第44話 終息

 ぎゃあぎゃあと喚く声に、ユーゴは顔を上げた。


『ボクの、ボクの世界が! なくなっちゃうヨン! 嫌だ嫌だ嫌だアァ!』


 狂乱したバルナバスが触手槍を突っ込ませてくる。ふらりと立ち上がったユーゴは、避けようともせずそれを受けた。軽い衝突音とともに、槍が弾かれる。


『くそお! 死ね、死ね! いなくなれェ!!』


 槍が降り注ぐ。だがユーゴにはかすり傷一つつかなかった。ユーゴは自分の手の平を見た。関節にはしわがあり、皮膚の下には血管が透けて見える。


「本当なんだな……」


 記憶と変わらない柔らかい人の体。心臓の鼓動も体温もあるのに、クラウを突き通した槍がことごとく跳ね返される。


 不確かな知識で作られたにわかダンジョンと、確固たる実感を持って創造されたダンジョン。本物が紛い物に負けるはずがなかった。


 テリトリーの外では一旦静まった鳴動が、また不気味に聞こえ始めていた。無理に動かそうとした反動で、崩壊しかかっているのだ。


 そんなことは無視して一歩、また一歩とユーゴはバルナバスに近づく。それにつれてユーゴのテリトリーがバルナバスに迫る。


 ユーゴの口から無意識に言葉が漏れた。


「わからなかったの? クラウ。俺は守護者だからいてほしかったわけじゃないのに」


 何もわからない世界にやってきて、不安で心細くて、それでも平常心でいられたのはクラウがいたからだ。


「俺がガーディアンとして召喚したから? だからこんな、殺しても死なないような俺を守ろうとしたの?」


 クラウがことあるごとにユーゴの守護者だと己を主張していたことを思い出す。


「守護者じゃなきゃ、一緒にいられないと思ったの?」


 また一歩。テリトリーを失うごとに、触手の数も減っていく。


 攻撃が一切効かないことにバルナバスは怯えた。テリトリーを削られダンジョンの力を失ったことで、正気が戻ってきたのだ。また無力な自分に戻ってしまう。すべてを失ってしまう。喪失感に駆られてバルナバスは叫んだ。


『ボ、ボクの世界を、ボクの力を返せ、返せ、返せエエエ!!』

「うるさい!!」


 バルナバスを守っていた最後の柱が消えた。ユーゴのテリトリーに塗りつぶされ、構築を上書きされたのだ。


「それはこっちのセリフだッ!!」


 バルナバスは喉を鳴らして後ろに倒れた。手を突き、震えながら後ずさる。のぞき込むユーゴの目が、底知れぬ怒りを灯してバルナバスを射抜いた。


「ひっ、ひぃっ……」


 ダンジョンに放置された時よりも深い絶望と恐怖で、体が痙攣する。手が伸びてきて、バルナバスの首からコアを閉じ込めた魔道具を引きちぎった。食い込んだ鎖が皮膚を破り、血がにじむ。


「俺は暴力は嫌いだけど、お前だけは絶対に殴る」


 ユーゴの口の端が三日月に吊り上がった。笑みの形こそすれ、その表情は鬼神そのもの。


「人を殺そうとは思わないけど、この体で力一杯殴ったらどうなるか。俺にもわからないんだ」

「ヒィァ……ァ――」


 もはや声ではなく呼吸音しかしない喉元をつかまれ、バルナバスは目を白黒させた。いっそ気絶したいのにできない。コアとリンクして一度狂気に染まったせいで、変な耐性がついたのかもしれない。


 ユーゴが身をかがめてバルナバスに宣告する。


「一発で消し飛んだら困るから、まずは腕から行こうか――――」


 ユーゴが背中へと引き絞った拳が、バルナバスに向かって叩き込まれた。






 不気味な鳴動を続けるダンジョンを、【月下の腕輪】は息を殺して見守っていた。


「音が消えた……?」

「揺れが……」


 真っ先に気付いたのはハーリーだ。ずっと続いていた地鳴りが消えた。亀裂が走り、波打ってグラグラと揺れていた地表も落ち着いた。


「ユーゴがやってくれたのか……?」


 半ば呆然とした様子でガライが呟いた。そのまま走り出そうとして、ガライはハーリーに腕をつかまれる。


「まだ危ないです! ダンジョンが元に戻ったとしても、周囲の影響まで消えはしません!」


 領主の身を案じる家臣の言葉に、ガライもはっとした表情になる。


「すまない。でも確かめないと」

「先行します。ついてきてください」


 ダンジョン入口は見えているが、周囲の亀裂は残ったままだ。慎重に入口にたどり着いた【月下の腕輪】は、恐る恐る中をのぞき込む。


 短い下り階段があり、薄闇が広がっている。いつもの光景だった。


「見てきます」


 短剣で階段の床をつつきながら、ハーリーが言った。先に下りて行ったハーリーはすぐ戻ってくる。


「大丈夫そうです。足元に気を付けて」


 下りてみれば、異変の前と同じいつもと変わらぬエントランスがそこにあった。薄闇の内部は夜間になるとむしろ外よりも明るい。


 白い髪の小柄な背を見てガライは声をかけた。


「ユーゴ! よかった、無事だったか!」


 ユーゴは振り向いた。


「よくやってくれた。ダンジョンは君が掌握したんだな? バルナバスはどうなったんだ?」

「ん……ああ、あそこに」


 見ればボロ屑のようになって白目を剥いたバルナバスと、同じように反応のないザマロと治癒師が壁際に転がっている。


「こいつらの死体をストレージに入れるのも、ダンジョン内に放置するのも嫌なんで持って帰ってよ。一応まだ生きてるし、ヘズッハ伯爵への意趣返しに使えるでしょ」


 そう言うとユーゴは苦笑してぽそりと呟く。


「なんでか攻撃力はヘボッヘボだったんだよなあ……その分気が済むまで殴れたけど」


 クリフとハーリーが早速三人を確保しに行った。マリアは一緒に治癒が必要か見に行った。


 リースエルが周囲を見回し、首を傾げる。


「……クラウはどこですの?」


 ユーゴの肩がびくりと震えた。うつむいたまま答えないユーゴに、ガライとリースエルは急に不安な表情になる。


「……嘘だろう? まさか……」

「そんな、まさかですわ!?」


 ユーゴがばっとガライの肩に手をかける。


「ガライ! すぐに上層だけでも修復するから、冒険者をここに入れてくれ! MPがいるんだよ!」

「えっ?」

「俺ダンジョン直してくる! ちゃんと客寄せができるように工夫するから!」

「ちょ、ユーゴ! もっとちゃんと説明を」


 聞き返した時にはユーゴはすでにザマロが作った階段を駆け下り、元通り床に戻してしまっていた。


 置いてけぼりをくらった一同は、その場でしばし呆然と佇んだ。

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