第41話

「私が病気になったのは6歳の時。原因不明の病で、わかっているのはこのままでは1年もしないで命を落とすということだった」


 奈那先輩は、昔の話を語ってくれた。


 ◇◇◇◇◇◇


 私が6歳の時、突然意識を失って、病院に担ぎ込まれたことがあったんだよ。


 病院で調べてみても、原因はすぐにはわからなかった。


 初めは、疲れからくる目眩で倒れたんだろうって、その程度だったんだ。


 でも、それは、その1回だけじゃなかった。

 短いサイクルで、私はよく倒れるようになってしまったんだ。


 それで流石におかしいと思ったママが、私を結構大きめの病院に連れていってくれたんだよね。


 そこで初めてわかった。

 私の脳に腫瘍ができていて、それがあちこちに転移しているって。


 それが原因で私は意識を失うようになっていたらしい。


 しかも、子供の細胞は活発だからって、その転移速度は、もう手のつけようがない程だったらしくてね、もって1年が限界だって、そう言われた。


 流石に絶望したよ。

 ああ、私はもう死ぬんだなって。


 私って子供の頃からこんな性格でさ。

 割と淡白に、ああ、短い人生だったなって。


 まあ、もちろん現実逃避もあったんだろうけど。


 私だって死にたくないとは思ってたんだよ。


 まだやりたいことだってたくさんあるし、ママやパパと会えなくなるなんて想像もできなかったし。


 でもね。子供ながらにわかってたんだ。

 現実はそんなに甘くないって。


 だから、未来の話は私にとっては吉報だった。


 だって、本当に神様のような存在がいるのなら、治る訳がない病気だって、簡単に治してくれると思ったからね。


 いる訳がないと、証明できないなら、それにすがりつきたいと、そう考えたんだ。


 あの神社を見つけたのは、偶然だった。


 図書館を回って情報を集めて、日本中の昔話を調べた。今の地図と昔の地図にある差異を探して、違和感のある所を調べた。


 それでも中々見つけられなかったんだけど、当てもなく歩いていた時、あの階段を見つけてね。


 あれだけ色々調べたのに、結局見つけたのは、ただの偶然ってオチだよ。

 私の推測は、ほとんどが間違っていた。


 ただ、そんなことはどうでもよかった。


 大事なのは、その龍神様が本物で、本当に何でも願いを叶えてくれる存在なのかということだけなんだから。


 それ以外はどうでもよかったし。


 初めて神社に入った時、ものすごい突風に襲われたんだ。

 普段では考えられないような突風に、これは本物なんじゃないかという私の期待は強まった。


 その時は、特に意識せずに無意識に頭を下げたんだけど、それで風が止んで、私は中まで入っていけたんだ。


 でも、神社の様子を見たら、少しがっかりしちゃったよ。


 古ぼけて、壊れかけて、ご利益なんてあるようには見えない神社。それを、見ちゃったら、そりゃあ、そう思うよね。


 お参りをしようにも、ご神体はどこにあるんだろうとか、そもそも何処に向かって願い事を言えば良いんだろう。とか、わからないことだらけだし。


 願いを叶えてくれる龍神様のことは聞いていても、どうやって願いを叶えてもらうのかは曖昧だったから、余計ね。


 仕方なく私は神社の回りを調べることにしたんだ。


 そこで見つけたのが、あの井戸。


 他に比べて、明らかに雰囲気が違ったから、これは何かあるんじゃないかと思ったんだけど、見てもあるのは満杯の水だけ。


 それに何の意味があるかはわからなかった。


 でも、そこ以外、違和感のある所はなかったから、途方にくれちゃったよ。


 そんな時のことなんだけど、階段を上って、汗をかいていたからなのか井戸を覗き込んでいる時に、汗でカチューシャが井戸に落ちちゃったんだ。


 ああ、しまった、と思って水に浮くカチューシャを取ろうとしたら、急に体が水の中に吸い込まれるみたいに引っ張られたんだよね。


 流石に驚いたよ。

 泳げない訳じゃないけど、それよりも、誰もいないのに引っ張られたことに驚いたんだ。


 でも、それが龍神様によるものだってことは、すぐにわかった。


「汝の願いを叶えてやろう」


 誰の声かわからない声に、私は瞬間的に、これが龍神様なんだと思った。


 本当にいたんだって思った。


 だから、かな。


 私はその時、凄く慌てて、思考も冷静じゃなかった。それに、早く言わないと、願いを叶えてもらえなくなるかもしれないって、よくわからない恐怖に怯えていたんだ。


 今、思えば、それだけ死にたくないって思いが強かったんだよね。


 ママやパパには、大丈夫だよって、笑顔を振り撒いて、奇跡が起こるかもしれないから頑張るって、割りきっていたと思ってたけど、全然そんなことはなかったよ。


 絶対に死にたくない。

 ママやパパともっとずっと一緒にいたい。

 未来とだって離れたくない。

 それに、ママやパパみたいに、いつか私も好きな人と巡り会いたいって。


 心の奥ではずっとそんなことを考えていたんだ。

 そりゃあ、そうだよね。


 これだけ龍神様にすがろうとしていたんだから、生への執着は凄まじかったんだろうね。


 だから、私は、間違った願いを口にしちゃったんだ。


「私は……、私は!」


 待ってくれていたんだと思う。

 龍神様は何も言わずに、私が願いを口にするのを。


 でも、その沈黙を、私は催促だと思ってしまった。


 だから、私は何も考えず、ただ、心にある言葉を、そのまま口に出したんだ。


「私は、死にたくない!」


 私の言葉の次に聞こえてきたのは、龍神様の声だった。


「願いを叶えよう」



 気が付いたら、私は井戸の近くで倒れていた。


 特に体に変わった所はなくて、さっきのは夢だったのかなと思って井戸を覗いたら、さっきまであった井戸の水がなくなっていて、私はやっぱり夢じゃなかったんだと思った。


 まあ、井戸の水を覗いた時点で夢だった可能性もあったんだけど、その時の私には、そこまで考えられる余裕はなくってね。


 私はすぐに家に帰って、ママに病院に行きたいって言った。


 当然、ママは何事かと焦ってすぐに救急車を呼んでくれた。


 いつもの病院に運ばれて、いつもの先生に体を検査してもらった。


 私としては、願いが叶っているのかを知りたかっただけなんだけど、それを言わなかったから、ママは本当に青ざめていたよ。


 パパもすぐ来るからって言って。


 あれは申し訳なかったな。

 でも、本当に、その時の私には他のことを考えていられる余裕はなかったんだ。


 そして、検査結果を持ってきた先生は、深刻な顔で、ママを診察室に呼んだ。


「先生! 奈那は、奈那は大丈夫なんですか!」


 本当に、病院中に響いたんじゃないかってくらいの大声でママが先生に言ったんだけど。


 先生は、深刻な顔のまま、こう言ったんだ。


「奈那さんの、脳の腫瘍がすべてなくなっています」

「……え?」


 シンとしたよね。


 私も何も考えられなくなって、先生が次の言葉を発するまで、私もママも何も言えなかった。


「いつもの検査をしてみたんですが、脳の腫瘍は何処にも見当たりません。何かの間違いかと思ったんですが、本当に何処にもないんです」

「そ、それは、つまり、ど、どういうこと、なんですか?」


 いつものママなら、何を言っているのか理解できない訳がない。

 でも、ママはもう一度先生に尋ねた。


 先生も信じられなかったんだろうね。

 半信半疑の様子は、ママとあまり変わらなかったから。


「事実だけをお話ししますと、奈那さんの脳にあった腫瘍が治っていたということです。理由はわかりませんし、信じられませんが」

「病気が治った、ということですか?」

「状況だけを考えれば、そうなります」


 先生の言葉に、先生自身が信じられなさそうだった。


「これから、より精密な検査をしたいと思います。何が起こったのかわかりませんし、これで関知したとも限らない。何か変異した可能性もあります」

「は、はい」


 ママがまた緊張しているのがわかった。


 まだ完治していない。

 その方が信じられたんだろうね。


 まあ、そうだよね。


 今まで、絶対に治らないと言われていたのが、今日、いや、今、いきなり治ったと言われても、信じられる訳がないし、どちらかというと、突然変異を起こして、いつもの検査では見つけられない病気に変わったと言われた方が真実味があるからね。


 でも、私だけは、もう大丈夫なんだって思ってた。


 だって、この病気が治ったということは、龍神様の力が本物だったってことでしょ。


 つまり、私の病気は、本当の意味で完治したってことになる。


 これから色んな検査をすることになるかもしれないけど、何の問題もないって、確信していたんだ。



 案の定、その日から数日間、色んな検査をしたけれど、私の体には何一つ悪い所がなかった。

 健康そのもので、病気をしていたことが嘘みたいに、跡形もなくきれいさっぱり、病気は治っていた。


 先生は、ずっと信じられなさそうで、ママとパパは泣いて喜んでくれた。


「これは、奇跡。と言うしかありませんね」


 先生の感想だよ。

 私以外のみんなが思ってたことだと思うけどね。


 ◇◇◇◇◇◇


「さて、ここまで話したけど、気になる所はあったかな?」

「えーっと、良い話ですね?」

「ふふ。ありがと」


 奈那先輩が生きててくれた。

 それは俺にとって紛れもなく良い話で、正直、そのくらいしか感想はなかった。


 だが、奈那先輩の求めていた回答とは違ったようで、奈那先輩は愛想笑いを浮かべて立ち上がった。


「ここで話が終われば、良い話、で終わったかもね。でも、そうはならない」


 そう言う奈那先輩の顔は、見るからに落ち込んでいた。


 普段、感情が読めない奈那先輩からは考えられないくらい、落ち込んでいるように見えた。


「さっきも言ったけど、私は願い事を間違えたんだよ」

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