第11話

 俺が奈那先輩と出会ったのは、あの食堂での出来事がきっかけだ。


 俺がよそ見をしていたのが悪いのだが、俺は奈那先輩とぶつかってしまい、頼んでいたうどんをすべて溢してしまった。


「おっとごめんよ。後輩くん、大丈夫かな?」


 原因は俺にあるのに、奈那先輩は謝ってきて、お詫びに月曜限定特盛定食を分けてくれた。


 まあ、ほとんど奈那先輩が食べ尽くしたんだけど。


「ご馳走さま。君は少食なんだね。ほとんど私が食べてしまったよ」


 そんなことを言っていた。


 思えば、あの月曜限定特盛定食は、提供されて以来、1人で完食できたのは、奈那先輩が初めてだった。


 後にも先にも、あれは奈那先輩しか食べられないだろう。


 それから奈那先輩は、その日の放課後、俺は屋上に呼び出した。


 そこで、俺は世良と会って、奈那先輩との出会いの話を聞く。


 それからすぐに奈那先輩が来た。


 奈那先輩は、あの景色が大好きで、気に入った人にはあの場所を紹介していたのだ。


「お詫びもかねて、君にも知ってもらおうと思ってね。まあ、気まぐれだよ。でも、喜んでくれたのなら、よかった」


 その時の奈那先輩の笑顔があまりにも綺麗で、俺はつい見とれてしまった。


 先輩からは、

「私の顔に何かついているのかな? それとも、私に見とれていたのかな?」

 なんて、からかわれたけど、実際、俺は先輩に見とれていたんだ。


 それから3人で他愛ない話をしている内に、奈那先輩は、脈略もなく、いきなり遊びに行こうと言ってきた。


 いきなり過ぎて、俺も世良も戸惑っていたが、最後には結局、奈那先輩の勢いに押されて、行くことになった。


 ◇◇◇◇◇◇


「おや、後輩くん。遅かったね」

「いや、先輩が早すぎるんですよ。世良も」


 俺が着くと、奈那先輩も、世良も、もう来ていて、世良はかなり不機嫌だった。


「世良ちゃんは、私よりも前に来てたよ。これでも、20分前には来てたんだけどね」

「え? 早すぎだろ」

「うるさいわよ。早くて悪いの?」

「いや、悪くはないけど」


 世良が怒っている理由がわからなくて困っていると、奈那先輩が助け船を出してくれた。


「まあ、それでも10分前行動はえらいよ。私たちが5分前行動をしても、間に合う計算だ。それを見越しての行動だよね」

「まあ、一応」


 それでも世良の機嫌は直らない。

 と思っていたのだが、奈那先輩はそんな俺の考えを訂正する。


「世良ちゃんは、怒ってるというよりも、恥ずかしがってるんだよ。早く来すぎて、浮かれすぎと思われるんじゃないかってね」


 奈那先輩は、世良に聞こえないようにこっそりと話してくれた。

 そう言われてみれば、世良の頬が少し赤くなっているのがわかった。


 確かに、自分だけ舞い上がってると思われるのは恥ずかしいか。それを悟らせないために、不機嫌な風を装っている、と、


 何とも面倒くさい性格だ。


「ふふ。そこは、可愛らしいって言うんだよ」


 奈那先輩は、子供に言い聞かせるように優しく言う。


 ちょっと、そんな風には思えなかったけど。


「まあ、このままじゃ楽しめないから、今日は私が機嫌を直してあげるよ」


 そう言うと、奈那先輩は、今度は世良の方へと近付いていった。

 そして、何かを言うと、世良はハッとしたように俺を見て、ばつが悪そうに目をそらす。


 何が何だかわからずにいると、奈那先輩が、世良の手を引いてこちらに来た。


「えと、その、ありがと」

「へ?」


 突然、お礼を言われて、俺は変な声を出してしまう。

 お礼を言われるようなこと、何かしたっけか、と思っていると、世良が目をそらしたまま恥ずかしそうに訳を話してくれた。


「私が行きたいって言ってた、クレープ屋さん、予約してくれてたんでしょ?」

「は?」


 記憶にない話に俺は、世良の後ろにいる奈那先輩の方を見ると、親指を立てて、スマホの画面を開いていた。


 そこには、クレープ屋の名前と予約名として、俺の名前が載っていた。


 どうやら、こうなることを見越して、俺の名前で世良の行きたがっていたクレープ屋さんの予約をしてくれていたらしい。


 いや、こうなると思っていたのなら、先に教えてくれればよかったのに。

 と思ったが、どうせ早く来たって、世良も早く着いていたのなら、結果は変わらなかったのかもしれない。


 そう思って、奈那先輩はこういうストーリーを演出したのか。末恐ろしいな。


 結果的に丸く収まって、俺たちは普通に遊びを楽しんだ。


 奈那先輩はずっと笑っていて、世良もなんだかんだ最終的には楽しそうにしていた。


「さて、今日はこれくらいにして帰ろうか。楽しかったよ」


 日も暮れてきた頃、奈那先輩がそう切り出した。


 確かにもう遅い時間で、帰らないといけない時間なのだが、俺はまだ帰りたくないと思ってしまった。


 いや、正直に言えば、もっと奈那先輩と一緒にいたいと、邪な思いを持っていたのだが、それを実行に移せるような勇気は、その時の俺にはなかった。


 結局、その日はそれで解散となり、奈那先輩とのお出掛けも、これで終わりになってしまった。


 ◇◇◇◇◇◇


 次に奈那先輩と会ったのは、学校の図書室。

 その日は俺1人で、忘れていた宿題を提出するために、教科書とにらめっこしていた。


 そんな俺に、声をかけてきてくれたのが奈那先輩。


「おや? 後輩くん。久しぶりだね」

「え? 先輩?」


 奈那先輩は、いくつかの本を手に、俺の前に座った。


「勉強かな? 後輩くんは真面目だね」

「いや、宿題を忘れて、それをやってたんですよ」

「後輩くんは不真面目だね」

「180度評価変わりすぎじゃないです!」


 つい、大声を出して、周りの人から非難の視線を向けられる。

 俺はスッと座り直して、教科書に目を落とした。


「ふふ。良い反応だよ。図書室では静かにね」

「くっ。わかってますよ」


 それ以上、特に話題もなくて、俺は宿題に戻る。そんな俺の前で、奈那先輩は、何も言わずに本を読んでいた。


 別に大した意味はなかったのかもしれないが、目の前に奈那先輩がいるということに、俺は緊張していて、勉強が全然捗らなかった。


 30分が過ぎた頃、それでも宿題は終わっていなくて、代わりに奈那先輩が本を閉じる音が聞こえてきた。


「さて。私はそろそろ帰ろうかな」

 奈那先輩が立ち上がる。


「あ、……はい」


 引き止めたかったが、うまく言葉にならず、何も言えなかった。


 だが、

「君は、わかりやすい顔をするんだね。そんな、捨てられた子犬みたいな顔をされたら、放っておけないじゃない」


 そう言うと、奈那先輩は立ち上がった所から、そのまま俺の方まで来て、そのまま俺の隣に座った。


「ああ、でも、あと少しだね。これなら、そんなに時間もかからないよ」


 奈那先輩は俺の宿題を見て言うと、分かりやすくヒントを教えてくれた。


 答えを言うのではなく、あくまで俺が解くように、それでいて、ヒントは的確で、正直、先生に教わるよりも遥かにわかりやすかった。


 さっきまでの効率が嘘のように、奈那先輩に教えてもらいながらやった宿題は、ものの数分で終わってしまった。


「よし。それじゃ、今度こそ帰ろうか」

「あ、ありがとうございます。先輩」


 俺ごお礼を言うと、奈那先輩は何やら考え事を始めてしまった。

 まあ、数秒の間だけだが。


 奈那先輩は、ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべて、

「後輩くん。私が言うのもなんだけど、先輩だけだと、誰のことかわからないよ。私の名前も呼んでほしいな。私の名前は、覚えてるよね」

 なんてことを言ってきた。


 俺は言葉に詰まってしまう。

 奈那先輩の名前はもちろん知っていたが、なんとなく名前を呼ぶのは恥ずかしかった。


「あれ? もしかして、本当に忘れちゃった? ショックだなぁ」

「お、覚えてますよ。えと、名波先輩」

「ふふ。その名字だと、私と言い切れないよ。同じ様な名字の人がいるかもしれないからね」


 そんなはずはない。

 いや、仮にいたとしても、それは、名前だって同じことが言える。フルネームで言ったとしても、あり得る話だ。


 つまり、これは、奈那先輩の意地悪ということだ。明らかに恥ずかしがっている俺をからかうための。


 それをわかっていても、俺は中々口に出せなかった。

 しかし、言わなければ負けた気もして、俺は意を決して、その名を呼ぶ。


「な、奈那先輩」

「うん? 何かな、後輩くん」

「そこは俺も名前で呼んでくださいよ!」

「ははは。良い反応だよ。その顔が見たかった」


 本当に振り回されっぱなしだ。

 屈託なく笑う奈那先輩の顔は、その時初めて、隙を見せてくれたような気がして、よく覚えている。


 この時から、俺は奈那先輩に遊ばれ続けることになったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る