第9話

「という訳で、来たぞ。海にっ!」

「この時期に来る場所じゃないでしょ!」

「ぐっ」


 俺の後頭部を世良が力一杯殴ってくる。

 身長的に、俺の後頭部を殴るのは難しいはずなのに、それを感じさせない破壊力だ。


「ま、まあ、ついてきたのは俺たちだし」


 しゃがみこんでしばらく動けないでいる俺の上で司が言う。


「そ、そうですね。わ、私も、何も考えずに、来てしまって、ご、ごめんなさい」


 それに続いて、黒内先輩もフォローしてくれる。


「別に、御子柴くんも、黒内先輩も悪くないですけど」

「なら、俺も悪くないだろ」

「あんたは別!」

 さっき程じゃないが、世良がまた殴ってくる。


 俺たちがやってきたのは、海。


 来た理由はもちろん、奈那先輩との記憶でこの海に来ていたから。


 メンバーはその時と同じ、俺、司、世良、黒内先輩だ。


 まだ時期が早すぎるのか、俺たちの他に客はいないみたいだが、偶然にも今日は暖かい。

 まあ、少しは海日和と言えなくもない。


 流石に水着で来ることはなかったが。


「それで、ここに来て、何するのよ?」

「え?」

「は?」


 何も考えてなかったため、ポカンとすると、世良の声が低くなる。しかも、かなり。


 世良の目付きが鋭くなる。

 これはまずい。


 そんな時、黒内先輩が、少しはしゃいだ声を出した。


「と、とにかく、お、泳ぎましょう。う、海に来たら、泳ぐもの、ですよね? ふ、ふひひ。ち、ちゃんと、水着も、買ってきました、よ」

「え?」

「え?」

「え?」


「……え?」


 3人の声が重なり、1人の声が遅れて聞こえてきた。

 恐らく、俺たちと黒内先輩の反応は、全く違う意味合いだろうけど。


 確かに、今日の黒内先輩は、ぶかぶかのパーカーに、ぶかぶかのパンツを着ているなとは思っていたが、その下には水着が隠されていたのか。


 黒内先輩は、驚く俺たちを見て、自信なさげに目を泳がせる。


「あ、も、もしかして、私、空気、読めてなかった、ですか? ご、ごめんなさい。私、こういうの、よく、わからなくて」


 黒内先輩は、恥ずかしそうにうつ向いてしまった。

 それを見て、世良が慌ててフォローする。


「あ、ああ、いえ、えと、だ、大丈夫です。泳ぐのは、まだ、ちょっと、早いかもしれないですけど、ちょっと波打ち際まで行ってみましょうか」


 落ち込みかけた黒内先輩を励ますように世良が黒内先輩の手を掴んで、走って行った。


 この展開は全く予想できなかったが、どうやら助かった。ということらしい。



「なら、私も行かないとね」


 そんな2人を追いかけて、奈那先輩が走っていく。そんな記憶を思い出した。


 やっぱり、奈那先輩との記憶は、記憶の中と同じような行動をすることで思い出せるようだ。


「それで? ここに来た目的は?」


 司が尋ねてくる。

 そう言えば、まだ言っていなかった。


「ここで、俺は奈那先輩から、何か大切なことを教えてもらったはずなんだ」

「大切なことね。それを思い出すために、か」

「ああ」


 俺の思惑を察してくれたようで、司はそれ以上何も言わなかった。


「まだ何も思い出してないけどな」


 司は答えない。真剣に考えてくれているのだろうか。


 俺も司と同じように前を見ると、案外楽しそうに水を掛け合っている世良と黒内先輩が見えた。


 時期じゃないとか言っていた癖に、ちゃっかり楽しんでるじゃないか。


 2人は、服が濡れるのも気にせず遊んでいる。


「ふむ」


 司の口から息を吐くような声が漏れる。

 もしかして、司が何も言わなかったのって、あの光景に釘付けになっていたからなのか。


「なあ。あの2人の格好、エロくね?」


 司が指差す2人は水に濡れ、服が体に張り付いているため、体のラインがありありと見えていた。


 世良は小さいながらも、ボディラインが綺麗で、意外にスタイルが良いのがわかる。


 そして、黒内先輩は、ぶかぶかの服を着ていたため、最初は気付かなかったが、スタイルがすごく、胸の辺りが、いや、スタイルがすごく、良いみたいだ。


「後輩くん。君の視線が何処に行っているのか、私には手に取るようにわかるよ」

「ちがっ! これは! 偶々、目が行っただけで!」


 この場にいない人に言い訳をする。


 司は可哀想なものを見るような目でこちらを見てくる。

 いや、お前にそんな目をされるのは、納得いかない。お前が話題を出したせいだろうが。


 ◇◇◇◇◇◇


「ほら。水」

「ありがと」


 はしゃぎすぎて動けなくなった世良に、コンビニで買った水を持ってきた。

 世良はばつが悪そうにお礼を言って、顔を背ける。


 あれだけ悪態をついておいて、ここまではしゃいでしまったことを恥ずかしがってるらしい。


 司は黒内先輩と一緒にいてもらっている。


 黒内先輩を1人にはできないし、黒内先輩のボディラインに見とれている司にはちょうど良いだろう。


 俺はもう少し、奈那先輩を思い出すのに集中したかったし。


 というか、世良よりも激しく動いていたはずなのに。

 見かけによらず体力があるのかもしれない。


「悪かったわね。面倒をかけて」

「ん? 何だよ、気持ち悪いな」


 妙に素直な世良が気味悪くて、なんとなく警戒してしまう。


「ふん。悪かったわね。素直じゃなくて」

 世良は不貞腐れたように言う。


「今日は、奈那先輩のこと、思い出すために来たんでしょ?」

「ああ」

「何か思い出せた?」

「いや」


 今のところ、これといって、思い出したことはなかった。

 思い出したことと言えば、奈那先輩が世良たちと遊んでいた光景くらい。


 そう言えば、奈那先輩も、水を掛け合っていたのに、世良たちみたいに、服がびしょ濡れになってはいなかったな。

 そういう所も隙がなかったんだな。


「そう。なら、今日も意味はなかったのね」

 世良は立ち上がり、海の方へと歩いていく。


「おい。もう大丈夫なのか?」

「ええ。ありがと」


 そう言うと、世良はさっさと歩いていってしまう。どことなく、元気がなさそうな背中だ。


 どうして、そんな元気がなさそうなのかはわからないが、放置はできないな。


「世良」

「何? わぷっ!」


 振り向きざまに、さっき自分用に買ってきた水をぶっかける。もちろん、まだ口をつけていない綺麗なやつだ。

 元から濡れてるし、大したダメージはないだろ。


 と思ってたんだが、世良はそうでもなかったようで、フルフルと肩を震わせて、拳を握りしめていた。


「何の真似?」


 そのくせ、顔はすごいにこやかで、まるで嵐の前のなんとやら、だ。


 俺は世良に背中を見せないように体を正面に向けながら、海の方へとゆっくり移動する。

 それに合わせて、世良もジリジリと距離を詰めてくる。


 一触即発の状況で、次の俺の一言で、その結末が大きく変わりそうだ。

 いや、嘘。

 何を言ったところで、結末は変わらない。変わるのは、俺がどこまで逃げられるのか、それだけだろう。


 なら、別に奇をてらったような回答はいらない。素直に言ってしまおう。


「いや、さっき、水を掛け合ってるの見たら、俺もやりたくなったから」

「そう。素直でよろしい」

「うおっ! 言葉と行動が合ってねぇ!」


 言うが早いか、世良は殴りかかってきた。

 鋭い一撃だ。しかも、正確に俺の顔を狙っていた。


 俺はそれをすんでの所でかわす。

 そして、そのまま全速力で司たちの方へと走っていく。


「待ちなさい! 痛くしないから!」

「うそつけ! なら、その拳をおろせ!」

「はい。おろした。ほら! ほら!」

「やっぱ駄目だ! その目は! その目は捕食者の目だ!」


 必死で逃げる。

 砂浜で走りづらいが、そんなことなどなんのその、世良はすごい勢いで迫ってくる。


 チラッと後ろを振り向くと、世良はもうすぐそこまで迫ってきている。


 司たちまではもう少し。2人の所まで行けば、お茶を濁せるはず。


 あと少し。もう少し。


「あ」


 しかし、普段から、あまり運動をしていないのがここに来て祟った。

 俺は足をもつれさせて頭から砂浜にダイブする。


「ぶふぅぉ!」

 下が砂で助かった。

 少しヒリヒリするが、そこまで痛くはない。


 俺は顔を上げて、前を見る。


 しかし、俺の前に司たちの姿が見えない。

 というより、何かが俺の前に立ち塞がって見えなくなっている。という方が正しいか。


「覚悟はできた?」

「後悔はしていない。反省もしていない」

「そう。素直でよろしい」


 そこで俺の意識は途切れた。


 ◇◇◇◇◇◇


「いってて」


 頭痛のする頭を擦って目を開く。が、太陽の光が眩しくて、すぐにまた目を閉じる。


「あの馬鹿。あそこまで力強く殴る必要なんてないだろうが」


 自分が蒔いた種だとわかってはいるが、悪態をつかずにはいられない威力だった。


「まあ、仕方ないよ。君が悪いんだし」

「そうかもしれないけど。限度ってもんがある」


 優しく頭を撫でられて、ふふ、と笑う声が上から降ってくる。


 頭は何か柔らかいものに乗っていて、なんだか心地よい。このまま寝てしまいたいぐらいだが、こんな砂浜で寝る訳にもいかないので、仕方なく、目を開く。


 すると、目の前には誰かの顔があった。

 最初は眩しさで、よく見えなかったが、少しずつ目が慣れてきて、その人物の顔が見えるようになっていく。


「え?」


 ゆっくりと確認できた顔は、世良や司、黒内先輩のものではなかった。

 だが、それは俺の知っている人で、俺が会いたいと思っている人だった。


「奈那、先輩?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る