第6話
「泣いてるって、奈那先輩が?」
「……ああ」
俺が思い出せた最後の奈那先輩は、泣いている顔だった。
いつもみたいに余裕そうな顔をしているくせに、その目には涙が浮かんでいて、強がりだって、すぐにわかるような顔。
どうしてそんな顔をしているのか、今の俺では思い出せない。
「奈那先輩が泣いてるなんて、正直想像できないけど」
「それはひどくないか? ……わからなくもないけど」
奈那先輩と言えば、気まぐれ、不敵、飄々として、掴み所のない、隙を見せない、と、そんなイメージばかりだ。
そんな奈那先輩が泣くなんて、何の冗談だって思うのも、無理はないだろう。
俺だってそう思う。
でも、あの泣き顔は、忘れちゃいけないような、そんな気がする。
「つまり、一樹が泣かせたから、奈那先輩は何処かに行っちゃったってことか?」
「流石にそれはないだろ。……ないよな?」
「いや、知らんけど」
奈那先輩が、俺に泣かされたからいなくなって、しかも記憶まで消して、過去に送り返したなんてことが、いや、流石にそれはないだろ。
いくら奈那先輩でも、そんな超能力を持っている訳がない。
まあ、持ってるよって言われても、違和感ないかもしれないが。
「まあ、普段とは違うって言うなら、それも何かのヒントになるかもしれないな。他は?」
その後も、覚えていることを何個か上げてみたが、これといって収穫は得られなかった。
「結論として、一樹も希沙羅さんも、奈那先輩がいなくなる前後の記憶はないってことか」
「そうなるな」
わかったことと言えば、俺も世良も、まだ奈那先輩との記憶で忘れているであろうことが多いということぐらい。
進展というより、後退した気分だ。
司はううむ、と唸り、天井を見上げる。
「後は、今日みたいに、その奈那先輩との記憶の通りに行動してみて、何か発見がないかを確かめるぐらいかなぁ」
「そうかも。でも、今日もこれといって何かがわかった訳じゃないし、望み薄かしら」
誰からともなく溜息が漏れる。
気付けば、喫茶店に来てから、かなりの時間が経っていたらしく、外はすでに暗くなり始めていた。
これ以上、注文もせずに店に長居するのも気が引けるので、今日はこれで解散することになった。
◇◇◇◇◇◇
喫茶店で司と別れ、俺は今、世良と歩いていた。まあ、家が近いからな。
「一樹は、どう思う?」
世良からの問いかけ。
具体的な言葉はなかったが、何を聞いているのかはわかる。
奈那先輩の存在を、本当に信じているのか、ということだろう。
正直、意味不明すぎてよくわからない。
普通に考えて、1人の人間が記憶ごと消えてなくなってしまうなんて、あり得ないのだから。
世良も、そう思って聞いてきているのだろう。
その表情は不安そうで、どうしていいのかわからないように見える。
でも、それでも、俺は、
「奈那先輩は、何処かにいると思う」
「そう」
世良はそれ以上、何も言わず、もう暗くなった空を見上げて、先を歩く。
そして、少し進んだ所で、世良は不意に振り向いた。
「なら、1つだけ、もしかしたら、ヒントになる所を思い出したんだけど、行ってみる?」
「え?」
◇◇◇◇◇◇
「ここ、は?」
世良に案内されてやって来たのは、以前、大型デパートとして使われていた所だった。
何年か前に経営者が失踪したとかで、潰れてしまった所、だったと思う。
責任者は消え、解体するにもかなりの金がかかるため、こうして放置されているのだ。
近々やっと解体されることが決まったらしく、立ち入り禁止の貼り紙と共に案内が貼られている。
「一樹は、ここの記憶はない?」
「いや、ない、な」
ここの噂は聞いたことがあったが、来たことは一度もない。はず。
「そう。やっぱり、思い出してる記憶に差があるみたいね」
さっきの司との会話の中でも、俺と世良では、思い出している内容に違いがあった。
今回のように、世良が思い出していて、俺が思い出していないことや、逆に俺が思い出していて、世良が思い出していないこともある。
今回は、ここに関する記憶が俺にはないということなのだろう。
「でも、こんな所に、何しに来たんだ?」
遊びに来るような所ではない。
貼り紙にもあるように、こんな危険な所に面白半分で入るべきではないだろうし。
世良はそんな悪ふざけはしないやつだ。
「ちょっと、ここにいる人に話を聞いて見たくて」
「ここに、人が?」
「そう。その人も奈那先輩の知り合いよ。私の記憶ではね」
「こんな所に、そんな人が」
世良は慣れた様子で中に入っていく。
何処からは入れるのか、何処を進めばいいのか、すべてわかっているような動きだ。
ここに来たことがあるというのは、間違いないようだ。
「まあ、あまり誉められたことじゃないけどね。後輩くんは、こういう所は苦手かな?」
その後ろをついていく俺の耳に、奈那先輩の声が聞こえてくる。
なるほど。あまり思い出してはいないが、確かに俺もここに来たことはあるらしい。
そうこうしている内に、俺たちは少し開けた所に辿り着いた。
ちょうど建物の案内板があり、それを見るとここが建物の中心に位置するみたいだ。
円形に囲まれた場所で2階や3階が吹き抜けになっている。
もちろん今は何もやっていないが、360度、色んな店があったのがわかる。
「ふひ、ふひひひ、こ、こんな所に、人が来るなんて、め、珍しい、ですね」
「っ! び、びっくりした」
グルッと周りを見渡していると、突然声が聞こえてきた。
それは世良のものではない女性の声で、聞こえてきた方を見ると、簡素な机に、ボロボロの椅子に座る女の子がいた。
歳は俺たちと変わらないぐらいに見える。
前髪で顔のほとんどが隠れているのでよくわからないが。
顔が見えないせいで、雰囲気がおどろおどろしい。
こんな所にいるというだけでも、少し近寄りがたいっていうのに。
しかし、その女の子は、俺たちを見つけて嬉しそうに声を弾ませる。
「も、もしかして、う、占いがご所望ですか? ふ、ひひ。わ、私も、有名になったんでしょうか」
「占い?」
意味がわからず聞き返すと、女の子は一気にテンションが下がった。
「あ、あれ? ち、違うんですか? そ、そうですよね。そんな訳、ないですよね。はい。わ、わかってましたよ。はい」
どんどんと小さくなっていく女の子。
最後にはいじけたように机に顔を埋めていた。
「いいえ。占いが目的ですよ。
「先輩!」
俺は思わず大きな声を出してしまう。
先輩。
ということは、俺たちの学校の人なのかよ。
「この子は、
奈那先輩の声で説明が聞こえる。
そう言えば、そんな人もいたかもしれない。
世良の言葉に、黒内先輩が嬉しそうに顔を上げた。目の部分は見えないが、それでも満面の笑顔というのがわかる。
「そ、そうですか。よ、よかった。じ、じゃあ、早速始めますか。ふひ、ふひひ。あ、飲み物も、あ、あります、よ?」
黒内先輩は、横に置いていたバッグから水筒を取り出して、慌ただしくお茶を出してくれた。
そのまま椅子まで用意してくれて、俺たちはそこに座る。
「そ、それじゃあ、は、始めましょうか。ふ、ふひひ。な、何を占い、ますか?」
黒内先輩は、小さな水晶玉。いや、ビー玉か。
ビー玉を布の上に置いて、格好だけは占い師のそれだが、安っぽく見えるのはどうしようもない。
まあ、占いなんて、別に当たれば良いのかもしれないけど。
「じゃあ、私たちの探している人が何処にいるのか、占ってもらえませんか?」
「探し人ですね。も、もちろん、大丈夫、ですよ。では、そ、その人のことを、教えてもらえますか?」
「奈那先輩っていう人です」
世良が名前を出した時、黒内先輩の動きが止まった。
まるで油の切れたブリキ人形のように、ギギギとこちらを向いて、前髪に隠れていた目が露になる。
その目は信じられないようなものを見るように、見開かれていて、口は開きっぱなしだった。
「奈那、ちゃん、ですか?」
黒内先輩が声を漏らす。掠れた声。やっとの思いで、出せた声。というような感じだ。
「黒内先輩は、奈那先輩のこと、覚えてますか?」
世良が問いかける。
「ああ、なるほど。ああ、そ、そうですよね。お、お二人は、奈那ちゃんの、友達、で、でしたよね」
「っ! 黒内先輩。奈那先輩のこと、覚えてるんですか?」
俺は前に乗り出して黒内先輩に尋ねる。
机を挟んで、もう顔面が間近という所までいって、近すぎるかもしれないが、そんなことに構ってられなかった。
「う、うう。ち、近いですよ、後輩くんさん。ち、ちゃんと、お話ししますから、す、少し離れてください」
「あ、すみません」
だが、黒内先輩は耐えられなかったようで、やんわりと俺を押し退ける。
「じ、じゃないと、奈那ちゃんに、お、怒られちゃいます、から」
最後に何か呟いたようだが、よく聞こえなかった。
「奈那ちゃんのこと、覚えてるの、わ、私だけかと、思ってました。ふ、ふひひ、よ、よかった、です」
「じゃあ、やっぱり、黒内先輩は、奈那先輩が何処にいるのか、知ってるんですか?」
ホッと胸を撫で下ろしている様子の黒内先輩に、世良は待ちきれずに問いかける。
すると、黒内先輩は、少し悲しそうに目を伏せて、言いづらそうにし、口をつぐむ。
「先輩?」
口を開いて、また閉じて。
それを何度か繰り返した後、黒内先輩は意を決したように口を開いた。
「な、奈那ちゃんがどうなったのか、は、知ってます」
「じゃあ、それを教えてください。俺たち、ずっと気になってたんです」
奈那先輩が何処に行ったのかは。どうして記憶がなくなったのか。今は何処にいるのか。どうして司は奈那先輩のことを思い出さないのか。
気になることはいくらでもある。
だが、とにかく、奈那先輩が今どうしているのか、それさえわかればいいと思った。
しかし、黒内先輩は、また口を閉じ、目を背けたまま、小さく、本当に小さく言った。
「奈那ちゃんは、もう、この世にはいません」
「……え?」
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