第10話
「ふふ。私の顔に何かついているのかな? それとも、見とれていたのかな?」
「え、と。奈那、先輩?」
「そうだよ。奈那先輩だよ。寝ぼけているのかな?」
奈那先輩がおかしそうに笑う。
どうやら俺は今、奈那先輩に膝枕をされているようだ。どうりで心地良いわけだ。
じゃなくて、
「ど、どうして、奈那先輩が!」
俺は慌てて起き上がる。
奈那先輩は、一瞬驚いた顔をして、いつもの笑みに戻る。
「膝枕をしている理由かな? 後輩くんが世良ちゃんにラリアットを食らって、気絶してしまったのが可哀想だったから、かな」
「いや、そうじゃなくて、今まで、どこに……」
そこまで言葉が出て、俺は言うのをやめた。
奈那先輩の表情が、怪訝なものに変わったからだ。俺の目を見て、何かを探るように。
そして、ゆっくりと俺の頬に手を触れて、有無を言わさずに、また膝に頭を押し付けてきた。
「後輩くん。詳しく話を聞かせてくれるかな。他の人たちには聞こえないように、まだ気絶した振りをしながらね」
優しい口調でありながら、逃げられないような威圧感。
俺の知っている奈那先輩だ。
俺は、どこまで話せば良いのかわからなかったが、とりあえず、今までのことを説明した。
俺たちの記憶から、奈那先輩がなくなっていたこと。俺たちの目の前から奈那先輩がいなくなっていたこと。
それでも、会いたくて、ずっと奈那先輩を探していたことを。
◇◇◇◇◇◇
「なるほど。それはとても面白い体験をしたね。羨ましいよ」
「何言ってんですか。こっちは必死で……」
「はいはい。起き上がらないの。みんなにばれちゃうでしょ」
奈那先輩は、やんわりと俺を押し付ける。
しかし、やんわりとはしているが、抵抗はできない。流石に筋力では負けてないはずなのに、何故か勝てない。
やっぱり奈那先輩には敵わない。
「でも、じゃあ、今の君は、私との記憶も、すべては覚えていないということだよね」
「そう、なりますね」
「そっか」
奈那先輩の切なげな顔。そんな顔をさせたい訳じゃなかったのに。
しかし、そんな表情も一瞬だけで、奈那先輩は、またいつもの不敵な笑みに戻った。
「後輩くんは仕方ないな。まあ、それでも、私に会いに来てくれた、という所は、評価しないといけないね」
髪をかき分けて、おでこの辺りを撫でてくる。
まるで猫でも撫でるかのような手つきに、眠たくなってきた。
だが、ここで寝てるわけにはいかない。
「奈那先輩……」
「しっ。後輩くん。私は君の質問には、何も答えてあげられないよ」
「え?」
奈那先輩が悪戯っぽく笑う。
「奈那先輩?」
「君が私についての記憶を忘れてしまった、というのは、多分、私が原因だよ。私自身だ。だから、わかるんだよ。ここで何かを教えちゃいけないんだって」
奈那先輩は、何かを知っている。
だが、それを教えてくれる気はないようだ。こうなった奈那先輩を説得するなんて、絶対にできないと、俺は知っている。
奈那先輩の手が離れて、俺は起き上がった。
それを眺めて、奈那先輩は立ち上がる。
「少し、散歩でもしようか。後輩くん」
手を差しのべられて、俺はその手を取る。
周りを見ると、誰もいない。一緒に来ていたはずの、司も世良も黒内先輩も、誰もいない。
さっきまでは、声が聞こえていたのに。
俺は状況を理解できず、ただ、奈那先輩についていくことにした。
◇◇◇◇◇◇
町の方を歩く。
誰ともすれ違わない。世界に俺と奈那先輩しかいないんじゃないかと思う程に。
異様な光景だ。店にも人はいない。車すら通っていない。
ああ、そうか。これは。
「お察しの通り、これは夢だよ」
奈那先輩が振り向いて、上目使いに言う。
俺と大して身長が変わらないが、少し屈んで、あえて上目使いをしている。
確信犯だ。
それでも可愛いと思ってしまうのは、男の性だろう。
「夢に出てくる人に、これは夢だなんて、初めて言われましたよ」
「ふふ。それが君の持ってる私のイメージだよ。夢の中でもそんなことを言いそうだー、なんてね」
「はは」
そうかもしれない。
奈那先輩なら、夢とか幻とか、関係なく、こういうことを平気で言ってきそうだ。いや、実際に言ってきた訳だが。
「もしくは、私がそれだけ君に会いたいと思ってて、夢にまで現れた、とかかな?」
「え? それって、どういう……」
「ねえねえ。君ぃ、今、暇?」
どういうことなのか、と尋ねようとした所で、いきなり知らない男が割り込んできた。
何て間の悪い男だ。
男は奈那先輩をナンパしてきたようで、横にいる俺のことなんて、眼中にはないらしい。
奈那先輩は、冷めた目で男を見る。何の感情も宿っていない、本当に冷たい目だ。
そして、その目が俺の方へ向くと、少しジトッとしたものに変わった。
「これは君の夢だよ。つまり、君は、私にナンパされてほしいのかな?」
「え? い、いや、そんな訳ないじゃないですか!」
奈那先輩が誰かに言い寄られることを、俺が望むはずがない。
だって、奈那先輩は、俺の……。
よくわからないが、とにかく、そんなことは絶対望んでいない。
俺の真剣な表情が伝わったのか、奈那先輩、ふむ、と呟いて、また男を見た。
「となると、これは君の記憶にある光景なのかな。なら、これは忘れちゃいけない記憶なのかもね」
奈那先輩はそう言うと、突然男を蹴り飛ばした。
「えぇ!」
いや本当に、問答無用で蹴り飛ばした。
「がはっ!」
奈那先輩の綺麗なおみ足から繰り出された見事な一撃は、男の腹にクリーンヒットして、男は痛そうに悶える。
それにしても、洗練された動きだ。
まるで映画のワンシーンのように、鋭く綺麗な蹴りだった。
いつもの超がつく程の短いパンツで、惜しげもなくさらされた綺麗なおみ足は、細く、それでいて健康的で、しかし、そこまで筋肉質という訳でもないのに、その攻撃は凄まじい威力だ。
世良もそうだが、少なくとも、俺の近くにいる女の子は、怒らせない方がよさそうだ。
「ふむ。実体はあるみたいだね」
奈那先輩が、ぶつぶつと呟く。
「いやいやいやいや、いきなり何やってんですか!」
「大丈夫大丈夫。これは君の夢だし」
「ああ、そうか。いや、だからって」
なおも食い下がる俺に、奈那先輩は人差し指で俺の口を塞いでくる。
突然のことに、声が出ないでいる俺を面白そうに見つめながら、奈那先輩が真剣な声で囁く。
「それに、こんな誰もいない所に現れた人が普通だなんて、思わない方がいいよ。後輩くん」
「っ! それは、確かに」
そう言えば、今まで誰とも会っていなかったのに、こんなナンパ男だけが登場するなんて、何か意味があるとしか思えない。
というか、俺の夢の話のはずなのに、奈那先輩の洞察力がすごすぎる。
それとも、これが俺の潜在能力なのか。
いや、ないな。奈那先輩なら、夢の中でもこれくらいはできてしまいそうだ。
あまり自惚れはしないでおこう。
「この、アマがぁ」
ああ、そう言えば、蹴り飛ばされた男がいたんだった。
男は腹を押さえながら立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。
そして、おもむろに取り出したのは、ナイフ。男の目は怒りに我を忘れているようだった。
男はそのまま遮二無二突っ込んでくる。
「お前!」
俺は咄嗟に奈那先輩を庇う。
奈那先輩の前に出て、抱き締めるように相手に背を向けた。
夢とはいえ、奈那先輩が刺される姿は、もう見たくない。
来る痛みに備え目を瞑り、歯を食いしばる。
「後輩くん」
俺の胸の辺りで、奈那先輩のくぐもった声が漏れる。その声を守るために、俺はより一層、力を込めて、奈那先輩を抱き締めた。
「こ、後輩くん。い、痛いよ」
「もう少し、もう少しだけ耐えてください」
「そうじゃなくて、後輩くん。大丈夫だから。もう、大丈夫だって」
「……え?」
言われて目を開くと、奈那先輩は苦笑いでこちらを見ていた。
そして、来ると思っていた痛みもなく、後ろを見ると、そこには誰もいなかった。
「え? これはいったい」
「流石に、私もよくわからないけど、でも、もういなくなったから、大丈夫だよ」
確かに。もう、誰もいなくなっている。それに、何処かに隠れているという訳でもないようだ。
夢の中だし、突拍子もないことが起きても不思議じゃないが、それにしたって、急展開過ぎるだろ。
いきなりナイフを持った男が現れたと思ったら、今度は消えて、どういうことなんだよ。
とりあえず、俺はどさくさに紛れて抱き締めていた奈那先輩から離れる。
その瞬間に、奈那先輩が少しだけもの足りなさそうな表情をしているような気がしたが、気のせいだろうか。
とりあえず、突然の事件を回避して、俺たちはまた歩き始める。
特に目的もなく、ただこの夢もいつかは覚めてしまうのかと思いながら。
そんな時、不意に奈那先輩が口を開いた。
「時に後輩くん。君はナイフを持った男に襲われた記憶はあるかな?」
「え? ありませんよ、そんなの」
いきなり何の質問だ と思ったが、恐らくさっきの男の関係だろう。
奈那先輩は、俺の記憶にあるからかも、なんて呟いていたし、そこら辺を考えているのかもしれない。
前を行く奈那先輩の表情は見えなかったが、奈那先輩は思案するように黙っていた。
そして、
「さっきの男。忘れないようにした方がいいよ」
真剣な表情で、そう言った。
「さっきの男ですか? どうしてですか?」
「まあ、私も確信が持てないけど、もしかしたら、現実の世界に戻った時、何か問題が起きるかもしれないからね」
何気なく言われた言葉。
だが、俺は少し、胸につっかえて、足を止めてしまう。
「後輩くん?」
奈那先輩が心配そうに声を出す。
急に止まれば、そりゃあ、心配するだろう。
だが、奈那先輩は、俺が足を止めた理由がすぐにわかったようで、からかうような笑みを浮かべる。
「後輩くんは、寂しがり屋だね。そんなに私と別れたくないのかな?」
「そりゃあ、そうですよ」
即答する。恥ずかしいなんて思ってられない。
奈那先輩も、俺がこんなに即答するとは思っていなかったのか、驚いたような表情をしている。
でも、俺の口は止まらなかった。
「奈那先輩のことを忘れていた時よりも、思い出して、また会いたいと思っていた時よりも、こうして、目の前にいる今、強く思います。俺は奈那先輩と一緒にいたいって」
ずっと忘れていた記憶。
というよりも、思い、か。
俺は奈那先輩がいなくて、ずっと寂しかった。
悲しかった。
絶対に一緒にいたいと思っていた人のはずなんだ。思い出せない記憶は多いけど、その思いだけは、心の奥にずっとあった。
奈那先輩は、頬を赤くして、目を泳がせる。
こんな反応は珍しい。
どんな時でも余裕そうな奈那先輩が、こんなに照れている姿は、ほとんど見たことがない。
でも、こんな反応を俺は見たことがある。
あれは、そう。
俺が、奈那先輩に、告白をした時のことだ。
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