第12話
それからしばらくして、俺は偶然、奈那先輩が告白される場面を目撃してしまった。
相手は奈那先輩と同じクラスの男子。
名前は知らないが、結構なイケメンで、バスケ部のエースらしい。
まあ、あれだけの男子でも、奈那先輩に比べれば見劣りしてしまうのは仕方ない。
だが、この学校の中でなら、奈那先輩に相応しいのは、あんな男子なのだろうけど。
離れればいいものを、結果が気になって、俺はそのまま覗き見をすることにした。
「ごめんね。君とは付き合えないよ」
はっきりとした答え。
告白した男子は、がっくりと肩を落とし、潔く去っていった。
不謹慎だとは思いながらもホッとしていると、奈那先輩がこちらに向かってきた。
俺は慌てて近くの茂みに隠れる。
奈那先輩は、気付かずに俺の前を通りすぎて、
「覗き見は趣味が悪いなぁ」
くれることはなかった。
奈那先輩の笑みは、どういう意味の笑みなのか、読み取ることは難しい。
普通に考えれば、覗き見なんてされれば、怒っていてもおかしくないのだが、そうとも言えないような雰囲気もある。
というより、あえてわからなくなるような表情をしているのかもしれない。
「ごめんなさい。つい魔が差して」
俺は素直に謝るしかなかった。
言い訳なんて奈那先輩には通じないだろうし、万が一気にしていなくても、やはり覗き見は誉められたことじゃないだろう。
「んー? 謝るだけかな?」
「……え?」
奈那先輩は、何やら良からぬことを企んでいるような、そんな悪い顔をして、俺を見ていた。
あ、これは、まずい。
そう思った時にはもう遅い。
「じゃあ、後輩くんには、罰として、今日は私の荷物持ちになってもらおうかな」
◇◇◇◇◇◇
「ふー。買った買った。後輩くんがいてくれて助かったよ」
奈那先輩との買い物。
本来なら、喜ばしいことなのだが、奈那先輩との買い物はかなりきつかった。
まず、買う量が半端ない。
主に食材だが、誰がこんなに食うんだという量の食材だ。
何処かのクラスに給食でも作りに行くのかな、と思った程だ。
業務用の食材というのを、俺はここで初めて見た。
「これ、どうするんですか?」
「ん? もちろん、私が食べるんだよ」
「この量を?」
「うん。まあ、家族で食べるんだけど、ほとんどは私かな。だから、私が買いに来たんだよ」
何でもないことのように言う奈那先輩。
だが、この量は、規格外過ぎるだろ。力士でも1人では食えないんじゃないか。
いや、1日で食べる訳じゃないとわかっているが、それでも、これは。
これを食べきれる光景を、俺は想像できなかった。
「そうだ。罰とは言え、ここまで付き合ってもらったんだから、お礼をしないとね」
奈那先輩は突然そんな提案をしてきた。
奈那先輩の思い付きには、もう慣れてきたが、今回の提案は俺にとって嬉しいものだった。
「今日は私の家でご飯をご馳走するよ」
「え? そんな、悪いですよ」
「いいからいいから。どっちにしても、その荷物は私の家まで運んでもらうんだからね」
断ろうにも、強引に俺の手を引く奈那先輩には逆らえず、結局、奈那先輩の家に上がることになってしまった。
◇◇◇◇◇◇
「な、な、な、奈那が、奈那が男を連れてきたー!」
「な、な、な、何ぃ!」
家にお邪魔すると、俺を見た奈那先輩の両親は、どったんばったん、と音を立てて、まるで昭和の漫画のような反応で驚いた。
お父さんの方なんて、完全に腰が抜かしている。
奈那先輩の両親だから、物静かな雰囲気の家庭なのかと思っていたけど、全然そんなことはなかったみたいだ。
むしろ、ここまでのオーバーリアクションに俺の方が驚いている。
「大袈裟だよ。私だって、男友達の1人、いるに決まってるでしょ」
奈那先輩は、呆れたように言う。
感情が露になった呆れ顔は、普段、学校では見られない、ある意味、油断しきった表情だった。
「だって、あなたが未来ちゃん以外の友達を連れてきたことなんてないじゃない」
「それは、偶々だよ。そんな話になる友達がいなかったってだけ」
「な、奈那、その男は、友達、なのか? 本当に? ま、まさか、か、彼氏とか、なんじゃ?」
「違うよ。後輩くんは後輩くん。私の大事な友達だよ」
奈那先輩と両親の会話は、普段見ている奈那先輩よりも、ずっと柔らかくて、やっぱり家族なんだな、と思った。
話し方や言葉遣いは、いつもの奈那先輩と変わりないのに、やっぱり俺と会話している時とは、全く違う。
それが俺には新鮮で、それが見れただけでも、今日ここに来てよかったと思えた。
「後輩くん、ごめんね。さっさと私の部屋に行こうか」
「へ、部屋にぃ! だ、駄目だ! それはまだ早い!」
「リビングにいたら、パパが後輩くんに質問攻めにするでしょ?」
「ぐっ」
何も言い返せなくなった父親を背に、俺は奈那先輩に連れられて、奈那先輩の部屋に向かった。
その間、ずっと、奈那先輩のお父さんの恨めしそうな視線を感じながら。
「やれやれ。ごめんね。うるさい父親で」
部屋に入るなり、奈那先輩がそう言った。
「いや、全然、大丈夫です。むしろ、ありがとうございます」
レアな奈那先輩が見せてもらえて。
「え?」
奈那先輩がキョトンとする。
しまった。心の声が漏れてしまった。
「あー、えーっと」
どう言い訳しようかと唸っている俺に、奈那先輩は不思議そうに首を傾げながらも、特に気にした様子はなく立ち上がる。
「さて、私は、夕食の準備にでも行こうかな」
「え? 奈那先輩が作ってくれるんですか?」
「うん。そうだよ。だって、荷物持ちをしてくれたお礼なんだからね」
奈那先輩の手料理。世の男子たちが聞けば、さぞ羨ましいだろう。
奈那先輩は髪を後ろで束ねて、ポニーテールを作る。
いつもと違う髪型に、俺は胸が高鳴った。
「じゃあ、少し待っててね。あ、特に見られて困るものはないから、適当に寛いでてよ」
それだけ言うと、奈那先輩は部屋を出ていった。
しかし、適当に寛いでてと言われても、何をしていればいいのか。
見られて困るものはないからと言っていたが、だからって、勝手に物色するのはまずいだろう。
やはり、ここは何もせずに大人しく待っている方が無難か。
「ん?」
黙って座っていると、部屋の戸が開いていることに気付いた。
「んん?」
しかも、その後ろには誰かがいる気配がある。
というか、微かに体が見えてる。こっそりとこっちの動きに耳を澄ましているようだ。
「えーっと、あのー」
「あら? 気付かれちゃった?」
流石にスルーできなかったので、声をかけると、あっさりと奈那先輩のお母さんが姿を現した。
奈那先輩のお母さんは、奈那先輩みたいに、俺を面白がるように笑いながら、部屋の中に入ってくる。
それにしても、奈那先輩はお母さん似なんだな。
数年後には、奈那先輩も、こんな美人になるんだと簡単に予想できる程に、奈那先輩にそっくりだった。
「ふふ。急にごめんなさいね。でも、奈那が男の子を連れてくるなんて初めてだから、少し興味があるのよ」
「そ、そうなんですか」
初めて、か。俺が奈那先輩の部屋に入った初めての男子。それだけで、天にも上れそうな程に嬉しかった。
奈那先輩のお母さんは、そんな俺をまじまじと見て、ニヤニヤと笑っている。
「ふふ。顔に出やすい子ね」
「あ、いや、えと」
以前、奈那先輩にも言われたことを言う奈那先輩のお母さん。
俺は恥ずかしくなって目をそらすと、また笑い声が聞こえてきた。
「照れなくてもいいわよ。誉めてるんだから」
奈那先輩のお母さんは、少し物思いに更けるように天井を見上げた。
「ほら、あの子って、他人と距離があるじゃない? 高嶺の花に見られているって言うのかしら」
「ああ、それは、確かに」
奈那先輩と言えば、まさにその通り、高嶺の花といったイメージだ。
別にとっつきづらいという訳ではないが、気軽に話しかけるのは憚られるような雰囲気を纏っている。
実際、奈那先輩は人気者であっても、誰か特定の仲良しな人がいるようには見えなかった。
ああ。そういえば、最初に会った時、一緒に誰かもう1人いた気もするが、どちらにしても、友達たくさんというよりは、ファンがたくさんといった感じだろう。
「本当に仲良しなのは、未来ちゃんっていう、幼馴染みくらいだったんだけど、今日、あなたが来た」
「でも、俺は、そこまで奈那先輩と親しい訳じゃ……」
「でも、親しくはなりたいんでしょ?」
「うっ」
見透かされたような瞳。
こういう所も、奈那先輩に似ている。
だが、奈那先輩以上に、言い逃れができない目だ。まるで、ただの答え合わせをしているような、そんな問いかけ。
こんな所で嘘をついても無駄だろう。意味もないしな。
「はぁ。そうですね、正直、お近づきになりたいとは思ってますよ」
俺の答えに、奈那先輩のお母さんは満足そうに笑った。
「そういう正直な所、良いと思うわよ。だから、私からアドバイス」
「え? え?」
奈那先輩のお母さんは、俺の耳元まで顔を寄せてきて、誰にも聞こえないように小さな声で教えてくれた。
間近に迫る綺麗な顔に、俺の心臓ははち切れそうだったが、それ以上に、奈那先輩のお母さんの発言が驚きで、俺は奈那先輩のお母さんを見る。
「嘘じゃないわよ。今度試してみなさい」
「何を、やってるのかな?」
「うおあっ!」
気が付けば、奈那先輩が入り口の近くで、ジトッとした目でこちらを見ていた。
言われてから、今の状況を思い出す。
俺。奈那先輩のお母さん。迫る顔。内緒話。
特に何がどうという訳ではなく、なんとなく気まずい状況。別にそんな関係ではないが、修羅場のような空気に俺は固まる。
「ふふ。少しお話ししてただけよ。さっきも言ったけど、あなたが友達を連れてくるのは珍しいからね」
「それは否定しないけど、娘の友達に言い寄る母親なんて、どこの昼ドラかな?」
「私、昼ドラは好きよ。ちょうど今やってるドラマにそんなシーンあったかもしれないわね」
いつも飄々とした奈那先輩だが、奈那先輩のお母さんはそれ以上だ。
奈那先輩も敵わないと思ったのか、小さく溜息を漏らして、俺の方を見た。
「準備できたよ。さあ、リビングに行こうか」
◇◇◇◇◇◇
リビングには、すでに奈那先輩のお父さんがいた。お父さんは、入って来た俺を睨む。
「まあ、座りなさい」
「は、はい」
声は重く、空気も重い。
しかも、座りなさいと示されたのは、奈那先輩のお父さんの目の前。
だが、ここで断ることなんてできないし、俺は、言われた通り目の前の席に座るしかなかった。
「君には何個か聞きたいことがある。正直に答えるんだ」
有無を言わさない雰囲気は、奈那先輩たちとは違う威圧感がある。というより、恐い。
「パパ。後輩くんは、私のお客さんだよ。もし、変なことを言ったら、多分、ママが口をきいてくれなくなるよ」
「ママが!」
自分がじゃないんだな。
奈那先輩のお父さんがお母さんの方を見ると、笑顔でピースサインをしながら頷いていた。
奈那先輩のお父さんは、悔しそうに俺を見て、項垂れる。
「もちろん、私も口をきかなくなるけどね」
追い討ちかよ。
あ、奈那先輩のお父さんは、まるで、漫画のようにズーン、というオノマトペを背負っているように見えた。
「さ、食べようか」
「ええ、そうね」
2人は気にした様子もなく食事を始める。
この2人を敵に回すのはやめた方がいい。というのは、この一瞬ですぐにわかってしまった。
この家での力関係も。
少しだけ、奈那先輩のお父さんが不憫に思えたが、何かできる訳でもないので、俺は、いただきますと言って、奈那先輩の手料理をご馳走になることにした。
「んん! お、美味しい!」
今日のメインは肉じゃがだったのだが、こんな短い時間で作ったとは思えない程に味が染み込んでいて、何度も手が伸びてしまう程に美味しかった。
付け合わせには魚のムニエルとお味噌汁。
すごく家庭的だったが、ホッとするような優しい味だ。
俺は無我夢中でその料理にかぶりつく。
「ふふ。そんなに美味しいのかな?」
「はい。すごく美味しいです」
食卓には、思っていた通り、かなりの量の料理が並んでいたのだが、それでも、俺はすべてを平らげてしまった。
それぐらい美味しかったし、さっぱりしていて食べやすかった。
「君は、本当に美味しそうに食べるんだね。作った甲斐があったよ」
「そんな、ありがとうございました」
すっかり満腹になった腹を擦っていると、奈那先輩が立ち上がり、皿の片付けを始めた。
「あ、手伝います」
「ん?」
片付けを手伝おうとして、皿を持った俺に、奈那先輩のお母さんがクスクスと笑う。
何か間違ったのか。
「ああ、いや、私はおかわりを持ってこようとしたんだよ」
「……え?」
あんな量を食べたのに。
そんな疑問も、普段の奈那先輩を思い出せば、別に不思議なことじゃなかった。
むしろ、確かに、考えてみれば、今の量は、確かに多かったが、それでも普段の奈那先輩が食べている量に比べたら、まだ少なかった。
奈那先輩のお母さんやお父さんは、もう食べ終わっているようだし、奈那先輩だけが異状に食べるということなのだろう。
「後輩くんも、遠慮しないでね。腕によりをかけて作ったんだから」
「……え?」
奈那先輩の笑顔がいつもよりも輝いて見える。
いつもの猫みたいな不敵な笑みじゃなくて、犬みたいな人懐っこい笑みだ。
そんな笑みを見せられて、もう無理です、なんて、意地でも言えなかった。
それに、こんな奈那先輩の手料理が食べている機会なんて、もう二度とないかもしれない。
それなら、ここで悔いのないよう、食べられるだけ食べなくては。
そう思った俺は、大きく深呼吸をして覚悟を決める。
そして、
「楽しみです」
過酷な食事への一言を告げた。
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