第30話 意図的な異常事態

 【深闇の狩人】は静かに【月下の腕輪】の後を追っていた。近づきすぎてはいけない。気取られたら警戒されてしまう。戦闘になるなら有利な状況からの不意打ちで。それが彼らの身上だ。


「奴らそろそろ十八層に降りただろうな」

「んじゃ本気出しますか?」

「俺たちもさっさと降りて仕掛けよう」


 それを聞いた戦士が喜色を浮かべる。


「ハハッ、やっとお楽しみの時間だ! あの高飛車女、泣かしてもいいんだろ?」

「戦闘中を狙えばきっといい感じになるぜ」

「そうだな」


 十八層の敵はなかなか厄介だ。それを知っているザマロは、邪魔者を排除するいい頃合いだと考える。今回は冒険者証タグを拾ってやる予定はない。知らん顔してヘズッハ伯爵領へ逃げるつもりだ。


 彼ら好みの不穏な想像に、【深闇の狩人】の足取りが軽くなった時。


「うわ、な、なんだこれ!?」


 前触れもなく突如フロアが揺れ、地鳴りと咆哮が響き渡った。【深闇の狩人】は何事かと立ち止まる。各人が不安な面持ちであたりをきょろきょろと見回していると、すぐに異変の正体が現れた。


「ザマロさん! 魔物が!」


 薄闇の向こうから、まるで津波のようにやってくるニムワーの群れ。壁を蹴って駆け抜けていく多数のポーラグ。犬や狼のような魔物も、頭が複数ある鳥も、通路を埋め尽くさんばかりだ。


「どうなってんだよ!」

「死にたくねえええ!」


 【深闇の狩人】は泡を食って逃げ出した。あんな数の魔物を相手にできるわけがない。必死に走るが、人間の速度と四つ足の魔物の速度。勝負は見えていた。背後には彼らを飲み込まんとする死神が迫っている。


「くそっ!」


 そんなに難しい仕事ではなかったはずだ。探索では【月下の腕輪】よりも自分たちの方が先行していたし、数日でカタがつくと思っていた。今回に限って奴らが全力で攻略にかかったのは計算外だったが、いくらでも出し抜けると思っていた。それがこのざまだ。


 落ち着け、落ち着いて考えろ!


 死の危険に晒されて、ザマロの脳は懸命に打開策を探った。記憶の中に一瞬光明が見える。


「右だ!」


 叫んでザマロはその通路に飛び込んだ。そこは袋小路になっている。本来なら逃げ場のない場所に飛び込むなど自殺行為。だがザマロの想像通りならこれで助かるはずだ。


 他の仲間たちも転がるように袋小路へと倒れ込んでくる。誰かが落とした短剣が魔物に踏まれて折れ飛び、粉々になってどこかへ消えていった。


 なんとか間に合った。通路を魔物たちが走っていく。彼らは人間たちには一顧だにしなかった。間一髪命拾いをした【深闇の狩人】は、虚脱したようにそれを見送る。


「た、助かった……?」

「あ……あれは、今のは」

「……この間、四層であっただろうが!」

「あっ!」


 さしものザマロも震えが来ていた。思い出さなかったらあれらに踏み殺されていた。ダンジョンが閉鎖になった事件。四層の魔物がスタンピードさながらに一か所に集まった異常事態。何故だか魔物たちは逃げ惑う冒険者を完全に無視していたという。


 しばらくしてフロアは静かになり、様子を見に行ったザマロは思わず歯噛みをした。


「……クソがッ!!」


 階段に通じる通路は、魔物で埋め尽くされていた。もう暴走はしておらず、何かを探すように動き回っている。やがてその場を離れていく個体もいたが、全部がいなくなるにはそれなりの時間がかかるだろう。


 強引に突破するのは無理だ。【深闇の狩人】は否応なく立ち止まるしかなかった。





 ユーゴとクラウが十八層へ向かう階段を下りていると、下から【月下の腕輪】の面々が駆け上がってくるのが見えた。


「ユーゴ! クラウさん!」

「無事でしたの!」

「大丈夫? どうもなかった?」

「え? 何かあったの?」


 気遣う言葉にユーゴが目を丸くすると、ガライが代表して答えた。


「階段を下りてきて間もなく、ダンジョンが揺れたんだ。クラウさんがいるから滅多なことはないと思ったけど……」

「もし怪我でもしてたら、あたしが行かなきゃと思って」


 マリアがテディベア片手に言った。ユーゴは不覚にも涙腺がゆるみそうになる。十七層で何か起きても十八層からはわからない。だから心配して来てくれたのだ。


「うん、どうもないよ。っていうか、揺れたの気がつかなかった」


 あはは、とユーゴは笑ってみせる。


 テリトリーを設置するとすぐにダンジョンが反応した。フロアの魔物が動き出し、倒されていた分も即座にリポップして移動を始めた。ユーゴはクラウに防御を任せて、ある程度数が集まったところで階段へ逃げ込んだ。ダンジョンの魔物は階層を越えない。テリトリーも消滅したので魔物たちは目標を失っているだろう。


 【深闇の狩人】は横道に逃げたらしいが、殺人に抵抗があるユーゴにはそれで充分だった。ダンジョンが正常に戻ったとはいえ、あの数がフロアに散るには時間がかかる。一時的だが降り口を塞げた。これで奴らを足止めできる。


「もう! 本当にあなたは周囲の状況に疎いのですわ! 何度言ったら……」

「まあまあ、リース。無事だったんだから……」


 怖い顔でたたみかけるリースエルの叱責がなんだか嬉しい。困ったようにそれを止めるガライが、ユーゴをかばうように肩に手を回す。皆で並んで階段を下りて、一緒に食べたお昼は美味しかった。


 【深闇の狩人】は降りてこない。


 武装の点検をして、一行はまた探索へ乗り出した。

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