第21話

 気付けば、空が白んできていた。

 思いの外、時間が経っていたらしい。


 しかし、不思議な力が働いているのか、こんな夜更けにも関わらず、特に寒く感じることもなかった。


 こんなにも時間が経っているとは気付かなかった程に。


 流石にそろそろ帰らないと、と思っていると、世良が井戸を見ながら難しい顔をしていることに気付いた。


「どうかしたのか?」

「うん。ちょっと、気になるんだけど、ここの水って、なんで満杯じゃないの?」


 確かに井戸の中には、何も入っていない。


 厳密には底までは見えないので、何かが入っている可能性もあるが、少なくとも水が満杯だったという状況を想像することはできなかった。


 だが。


「この井戸の水が満杯なのは、奈那先輩がずっと水を入れてたからであって、その奈那先輩がいないからこうなってるんだろ」


 この井戸の水を満杯にしようとしても、かなりの労力が必要だということは容易に想像できる。


 まず、あの長い階段が最大の難関だ。


 仮にバケツに水を入れて持ってきたとしても、それをもう1回というのはかなりきつい。


 奈那先輩の体力がどのくらいなのかは計り知れないが、それでも1日、2日でどうにかできるレベルじゃないし、下手したら何ヵ月も、いや、もしかしたら年単位でやっていたのかもしれない。


 それをやっていた人が消えてしまっているのだから、ここが空っぽなのも当然の話だ。


 雨で自然に貯まるにしても、この丈夫そうな屋根のせいで、そう簡単には雨水も入ってこないだろうし。


 しかし、俺の答えに世良は首を振る。


「そうじゃなくて、奈那先輩がいなくなったのって、病気が治らなかったから、でしょ?」

「ああ」

「でも、それなら、奈那先輩は龍神様に願いを叶えてもらってないってことでしょ? なら、ここの水はなくならないんじゃない?」


 世良の意見は確かにその通りだった。


 奈那先輩が子供の頃に願いを叶えてもらって、井戸の水が空になった。


 だが、子供の頃の奈那先輩の願いが叶っていないということは、井戸の水は使っていないということになる。


 ならば、井戸の水は満杯であるはず。

 その通り。


 だが、それについては、奈那先輩から聞いてる話があった。


「ここって、世界から隔離された場所みたいなんだよ。山の下とは少し違う、みたいな。だから、この空間だけは、他とは違ったルールが流れてるんだ」


 その1つが、井戸の水だ。


 この井戸の水は、例えば過去に戻りたいと龍神様に願った場合、本来、過去に行けば、井戸の水は満杯であるはずだが、実際には空になっている。


 連続で願いを叶えさせない、龍神様なりの配慮なのかもしれないが、そんな感じで、この空間では、不思議な事が起こりうる。


 だが、俺の説明に、世良はまだ納得していないようだった。


「それならやっぱりおかしいわ」

「何がだよ?」


 世良が何を言いたいのか、俺にはわからなかった。

 だが、そんな俺にイラついたのか、世良が少し強めの口調で言う。


「だって、井戸の水がないってことは、奈那先輩の願いは、やっぱり叶えられてるってことでしょ?」

「あ!」


 確かにその通りだ。


 黒内先輩は言っていた。


「な、治った、はず、です。龍神様に願いを叶えてもらえたって、奈那ちゃんが、よ、喜んでいましたから」


 つまり、奈那先輩の願いが叶ったということは、俺たちの前に奈那先輩がいた、あの記憶と同じ状況でなければおかしいということになる。


「それに、その後も、奈那先輩が、この井戸の水を満杯にしてたなら、今、井戸の水か空なのは、どっちにしてもおかしいわ」

「確かに」


 俺たちが記憶している奈那先輩は、自然に貯まっていた井戸の水で願いを叶え、病気が治っている。


 そして、その後も、奈那先輩は井戸の水を満杯の状態にしている。


 ということは、今、この井戸の水は満杯になっていないとおかしい。


 多少、蒸発していたとしても、これだけの量の水がそう簡単に空になることはないだろう。


 それはつまり、この井戸の水で、誰かが願いを叶えた、ということだ。


「奈那先輩じゃない、誰かが、願いを叶えたのか?」


 井戸の水がなくなる理由。

 それは誰かが願いを叶えたから。


 しかし、それは奈那先輩ではない。


 誰かはわからないが、黒内先輩のように、龍神様を知っている人が、たまたま願いを叶えたのか?


 いや、もしくは。


「あ」

「何? 何かわかった?」


 俺はある1つの可能性に気付いた。

 が、それはあまりにも信じたくない話だった。


「もし仮に、奈那先輩が満杯にした井戸の水を使って、子供の頃の奈那先輩の病気を治らなかったことにしてくれって願ったら?」

「え? それって」


 そうじゃないにしても、奈那先輩が、病気を治してほしいという願いを叶えられないように、何か、妨害することを願うことはできるんじゃないだろうか。


 奈那先輩が水を貯めてくれていた、なら、後は、満月の夜に青いものを井戸に入れるだけで願いを叶えてもらえる。


 そして、願いが重なり矛盾が発生した場合、後からの願いに上書きされる。


 その理屈で行けば、奈那先輩は願いを上書きされてしまうことになる。


 つまり、奈那先輩の病気が治らなかったということだ。


 それなら、奈那先輩が消えてしまった理由も、一応の説明はつく。


 しかも、奈那先輩の病気は自然なもので、本来治らないものだ。

 直接、人の命を奪うような願いではないから、ルール違反にも当たらないだろう。


「つまり、誰かが、あえて奈那先輩を消した可能性があるってことだ」

「そんな!」


 世良は驚愕する。俺だって同じだ。


 まさか、誰かが故意的に奈那先輩の存在を消した可能性があるなんて、全く想像もしていなかったから。


 だが、この井戸の水がないという事実を、そして、奈那先輩が消えてしまった理由を、両方説明できる理屈は、俺にはそれしか思い付かなかった。



 世良は驚き、そんな訳ないと、言いたかったのだろう。


 しかし、それを言うこともできないでいるようだった。


「まあ、何か他の要因でこの井戸の水が勝手に枯れた可能性もある。けど」

「その可能性は十分に考えられるってことね」


 俺は無言で頷く。


 この井戸の水がないという事実は、その可能性を示唆するものだ。

 可能性が捨てきれない以上、その可能性も頭に入れて考えなくてはならない。


 奈那先輩が、誰かの恨みを買うとは思えないが、こればっかりはなんとも言えない。


 世良は少し落ち込んでいるようだ。


 まあ、奈那先輩が誰かに存在を消されたのかもしれないなんて可能性が出てくれば、ショックを受けるのは仕方ないだろう。


「この話、黒内先輩には?」


 こんな話を黒内先輩にしたら、世良以上にもっとショックを受けるだろう。


 推測の域をでない話だし、黒内先輩には秘密にしておくべきだろうか。


 しかし、奈那先輩と再会するためには、この可能性も共有しておかなければならない気もする。


 俺はどうするべきか頭を悩ませた。


 だが、結局は、言わなければならないだろうという結論にしか行き着かない。


「その可能性もあるって、話だけはしないといけないかもな」

「そう、よね」


 重苦しい空気が流れる。

 なんとも言えない雰囲気に、俺も世良も、深い溜息を漏らした。


 しかし、そのまま立ち尽くしている訳にもいかないので、俺たちは神社を後にしたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 家に帰ると俺の親も世良の親もまだ寝ているようで、こんな時間に帰ってきたことをとやかく言われることもなさそうだ。


 まあ、後でなんやかんや言われそうだけど、それでも普通に寝ているあたり、そこまで気にされてはいないらしい。


 とりあえず、世良と別れた俺は、自分の部屋に入り、そのままベッドに倒れ込んだ。


 寝ていないから当然だが、もう瞼が重くて仕方がない。

 それに、考えなければならないことも多すぎて、頭の中はオーバーフロー状態だ。


 少しは寝ないと何もできない。


 そう結論付けて、俺は意識を手放した。


 ◇◇◇◇◇◇


「……んん?」


 ほとんど時間が経っていない気がするが、鳴り続けるスマホに目を覚ました。


 時計を見ると、10時を過ぎているぐらい。

 まあ、少しは眠れたか。


 体を起こし、未だに鳴り続けるスマホを手に取る。

 画面には司の名前。


「こんな時間に電話?」


 まあ、もうすでに朝も遅い時間だが。

 それでも、司からこんな時間に電話が来るのは珍しい。


 約束でもしていたかとも思ったが、特にそんな約束をした覚えはない。


「もしもし?」

「やっと出たか!」


 不思議に思いながらも電話に出ると、いきなり司の大きな声が聞こえてきた。

 耳が痛くなるぐらいの。


「声が大きい」

「あ、悪い。いや、でも、早く連絡しないとと思って」


 司の声は、かなり切羽詰まっているように聞こえる。


「どうかしたのか?」


 何か事件にでもでも出くわしたのかと尋ねると、司はやけに真剣な声で、いや、と囁いた。


「じ、実はな」

「……なんだよ?」


 もったいつけるような口調に、俺はもう一度尋ねる。


「お、俺」

「ああ」


「奈那先輩のこと、思い出したんだ」

「え?」

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