母さんは、少しだけ相づちをうって、静かに聞いていた。


 ただ、俺が奈那先輩に告白したことは伏せておく。なんとなく。


「あと、この男。無謀にも、奈那先輩に告白してました」

「あらあら」

「うおい!」


 せっかく黙っておこうと思ったのに。


 恐る恐る奈那先輩のお母さんの方を見ると、奈那先輩のお母さんは、ニヤニヤと奈那先輩を彷彿とさせる笑みを浮かべていた。


 こういう所は、やっぱり親子なんだなと思う。


「あなたは、奈那の何処が好きなの?」

「うっ」


 そういう話になるよな。そりゃあ、当然。


 奈那先輩のお母さんは、からかうような笑みを浮かべているが、適当に流せるような雰囲気でもない。


 笑みの中にも、俺を推し測ろうとするような、そんな色が混ざっていた。


 正直、恥ずかしいが、素直に話すしか、ないんだろうな。


「最初は、他の人と同じで、すごく綺麗な人だなって思ってたんです」


 そう、前置きをする。


 目に止まったのは、何のことはない。

 ただ、綺麗だったから。


 多分それは、特別なことではなくて、ごく普通のことだったんだと思う。


 だから、最初にあった時、偶然とはいえ、知り合いになれたことが嬉しかった。


 こんな美少女と会話ができるというだけで、他の人より優位に立てたような気がしていた。


 ただ、それだけだった。


「でも、あの人は、いつも余裕そうで、何でも1人でできて、助けなんていらなそうな感じなのに、ふと悲しそうに笑うことがあったんです」


 絶対に人に弱味を見せない。

 そんな奈那先輩は、すごく気高くて、頼りになって、綺麗だった。


 でも、それは、自分の抱えている苦悩を、誰にも見せないようにするための鎧だったんだと、今ならわかる。


「だから、それに気付いたら、なんか、助けてあげたいなってなったんです」

「なるほど」


 奈那先輩のお母さんは、神妙な顔で頷く。 


「いわゆる、ギャップ萌えってやつね!」

「元も子もねぇ!」


 奈那先輩のお母さんの言葉に、思わずツッコミを入れてしまった。


 それが面白かったのか、奈那先輩のお母さんは、手を叩いて大爆笑だ。


「ふふふ。ごめんね。でも、あなたの気持ちはわかったわ。ふふ。口に出さなくても顔に嫌って程出てるわよね。奈那のことが好きだって」

「うっ」


 なんか、以前にも言われたような気がする。


 なんて考えていると、奈那先輩のお母さんは、不意に何かを思案するように眉を潜めた。


「どうかしましたか?」

「え? ああ、何でもないわ。でも、今の会話、何処かでもしたような気がして」


 それって。

 俺は無意識に世良の方を見た。世良も同じことを考えていたようで、目が合うと無言で頷いた。


 もしかしたら、このまま思い出してくれるかもしれない。

 何かもう一言、何かないか。


「あれ?」


 そんな時、不意にあるものに目がいった。


「これって」


 それを、俺は見たことがなかったが、それは、強く印象に残っているものだった。


「奈那先輩のお母さん。あれって、もしかして、奈那先輩への誕生日プレゼントですか?」

「え?」


 俺が指差したものを見て、奈那先輩のお母さんは驚く。


 俺が指差したのは青いカチューシャ。

 子供につけるような小さなものだ。


 少なくとも奈那先輩のお母さんがつけるものではないだろう。もちろん、奈那先輩のお父さんがつけるとも考えられない。


 奈那先輩が言っていた。


 子供の頃に願いを叶えた時、その時に使ったのは、青いカチューシャだったと。


 俺は現物を見たことはなかったが、その青いカチューシャで間違いないとそう思った。


「どうして知ってるの?」

「奈那先輩に聞きました。5歳の時に、ママから貰ったって」

「……そう」


 奈那先輩のお母さんは、小さく呟いた。


 そして、立ち上がると、その青いカチューシャの元へと歩いていく。


 青いカチューシャを手に取ると、慈しむようにそれを見つめていた。


「そうね。あの子にあげたのはそのくらいだったわね。子供の頃なのに、しっかりと歳も覚えているのはあの子らしいわ」


 そう言うと、奈那先輩のお母さんは、悲しげに少しだけ笑った。


「ママ、ね。そう。あの子、高校生になってもそう呼んでいたのね。可愛い子」


 寂しそうな声の中に、少しだけ嬉しそうな声音が混ざっている。


 俺たちでは、奈那先輩のお母さんが、この話をどういう気持ちで聞いているのか、想像することしかできない。


 それでも、奈那先輩のお母さんは、自分の娘が生きていたという話を聞けて、嬉しかったのだろうと、そう思った。


「あなたたちの言っていることは、何一つ信じられないし、そんなことはあり得ないと、今でも思うわ」


 奈那先輩のお母さんは、青いカチューシャを握りしめ、絞り出すように言う。


「でも、あなたたちがしようとしていることに、協力してあげることはできる」

「え? それって」


「ついてきて」


 俺たちは顔を向き合わせた。


 意図はわからないが、奈那先輩のお母さんに導かれるがまま、俺たちはある部屋に向かっていく。



 少し歩いた所で、俺は気付いた。


 その部屋は、おそらく世良や司ではピンと来ないだろう。

 だが、俺にはこの道筋がどこに向かっているのかすぐにわかった。


「奈那先輩の部屋だ」

「え?」


 扉の前で思わず呟く。


「やっぱり知っているのね」


 扉には特に何も書かれていない。

 他の部屋と見た目では何が違うのかはわからない。


 そんな感じだった。


 奈那先輩の部屋は、特に着飾ったものはなく、シンプルを好む奈那先輩らしい部屋だった。


「部屋まで来て、一体、中で何をやってたのかしらね?」

「な! な、なな、何もしてませんよ!」


 ニヤニヤと笑みを浮かべる奈那先輩のお母さんは、明らかに俺のことをからかっている。


 そんなこと、できるはずないと確信している顔だ。


 ああ、そうだ。

 この人はそういう人だった。

 すべてを見透かしたような目で、的確にからかってくる。


 それこそ、奈那先輩が可愛く思えるくらいに。


「ごめんごめん。まあ、冗談はこのくらいにして。入って」


 全く悪びれた様子のない奈那先輩のお母さんは、気持ちの込もっていない謝罪を口にして、部屋の扉を開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る