第15話
「どうしたのかな? 後輩くん」
奈那先輩との記憶が、出会ってからの記憶が、頭の中を駆け巡った。
気付けば、奈那先輩は心配そうに俺を覗き込んでいる。
そんな奈那先輩を見て、俺は改めて思い知った。
「俺、奈那先輩に、フラれたんですね」
俺の発言に、奈那先輩が驚き、そして、悲しそうに目をそらした。
「そこまでは思い出したみたいだね」
「……はい」
奈那先輩は、気まずそうに言う。
俺だって気まずい。
さっきまで普通に話せていたのが嘘のように、俺と奈那先輩の間には、重い空気が流れた。
どちらも口を開かず、何を言えばいいのかわからない。奈那先輩はどうなのかわからないが、少なくとも俺はそうだった。
しかも、フラれた後の記憶は何一つ思い出していないから、なおさら質が悪い。
せめて、その後で、俺がどんな風に奈那先輩と接していたのかがわかれば、少しは話しやすいと言うのに。
それに、奈那先輩が深刻そうにしているのも、正直不気味だ。
以前に告白されていた時は、断った後も、特に気にした様子はなく、あっさりとしていたというのに、今の奈那先輩は、まるで断ったことを後ろ暗く思っているようだ。
いや、しかし、これは俺の夢の中のはず。
夢の中にしては、リアルすぎるし、奈那先輩が自由すぎる気がするが、それでも、これは俺の夢の中のはず。
なら、奈那先輩が後ろ暗く思うようなことは何もないはず。だって、これは俺の夢なんだから。
俺の視点で、この夢は進んでいるはず。
なのに、奈那先輩がこんなに気まずそうにしているのは、
「君が、こんな私を見たことがあるから、かもね」
「え?」
俺の疑問に答えたのは、奈那先輩だった。
まるで頭の中を読まれたような答えに、俺が驚いていると、奈那先輩は困ったように笑っていた。
「じゃなかったら、君は私のこんなしおらしい姿が見たいんだろうね」
それは見たいかも。
いや、今見れてるんだけど。
「ふふ。趣味が悪いね、君も。でも、それは私が否定するよ。君は、こんな私を見たことがあるんだ」
奈那先輩は、俺から一歩離れて言う。
「君は、私に告白をした。私はそれを断った。君が覚えているのは、思い出したのは、そこまでだよね?」
「はい」
奈那先輩は、ふふ、と気弱そうに笑う。
いつもの余裕な笑みは、面影もなかった。
「なら、その先は私が教えてあげるよ」
「その、先」
「君からの告白を断ってから、私と君は、もう会わなくなったんだよ」
「……え?」
耳を疑う。
俺が、奈那先輩と会わなくなったなんて、考えられなかった。
しかし、奈那先輩の話は続く。
「まあ、君も、私も、人並みだったってことかな。フッたフラれたの関係で、今まで通りとはいかなかったんだよ」
「それ、は……」
人並みだった。そう言われてしまえば、そうなのかもしれない。
今の俺なら、1回で諦めたりなんかしないと言い切れる。
だが、記憶にもないことを証明することはできないし、実際に体験した覚えのないことを断言できる訳もない。
「だから、君と私は、それからずっと疎遠だ。私が君の前から姿を消したのは、その時だよ」
「で、でも、奈那先輩は、存在が消えたんですよ?」
「そうだね。でも、それは、君とは無関係だ」
「っ!」
無関係。
その言葉が俺の心に重くのしかかった。
「私が消えた理由は、君の預かり知らない部分だよ。だから、私にも何も言えない。だって、これは君の夢だから。でも、ここまで思い出しても、私が消えた理由を思い出せないのは、その証拠になるんじゃないかな?」
何も言い返せなかった。
言い返したかったのに、俺の夢の中でさえ、俺は奈那先輩を言い負かせることができないのかよ。
だが、それは、奈那先輩の言っていることが正しいという証明になりそうで、俺は何も言えず、口を閉ざすことしかできなかった。
「君は、運悪く、中途半端に思い出してしまったんだね。だから、私に会いたいなんて思ってくれたんだろうけど、でも、残念。君と私の縁はもう、切れちゃってたんだよ」
「そ、んな、こと」
「ないって言い切れる? 無理だよね」
奈那先輩の顔が間近に迫る。
その瞳からは目をそらすことができない。
反論の言葉がでない。目をそらしたくてもできない。否定できる根拠が何もない。
「これは君の夢だよ。君の願ったことか、君が体験したこと。それだけが見える世界なんだ」
奈那先輩の顔が霞んでいく。
まるで夢から覚めようとしているように。
「君が私を思い出したのは、本当に運が悪かった。でも、もう大丈夫。何も気にせず、普通に過ごしなよ」
そんなこと言われたって。
口に出そうとしたのに、言葉が出なかった。
夢の中ではよくあることだ。
走っても走っても前に進めないような感覚。
どれだけ口を動かしても言葉が出てこない、ままならない。
そうこうしている内に、奈那先輩の姿がほとんど見えなくなる。
残るのは、奈那先輩の、声だけ。
「それと、恐らくだけど、そもそも私が消えたのは、自然の摂理なんだよ」
「龍神様は、願いを叶える存在じゃない。望むがままに夢を見せる存在なんだよ」
「私は、自分の病気が治ったという仮定の世界の夢を見ていたんだ。その夢に連れてこられたのが君たちだ。そして、時が来て、それはなかったことにされた。夢見る時間は終わりだってね」
「だから、そもそも私の病気は治っていない。これは、本来の姿に戻っただけなんだよ」
「だから、君が気に病む必要はないし、助けるなんてお門違いなんだよ。わかるかな?」
「まあ、気にさえしなければそのうち忘れるよ。他のみんなにもそう伝えてね」
もう奈那先輩がどこにいるのかもわからない。
上から聞こえてくる気がするし、横か、聞こえてくる気もする。
右か左か、すれすらも何もわからない。
「まあ、私との出会いはすべて夢だったんだ。ただ、それだけだよ」
奈那先輩。
そう叫ぼうとしても、声は音にならなかった。
そして、それを最後に、俺の視界は真っ白になった。
◇◇◇◇◇◇
「奈那先輩っ!」
「きゃあ!」
やっと声が出た。体も起き上がる。
手を伸ばすこともできる。
しかし、そこにはすでに奈那先輩の姿はなくて、代わりに目の前には、世良の驚いた顔が間近まで迫っていた。
「え? せ、ら?」
状況が飲み込めず、呆然としていると、世良の加尾が真っ赤に染まっていく。
「な、なな、な」
わなわなと震える世良は、うまく言葉にできないようで、言葉にならない何かを呟き、キッと俺を睨む。
そして、
「何するのよっ!」
「ふべっ」
強烈なビンタを繰り出してきたのだった。
◇◇◇◇◇◇
世良のビンタにまたしても気を失いかけた俺だったが、なんとか堪えて、今度こそ、ゆっくりと起き上がる。
すると、周りに世良、司、黒内先輩が、俺を取り囲むように立っていた。
どうやら、俺はベンチで横になっていたらしい。
「やっと起きたのね」
「いや、誰のせいだよ」
長い夢を見ていた気がするが、それでも意識を失う前のことは覚えている。
俺は世良のラリアットを食らって気絶したのだ。
それはもう、痛いなんてもんじゃなかった。
一瞬、死んだかと思ったぐらいだ。
未だに顎に強烈なダメージが残っている。
「ふ、ふひ、ひ。よ、よかった、です。も、もしかしたら、永眠されてしまったのかと、思いました」
「黒内先輩。かなり心配してましたよね」
黒内先輩は優しいな。
司もホッとしているようだし、思いの外、長く眠っていたのかもしれない。
「そ、それは、だって、ひ、人が一回転するなんて、み、見たことなかったですから」
「どんだけの破壊力だったんだよ!」
ラリアットで、人が一回転するなんて、漫画の中だけの表現だと思ってた。
「そ、そんな訳ないじゃない! 精々、半回転くらいよ」
「いや、それでも十分だよ!」
黒内先輩が言う通りでも、世良の言う通りでも、俺にしたら十分すぎるよ。
要領を得ない2人を放って、とりあえず、司にも事情を聞いてみると、別にそれほど吹き飛ばされた訳ではないらしい。
まあ、傍目からしたら、それくらいのインパクトがあったのは事実らしいが。
ともかくそれで伸びてしまった俺を、3人で近くのベンチまで運んできてくれたらしい。
俺が気を失っていたのは、だいたい5分程。
思っていたより時間は経っていなかったようだ。
それでも、完全に気を失っている俺を前にしての5分は中々長かっただろう。
まあ、基本的には世良のせいなんだが。
きっかけが俺なので強くは言えないが。
「まあ、でも、そのお陰なのかな」
夢の中の話でも、俺は奈那先輩とのことを大分思い出すことができた。
「え? 何、きもい」
「何を勘違いしてるのかは聞かないが、全然違うぞ」
白い目で見てくる世良を受け流し、俺は今見た夢のことをみんなに説明した。
◇◇◇◇◇◇
「なるほどね。そんな夢を」
すべてを説明し終えた後、世良は静かに呟いた。
「り、龍神様が、ゆ、夢を見せるだけの、存在なんて、し、信じられません、けど、奈那ちゃんが、言うなら」
黒内先輩は、基本的には話を信じてくれたようだ。
「いや、黒内先輩。それを言ってたのは、一樹の夢に出てきた奈那先輩なんで、奈那先輩本人が言った訳じゃないと思いますよ」
司は、あくまで夢の中の話だと割りきる。
三者三様の反応。
別に誰の反応が正しいという訳でもないが、どの反応も間違ってはいないだろう。
ただ、3人が最も気になったのは、おそらく共通だ。
「奈那先輩が消えたのは、自然の摂理、ね」
代表して言葉に出したのは、世良だった。
「一樹の話を信じるとして、それと、奈那先輩の推測が正しいと仮定するなら、その通りなのかもしれないけど」
龍神様は、夢を見せるだけの存在で、奈那先輩の病気が治った、という夢をずっと見させられていただけ。
奈那先輩がこうして今、いなくなってしまったのは、その夢が終わってしまったから。
奈那先輩の言う通りなら、そういうことになる。
「まさに、胡蝶の夢、ね。私たちが覚えている記憶が現実なのか、それとも夢なのか。はたまた、今が夢の中で、あの記憶が現実なのか。それを証明することはできないわ」
奈那先輩の存在が、俺たちの記憶が、曖昧なものになる。
覚えているから存在する。そう決めつけていた俺たちにとって、その話は、まさに根底を覆すような話だった。
「で、でも、それって、つまり、えと、ど、どういうこと、なんですか?」
「つまり、黒内先輩たちの記憶は、龍神様が奈那先輩に見せていた夢の一部ってことです。奈那先輩の話を信じるなら、先輩たちは、奈那先輩の夢の中の登場人物。そして、その記憶は、現実の先輩たちにも、共有されていたということですね」
司が説明して、黒内先輩はやっと理解できたようだ。
「で、でも、そうなると、奈那ちゃんは、さ、最初から、病気なんて、な、治ってなかったって、ことですか?」
「そうなりますね」
「わ、私たちが、見ていた、奈那ちゃんは?」
「それこそ、ただの夢、ですね」
黒内先輩の顔が絶望の色に染まる。
それはそうだろう。
いなくなった幼馴染みを探そうとしていたら、それは実は間違いで、幼馴染みと一緒にこれまで生きて来たことの方が夢だったのだと言われれば、そういう反応になるのも仕方がない。
俺だってそうだ。
ずっと会いたいと思っていた奈那先輩は、本当は夢の中で会っただけで、現実には会ったことがないなんて、信じられなかった。
「それで、これからどうするの?」
そんな中、世良は俺に問いかけてきた。
世良は真剣な顔で、その質問に、司や黒内先輩もこちらを見る。
「どうするって……」
俺は答えあぐねた。
元々、奈那先輩がいなかった。奈那先輩は夢の中だけの存在。
だとしたら、俺にはどうすることもできない。
死んだ人間を生き返らせることなんてできないし、過去をどうにかすることだってできない。
なら、どうするも何も、何もできることはないじゃないか。
これまでみたいに、龍神様について調べたって、もう答えは出てしまっている。調べるべきこともなくなってしまった。
これまでみたいに記憶を辿ったって、思い出すべきことは思い出してしまっている。
それに、俺と奈那先輩の繋がりは、もう。
「やる気はないみたいね」
俺の心を読んだように、世良が溜息を漏らす。
「あんたにやる気がないなら、私は何も言う気はないわ」
吐き捨てるように
「え、えっと、希沙羅、さん?」
「黒内先輩はどうするんですか?」
「え? え?」
世良は、次に黒内先輩に質問する。
いきなり質問された黒内先輩は、驚きながらも少し考え、答えを出す。
「わ、私は、も、もう少しだけ、龍神様について、調べてみようかな、と、お、思います」
黒内先輩は、奈那先輩が言っていた龍神様の正体について、まだ半信半疑といった様子だ。
おどおどとしながらも、その目には強い決意が込もっている。
世良は小さく、そうですか、と呟き、同じ質問を司にも尋ねる。
「俺は元々、一樹の手伝いをしてただけだから。別に続ける理由もないかな」
「そうよね」
そこで、話が一度途切れる。
「今日はもう帰りましょう。このまま遊べる雰囲気でもないし」
「そうだな」
まだ日は高かったが、俺たちの間に流れる雰囲気はかなり重い。
世良が言うのももっともだろう。
だが、俺たちが纏う雰囲気は一人一人全く別のものだった。
世良は不機嫌そうに。
司はどうすればいいかわからないように。
黒内先輩は何やら決意を決めたように。
そして、俺は、何も考えられずに。
そのまま会話の声も1つもなくて、俺たちは自然と解散する形になった。
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