第43話 願わくば、もう一度
バルナバスを確実に捕らえるには、テリトリーで三次元的に取り囲むしかない。逃げる先を残しておいてはならないのだ。
「クラウ」
「わかっている。準備が済むまで主を守れば良いのだろう?」
「うん。ごめん、大変だろうけど」
「任せろ」
相変わらずの男前な返事に、ユーゴは胡坐をかき目を閉じて集中する。空を切る音、剣の音、固いものが激しくぶつかる音。それらが聞こえなくなるほど、ユーゴは意識を深く沈めていく。
テリトリーは決まった半径の球状にしか展開できない……そんなはずはない。何故ならこのダンジョンに吹き抜けを作った時、元の形が球状ではなかったからだ。
野性のダンジョンは本能的に無駄を省き、効率的にテリトリーを作っている。ならば自分もこのスキルを、もっと自由に操れるはず。
バルナバスは臆病だが、尊大で雑な部分もある。半ば狂っている今、大きく力が動けばすぐに察するだろうが、小さくすれば。
押されている振りをして薄く広くテリトリーを構築するのだ。
ユーゴは細い糸のように自分の領域を伸ばしていく。一本、二本、三本とその糸を増やし、網を張り巡らせる。網の目が大きいのは、バルナバスにテリトリーの浸食を意識させないため。
慎重に慎重を重ね、包囲が完成した。ユーゴは全力を込めて、網の目を一瞬で閉じた。イメージしたのはカメラのシャッター。デジタル社会のスピードは秒速を千の桁に刻む。時の概念が遅いこの世界の住人に対応できるわけもない。
「捕まえた!」
ユーゴはテリトリー化した球体の厚みを内部へと広げる。外側と切り離されて、突然大半のテリトリーを失ったバルナバスが絶叫を上げた。
「捕まえたよ、クラウ!」
顔を上げたユーゴの前で、大剣を打ち砕いて迫った触手の槍がクラウを串刺しにした。
「え……」
コツッとクラウの血にまみれた槍先がユーゴの胸に当たる。ユーゴは胸に目を落とし、自分がその攻撃を弾いたことに言葉を失った。
「クラウ!?」
彼女はすでに体にいくつも穴を作っていた。黒鎧はあちこちが割れ砕け、大量の血が流れ落ちている。バルナバスの叫びと共に刺さっていた槍が引き戻され、クラウの体が地に膝をつき崩れ落ちた。ユーゴが抱えていた首が限界を越えたように咳き込み、血を吐いた。
「クラウ! クラウ! どうして!?」
クラウはずっと無敵だった。今回だって平然と彼女が頷いたから、いつも通りだと思っていた。ユーゴの知るクラウは、どんな敵であっても切り払う無双の戦女神だった。
「不甲斐、ない。主に、届かせて、しまった……」
自嘲の笑みを浮かべてクラウが掠れた声で言った。
考えてみれば予測できたはずだ。バルナバスの攻撃は、クラウに傷を負わせる威力があったのだから。
クラウは背後のユーゴを守るため、回避ができなかった。たった一人で何十と飛んでくる槍を、立ち止まったまますべて防御しなければならなかったのだ。
クラウは強いからと、ユーゴが甘く考えていた報いだった。
「ごめん! 俺が考えなしだったせいで!」
「いいのだ、主。……私は主を騙した。すまぬ……」
「なんだよ? 騙したって……」
ユーゴは抱えた首を抱きしめ、血を拭った。乱れた髪をそっと撫でる。クラウは儚げな笑みを浮かべた。
「主は……本当は私よりもずっと強い。主に、傷を、つけられる者などいない。守護者など、必要ないのだ」
「な……!?」
思いもかけないことを言われてユーゴは目を見開く。さっき、クラウ越しにくらった槍先を思い出す。脆弱だと思っていた自分が、威力が弱まっていたとはいえ傷一つ負わなかったのだ。
「主は、人だったのだろう? 理由はわからぬが、おそらく主の魂は、ダンジョンのコアに宿ったのだ。……そして目覚める時、無意識に、体を『構築』したのだと思う」
「この……体が、ダンジョン?」
「あなたを一目見た時、胸が震えた。精緻で、繊細で、コアとダンジョンが一体となって……まるで世界そのもののようだった。尊く、あまりにも美しい……私はその守護者として生まれた……それが誇らしかった」
ユーゴは呆然とそれを聞く。人間だと思っていたから、体を作った?
日本で教育を受けたユーゴには人体の知識がある。人体模型くらい誰でも見たことがあるだろう。専門的とまでは言えなくても、筋肉がどんなものか、内臓はどうなっているか、その程度のことは皆知っている。現代には細胞や分子、原子の知識すらある。
もしそれを、人間だったころの記憶通りに再現したのだとしたら。大きさはともかく、密度はこのダンジョンの比ではない。テリトリーの効果と相まって、凄まじい強度を持つはずだ。
「だから、必要ないと言われるのが怖かった。あなたの守護者でいたかったのだ……。主が知らぬのをいいことに、私は……」
「馬鹿ッ! 馬鹿、クラウ! 何で言わなかった! ほっといたって俺は傷つかない。それなら君がこんなになることなかったじゃないか!」
「……やはり、私は……必要ない……」
「違う!! 知っていたら、俺が君を守ったのに!!」
クラウが大きく目を見開き、それから唇をほころばせた。青い瞳から銀の雫が一つ、こぼれ落ちる。
「主は、優しいな。あなたの守護者になれて、私は幸せだった」
願わくば、もう一度――――
囁いた声はきらきらと光る粒子になって宙に溶けた。
「クラウ!!」
腕の中のぽっかりと空いた空間に、ユーゴの叫びがこだました。
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