第42話 逃げるコア

 ぽかりと開いたままのダンジョンの入口からは、ずっと意味不明の声がしている。揺れも収まらない。地震ではなかった。それはまるで何かが地面から這い出して来るような、不気味な鳴動だ。


「まさかあいつ、ダンジョンを動かしてリースを奪いに来るつもりなのか……?」

「そんな!?」


 さしものリースエルがあまりの異常さにふらりと倒れた。ガライが支えていたので大事はないが、立ち上がれない。


「そうか。外に出たら無力だってわかってるんだ」

「ダンジョンの力を手放したくないってこと?」

「だからってダンジョンをそのまま動かすなんて……」

「狂ってやがる!」


 元々偏執的な素養はあったみたいだが、魔道具でダンジョンとリンクして完全に精神の平衡を崩したのかもしれない。


 いずれにせよ、何が起きるかわからない未曽有の危機だと言えた。


「使える馬車はあるか? 怪我人を乗せて急いで避難しろ! お前たちもだ!」


 ガライは兵士に避難を指示し、フラフラになったリースエルをマリアに託して送り出そうとした。


「わたくしも残りますわ」

「リース」

「もし、アレがわたくしを追ってくるのなら、町には行けませんわ」


 真っ青になりながらリースエルはそう言って避難を拒否した。結局【月下の腕輪】の全員がその場に残った。


 人々が慌ただしく走る間にも、ダンジョン入口は揺れ動いている。じわじわと、本当にわずかずつだが、地面が盛り上がり始めている。


「……ガライ。もうこれは人の手には負えないよ」

「ユーゴ」


 万一本当に十八層のダンジョンがここから動き出したら。それはもはや防ぎようのない災害だ。


「ってことで、行ってくるよ」

「ユーゴ!? だってクラウにも壊せないって言ってたじゃないか!」

「俺なら壊せる」

「でも……でも君は戦士でも魔術師でもない。戦闘はできないって……」

「戦闘能力がないからって戦わない理由にはならないでしょ」


 ガライは返す言葉を失い、黙り込む。


「俺、まだ助けなきゃいけない子がいるのを思い出したから。行くよ」


 ユーゴはほわっと笑うと、ガライが止める間もなくダンジョンの入口に飛び込んだ。もちろんクラウも共に。


 さっきまでは薄闇に包まれていたダンジョン内部が、簡単に見通せないほど暗さを増している。ダンジョンがダンジョンでなくなっている気がして、ユーゴの顔つきが厳しくなる。


 エントランスも揺れているが、崩壊と違って壁も天井も崩れてこない。


「クラウ、俺の我儘に巻き込んでごめん」

「謝る必要などない。私は主のために在るのだ」


 バルナバスがやろうとしていることは常軌を逸している。リンクしているダンジョンコアが無事でいられるかどうかもわからない。この暴挙を止められるとしたら、同じコアの力を持つユーゴしかいない。それがわかっていてやらないわけにはいかなかった。


 進んでいくと、元いたところにバルナバスの姿があった。だが玉座はなく、柱になっていた手に包まれたバルナバスは丸まって頭を抱えていた。ブツブツとリースエルの名を呼んでいる。


 周囲に目をやれば壁に半ば埋まっているザマロと治癒師が見えた。


 ユーゴは無言で足音を殺しながらバルナバスに近づく。このまま気づかないでくれたら楽でいいのだが。


 ユーゴがやることはリースエルを救出した時と同じ。バルナバスをテリトリーに捕らえ、無力化する。もうダンジョンの保守を考えていられる状況ではない。


 テリトリーは段階を踏んで広げていくものだ。遠くからでもバルナバスを範囲に入れられたら良かったのだが、それは無理だ。バルナバスは自失しているように見えるが、浸食を始めれば嫌でも気づくだろう。できれば一気に決めてしまいたい。


 あと一歩。その時バルナバスが顔を上げた。


『貴様がリースエルを奪ったのネン!!』


 あっという間もなく何かがユーゴに向けて飛んできた。クラウが前に踏み込み、剣を振るってそれを弾き飛ばす。


「これ、手だった奴か!?」


 床や壁から生えている蔓のようなもの。五つに割れた先端はもう指ではなく槍。前に立つクラウがそれに対処しているうちに、ユーゴは最後の一歩を詰めテリトリーを発動した。


『ウギャッ!?』


 浸食に気付いたバルナバスは寸前で逃げる。バルナバスを包んでいる柱が、滑るように床を移動したのだ。


「ちっ。ガーディアンだからか!」


 構築物は基本的に動かない。だが主を守るガーディアンが行動できないでは話にならない。


『ア……アアアア! また奪おうとするのネン……! ここはボクの世界なのにッ!』


 テリトリーを取り返そうとする圧力に、ユーゴは思わず身構える。物理的なものではないのに体に力が入るのは、人の記憶があるからか。


「くっそ!」


 狂気に陥った人間は想像もできないような力を発揮するという。バルナバスもまた尋常ではない圧力でユーゴのテリトリーを圧し潰そうとする。


 ユーゴが負けじと押し返している間にも、鋭い穂先を持つ触手が次々と襲い掛かってくる。クラウが大剣で受け流し叩き切っているが、とにかく数が多い。


 守りを抜けた一本が、脇に抱えられたクラウの頬に赤い線を刻んだ。


「主、すまぬ!」


 クラウがポイと自分の頭をユーゴに押し付けた。空いた手に鞭を持ち、二刀流の構えで高密度の刺突に対応する。その激しさにユーゴは目を剥いた。


「ちょ……俺のテリトリーなのに!」

「あれはガーディアンだ!」


 ただ構築物というだけなら、ユーゴのテリトリーに侵入した時点でその力を失う。だがガーディアンとしての性質が触手の強度を維持している。さすがに無敵属性ははがれているため破壊はできるが、それでも速さや鋭さは健在だった。


「リースの時はもっともろかったのに!」

「明らかに強化されているな」


 頭を抱えたり急に笑い声を上げたり、バルナバスの狂乱度合いは増している。その分リンクしているガーディアンも化け物度合いが増したということか。


 その上バルナバスは十八層のテリトリーのどこにでも、その気になれば逃げ回ることができる。下手に追い詰めると、どこかに引きこもるかもしれない。


 コアが移動できるだけでこれほど面倒なことになるとは。


 自分のことを棚に上げてユーゴは舌打ちする。思った以上にバルナバスを制圧するのは難しそうだった。

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