第5話

「ひとまず、奈那先輩のことは思い出したわ」


 世良がそう切り出す。

 俺たちは近くにあった喫茶店に入り、さっきの不思議な体験のことについて話し合っていた。


 聞けば、やはり世良も、俺と同じように奈那先輩との記憶が突然頭の中に浮かんだらしい。


 俺も、世良も、今では奈那先輩の顔も思い出せる。


 常に余裕のある笑顔を浮かべていて、綺麗系であり、可愛い系でもある、見事に調和された美少女。


 部活にも生徒会にも参加していないにも関わらず、1番の有名人。

 部活の助っ人を頼まれれば本職の部員よりも活躍し、全国模試は常にトップクラス。


 まさに超人のような人だが、俺はそんな人と知り合いだった。


「出会ったのは、この前の食堂か」

「そうね。その日の放課後に、奈那先輩と一緒に私も屋上に行ったのよ」


 覚えている。全部ではないが、奈那先輩との色んなことを思い出した。


「でも、どうして、忘れていたんだ? それに奈那先輩はどこにいるんだ?」

「それも気になるけど。根本的におかしなことがあるでしょ」


 世良が顔を寄せて声を潜める。

 周りには聞かれない方がいい話ってことか。

 俺も耳を寄せると、世良が小さな声で囁いた。


「なんで、私たちは未来の記憶まで持ってるのよ?」


 それは確かにその通りだ。

 今、奈那先輩がどこにいるのかわからないが、少なくとも俺たちの前に奈那先輩はいない。


 はずなのに、奈那先輩と一緒に行動をしていたという記憶がある。

 しかもそれは、今よりも先、つまりは未来に起きる記憶までもだ。


 しかし、奈那先輩がいない以上、未来を予知しているという訳でもない。

 ということは、つまり。


「俺たちはパラレルワールドから来たってことか?」

「はぁ?」


 世良は思わず大声を出して立ち上がった。

 その大声に、店員や他の客の視線が一気に集まる。


 世良はすぐに座って、何事もなかったかのようにコーヒーに一口つけるが、怪訝な視線はしばらくなくならなかった。



 しばらくしてから、ほとぼりが覚めた辺りで、世良が小さく声を出す。


「そんなのあり得ないでしょ。漫画じゃないんだから」

「そりゃあ、変なことを言ってるって自覚はあるけど、それ以外に考えられるか?」

「それは、そうかもしれないけど」


 奈那先輩のことが何かの勘違いだと、それを言うことはしなかった世良。


 俺もそうだが、あの記憶が、何かの間違いだとはとても思えないのだろう。それだけ、鮮明で、実感のある記憶だったから。


「でも、やっぱり信じられないわ。そんなファンタジーみたいな話、すんなり受け入れられる方がおかしいと思うけど」

「だが、すでにおかしなことは起きてるだろ?」

「うーん」


 世良はまだ納得していない様子。


 まあ、そんな簡単に信じられるはずもないか。というか、俺だって半信半疑だ。


 全くの見当違いなことを言っているかもしれないし、それこそ本当にただの勘違いなのかもしれない。


 だが、俺の頭では、そんな非現実的なことが起きていると考えるくらいしかできなかった。



 と、そんなことを考えていた時、不意に俺たちが今座っている席について不自然な所に気付いた。


「そう言えば、俺たちはなんで、3人がけの席に座ったんだ?」

「え?」


 喫茶店に入った時、俺たちは、ご自由な席にどうぞ、と言われ、適当な席に座った。


 本当に適当に。


 しかし、俺たちが座っている席には椅子が3つある。

 別に3人がけの席しかない店という訳でもない。2人がけの席もちゃんとあるし、なんなら、そっちの方が入り口から近いぐらいだ。


 しかも、俺たちは心なしか、誰も座っていない席に向かって座っている。まるで、そこにいる人の方を向いているかのように。


「そうか。俺たち、奈那先輩とこの喫茶店に来たことがあるのか」

「そうだったかも。でも、それは今日じゃなかったような。いえ、今日じゃないというか、何というか、ああ、もう! 訳わからない!」

「うおっ!」


 苛立った様子でのけ反った世良は、後ろを通る人にぶつかりそうになる。


 突然のことで、ぶつかりそうになった人から驚きの声が上がった。


「あ、ごめんなさい」


 世良はすぐに謝るが、その人物の顔を見て、一瞬固まった。


「あれ? 御子柴みこしばくん?」

「あれ、希沙羅きさらさん」

「なんだ、司か」

「一樹もいたのか」


 ぶつかりそうになったのは、なんと偶然にも司だった。


 司と世良は前から面識があり、何度か一緒に遊んだこともある。

 2人だけで遊んだりはしてないみたいだが。


 司は、適当に1人で買い物をしていたらしい。


「ご、ごめんね。大丈夫だった?」

「ああ、大丈夫大丈夫。何ともないよ」


 世良は焦った様子で尋ねる。

 俺の時とは大違いだ。これが、もし俺が相手なら、こんなにしおらしい態度はしてこないだろう。


 ちなみに、司もどこかたどたどしい。


 というのも、司は世良に好意があるようで、口には出さないが、よく世良に見とれている姿を見かける。


「二人は、えっと、遊んでたのか?」

「え? うーんと、そうなるのかしら?」

「微妙だな」


 最初の目的はクレープ屋さんだから、遊びに来たというのは間違いないかもしれないが、今はどうかというと、少なくとも遊んでいる訳ではないな。


 どう答えたものか悩んでいると、ふと、思い付いて、世良にこそこそと声をかける。


「そういえば、司も奈那先輩と面識あったよな?」

「あー、あったかも。来月くらいの話だっけ?」


 そうだ。俺たちの記憶の中では、まだ司と奈那先輩は出会っていない。

 世良が言うように、今日から1ヶ月後くらいに、奈那先輩と一緒にいるところを司に見られたんだったような気がする。


 それでも、俺たちみたいに名前を思い出せば、司も奈那先輩のことを思い出すかもしれない。

 そう思った俺は、司にも今の話を聞いてもらうことにした。


「司。ちょっと時間あるか?」

「ん?」


 内緒話をしている俺たちに、司は怪訝な顔をしていた。

 ああ、まあ、気になる子が誰かと内緒話しているのは気が気じゃないかもな。俺と世良にそんな心配は無用だけど。


 とりあえず、俺は司に今までのことを説明した。


 ◇◇◇◇◇◇


「なるほどねぇ。奈那先輩、か」

「覚えてるか? 確か、司も何度か奈那先輩に会ってるはずなんだけど」

「うーん」


 司は少し視線を上に向けて唸る。

 そして、

「いや、知らないな。全く」

「え?」


 あまりにもあっさりとした答えに、俺は唖然とした。


「え? 全く? 少しでも違和感はないか?」

「いや、全く」


 嘘をついているようには見えない。

 本当に覚えていないみたいだ。


「どういうことだ? 確かに司も奈那先輩と面識があったはず」


 俺と世良が思い出せたというのに、司だけ思い出せないなんて不自然だ。

 しかし、司には、俺や世良が感じていたような、何かを忘れているという感覚すらもないようだ。


 完全に奈那先輩の存在を忘れてしまった。ということなのだろうか。


「なあ、もしかして、二人して俺をからかってるのか?」

「は? そんな訳ないだろ」

「いや、だって、未来の記憶を、しかも、知らない人の記憶まであるなんて、信じられると思うか?」


 司は疑いの目を向けてくる。

 世良とは違う。これっぽっちも信じられていないというのがわかる。


 疑念は強く、別にふざけている訳ではないと、素直に伝えても、わかってもらえなさそうだ。


 どうしたものかと悩んでいると、隣の世良が口を開いた

 

「御子柴くん。そう思うのも無理はないけど、私も同じような記憶があるの。おかしなことを言ってるとは思うけど、ふざけてる訳じゃないのよ」

「ふ、ふーん。まあ、希沙羅さんが言うなら」


 案外チョロいな、司。

 絶対、俺が言っても信じなかっただろ。友情よりも恋愛が優先なのかお前は。


 まあいい。とりあえず、完全に信じてくれた訳ではなさそうだが、話を聞いてくれる気にはなったようだ。


「それにしても、何で、司は奈那先輩の記憶がないんだろうな」

「そうね。私は、一樹に奈那先輩の名前を出されて、あっさり思い出したんだけど」


 付き合いの深さが関係しているのだろうか。


 司と奈那先輩は、どんな関係だっただろうか。


 思い出そうとしても、やはりすべては思い出していないようだ。

 よく俺と世良、たまに司で、奈那先輩と一緒にいた記憶はあるが、そこまで多くはなかったかもしれない。


 それでも、「ただの学校の先輩」よりは親しい関係だったと思うのだが。


「よくわからないけど、その差が、原因を探るヒントになるかもしれないな」

 司が言う。


「ていうのは?」

「つまり、その、奈那先輩、か? のことを忘れていた原因が、例えば一樹とか、希沙羅さんに起因しているなら、二人だけが覚えているのも納得だろ? まあ、二人の話が、勘違いじゃなければだけどな」

「なるほど」


 確かにそれは言えている。

 俺たちが当事者だから、奈那先輩のことを覚えていた。ストーリーとしては自然だ。


 世良も納得できるようで、こちらを見て軽く頷いた。


「とりあえず、その線で考えてもいいかもしれないわ。でも、その先は、ノーヒントになるのかしら?」

「それは、記憶を呼び起こすしかないかな。例えば、二人が覚えている記憶で、1番、最後に奈那先輩と会ったのはどこか、とか」

「1番、最後に奈那先輩と会ったのは」


 奈那先輩のことを思い浮かべる。

 からかわれたこと、遊ばれたこと、励ましてもらったこと、怒られたこと、喜ばれたこと、断片的だが、残っている記憶を総動員する。


 どれもその先がありそうで、時系列が曖昧な部分も多い。


「うーん、思い出せるのは、どこかの神社に私たちと奈那先輩で行ったことかしら。何しに行ったのかは思い出せないけど」

「どこの神社?」

「それもわからないわ。ごめんなさい」

「いや、全然。それだけでもヒントになるよ」


 世良と司の会話を遠くで聞いているような感覚になりながら、俺はさらに深くまで思考を巡らせる。


 だが、何か、とても大切な部分は思い出せていないような、詰まった感覚だ。

 先へ先へ行こうとすればするほど、記憶に白い靄がかかっている。


 奈那先輩の顔。

 笑った顔。にやけた顔。優しく微笑む顔。

 どれも余裕を見せて、常に笑顔を見せてくれていた先輩。

 でも、時折見せる切なげな表情に、俺は。


「後輩くん。私はね、一度死んでるんだよ」

「君は、もう、十分、私を救ってくれたんだから」

「それじゃ、バイバイ」


 記憶がフラッシュバックする。

 奈那先輩のその顔は、

「泣いてる」

「え?」

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