第18話

「今、何時だと思ってるの?」 

「8時、です」


 黒内先輩と別れ、俺は急いで世良の家に向かった。

 と言っても、世良の家は俺の家のすぐ近くなので、家に帰るのとほとんど同じなんだけど。


 世良の家のチャイムを鳴らすと、おばさんが出てきて、いつもの通り快く中に入れてくれた。

 まあ、俺と世良の仲だし、こんな時間に行き来するのも珍しいことじゃない。


 ただ、部屋の中で待っていた世良の纏う空気は、いつものものとは全然違うものだった。


 ノックをして、中から帰ってきた声は、どうぞ、という簡素なもの。


 中に入っても、世良は椅子に座ったまま、こちらを見ようとせず、腕を組んで、足を組んで、見るからに不機嫌です、と語っているようだった。


「こんな遅い時間に、女の子の部屋を訪ねるなんて、あんた、変態なんじゃないの?」


 開口一番にそんな調子だ。


「いや、それはもの申すぞ。お前、前、明け方の4時くらいに俺の部屋に入ってきたことあっただろ。あの日、めっちゃ眠かったんだからな」

「そんなことより、何しに来たのよ?」


 こいつ。

 この言い合いは不利だと判断したのか、早々に話を切り替えてきやがった。


 まあ、俺も、こんなことで言い争う気はさらさらないんだけど。


「奈那先輩に会いたいからだよ」


 はっきりと言う。


 それでやっと世良はこっちを向いた。


「ふーん」


 しかし、世良はただそう言うだけ。

 興味なさげで、それ以上、何かを言う気配はない。


 これはやっぱり、それだけ怒っているってことだよな。


「俺から誘っておいて、いじけてたのは謝るよ。でも、俺はやっぱり、もう一度、奈那先輩に会いたいんだ」


 世良が怒っているのは、そのせいだと思ったから。


「私が嫌いな人って、覚えてる?」

「ああ、すぐに諦める人、だろ」


 案の定、世良の問いかけはその通りのものだった。


 すぐに諦める人。最初から諦めている人。

 そういう人が世良は大嫌いだった。


 そして、それは、この前の俺にも言えることだ。


 勢い勇んで奈那先輩を探し始めて、自分に都合の悪い話が出てきたら、すぐに奈那先輩を探すのを諦める。


 世良が一番嫌いな人。


「少しは、自覚したのね」

「まあ、な」


 この前の俺なら、自分が諦めただとか、不貞腐れているだとか、そんなことは考えてなかった。

 いや、考えようともしなかった。


 だからこそ、俺は世良が何怒っているのかわからなかったんだ。


 いや、それも、本当はわかっていて、しかし、それも都合が悪いからと目をそらしていたんだろう。


 世良の冷たい目が、それを自覚させてくれる。


「みっともない姿を見せて悪かった」


 俺は頭を下げた。


「でも、もう、俺は諦めない。例え、何があろうと、俺はもう一度、奈那先輩を見つけるまで、諦めない。いや、なんなら、見つけても諦めない。一度フラれたからって、諦めなくちゃいけない理由なんてない。俺は何度でも奈那先輩に告白する。絶対に、絶対にだ」


 一気に捲し立てた。

 言いたいことは言った。


 女々しくても、カッコ悪くても、俺は奈那先輩を諦めたくなかったから。


 それに、奈那先輩のお母さんが教えてくれたじゃないか。


 奈那先輩は押しに弱いって、何度も何度も食らいついて、絶対に諦めない。奈那先輩と付き合うには、それくらいの覚悟が必要なんだ。



 俺の言葉に、世良は黙ったままだ。


 俺は恐る恐る顔を上げる。


 すると。世良は冷たい目こそしていなかったものの、呆れてものも言えないというような顔をしていた。


「あんたは、ほんとに。はぁ。目的変わってんじゃないの」


 言われて気付いた。

 確かに奈那先輩を見つけるのが目的じゃなくて、奈那先輩と付き合うのが目的みたいになってる。


「いや、べ、べべ、別に、よ、邪な考えはないぞ」


 奈那先輩を助けて、好感度アップなんて考えてなかった。本当に。

 今思い付いたくらいだ。


 あ、それいいかも。なんて。


「そんなに、焦ってたら、逆に疑うでしょうが」

「ほ、ほほほ、本当だって」


 さっきよりも声が上擦る。

 頭に浮かんでしまった作戦を悟られないように意味もなく手をばたつかせて、自分でも馬鹿みたいだが。


 世良は半目で睨んできて、そして、フッと笑った。


「ほんと、馬鹿みたい」


 世良の笑顔を久しぶりに見た気がする。

 この前までは顔も合わせていなかったし、偶然見かけても、世良はムスッとした顔を見せるだけだった。


 久しぶりに見たその笑顔に、俺は少しだけ安心する。


「でも、この前のあんたは本当に私の一番嫌いなタイプだったわよ」

「うっ。それはわかってるって」

「ほんとにぃ?」


 全く信じていない顔。


「まあ、後は行動で示すよ。今何か言った所で、説得力ないしな」


 ついこの前まで、無気力で諦めムードだった俺が、少し立ち直ったからって、それで信じてもらえるなんて流石に考えが甘いだろう。


 だからこそ、俺はそれを行動で証明しなければならない。


 俺の顔を見つめる世良は、何かを探るように真っ直ぐ俺の目を見つめていた。


「あんたは、そのくらい、馬鹿な方がいいのよ」

「馬鹿って。お前なぁ」

「それにしても、もしかしたら、本当に来ないかもって思ってたけど、よく来たわね」


 文句を言おうとした俺を無視して、世良が言う。背中まで向けて、その話はもう聞かないという意思表示なんだろうけど。


 まあ、しかし、確かに世良の言う通りだった。

 俺はもしかしたら今日、世良に家に来ることなく、奈那先輩のことを諦めていたかもしれない。


 それをしなかったのは、多分、

「黒内先輩のおかげかな」

「……へー? なんで、そこで黒内先輩が?」


 少し不機嫌そうに世良が尋ねる。

 なんか、また、怒ってる気がするが、とりあえず、質問に答えておく。


「実はさっき、偶然、黒内先輩と会ってな。それで……」


 黒内先輩の決意は、俺にはない強さがあって、見た目からは想像できないくらいにかっこよくて、それに、俺は当てられたんだと思う。


 俺の説明に、世良は何処か照れ臭そうにしていた。


「ちゃんと会えたんだ」

「ん? 何か言ったか?」

「別に。運が良かったわね。そんな所に黒内先輩がいたなんて」


 世良は顔を背けて言う。


「まあ、そうだな。そういえば、黒内先輩が今日のこと、世良に聞いたって言ってたな」

「え? まさか、全部聞いたの?」


 弾かれたように振り向く世良は、徐々に顔を赤くしていって、口をパクパクとさせていた。


「いや、全部って、ただそう聞いただけだよ」

「そ、そう。よかったわ」


 世良はホッと胸を撫で下ろしてまた椅子に座ったのだが、少し怪しい。


 というか、よくよく思い出してみれば、黒内先輩は俺を見つけて声をかけてきてくれたが、性格的に、もう少し躊躇があってもおかしくなかったような。


 いや、それは偏見かもしれないけど、それよりも、黒内先輩はあの時、買い物か、という問いに、曖昧な答えを返していた。


 しかし、結果的にはただの買い物だった。


 どうして、あそこで曖昧な答えになったんだろうか。


 例えば、買い物の他にも目的があったとしたら。そして、それが、俺に会うということなら。


 それを依頼したのは。


「深く考えてんじゃないわよ」

「うおっ」


 急に接近してきた世良の顔に驚く。

 ブスッとした半目で睨んできて、何かとてつもない威圧感を感じる。


「わ、わかった、わかったって」


 ここで世良に逆らうのは危険な気がする。

 俺は素直に頷いた。


 世良はジッと俺を見て、なんとか信じてくれたようで顔を離した。


「それに、今日は、別にあんたに活を入れるためだけに呼んだんじゃないのよ」

「え? そうなのか?」


 てっきりそうだと思ってたんだけど。


「まあ、それが1番の理由だけど、最大の理由ではないわ」

「んん? どういうことだ?」


 とんちか?


「まず、あんたがここに来ないことには始まらない話があるのよ」

「俺が?」

「まあ、厳密に言えば、別にあんたがいたからって訳じゃないんだけど」

「さっきから、何言ってるんだ?」


 要領を得ない。

 何が言いたいのかわからないでいると、世良がスマホの画面を見せてきた。


 それはアプリの地図で、ここから少し離れた場所にある神社が表示されていた。


「ここは?」

「前に、奈那先輩との記憶を思い出した時に、神社みたいな場所にいたって言ったでしょ?」

「あー、あったな」


 あれは確か、司の提案で奈那先輩との最後の記憶を思い出そうとしていた時のことだ。


 俺は奈那先輩の泣き顔を思い出していたが、世良は俺たちが何処かの神社にいる場面を思い出していた。


 その時は、何処の神社なのか思い出せないって言っていたけど。


「もしかして、思い出したのか?」

「ええ、そう。この前、あんたに話しかけた時にね」


 だから、こうして今日、ここに来るように言ってきたのか。


 時間制限は、俺に活を入れるためで、それで俺が立ち直ったら、こうして協力してくれようとしていたってことか。


「ありがとな、世良」

「は? い、いきなり、何よ?」


 世良は照れたように声を荒げる。顔も少し赤い。


「いや、やっぱり俺は世良にも助けられてるんだなって思って」

「ふ、ふん。その自覚があるなら、少しは私を崇めることね」

「はは、善処するよ」

「それ、できないフラグよ」


 そんな軽口を叩きあって、俺たちはどちらからともなく笑いだした。

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